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『雑談』を後ろの席から盗み聴き EP.3「イン・ザ・泥」を聴いて

気になったコトバ

  • 『土組』とか『泥組』とか

  • 自分を守ってきたことが、結局「呪いになっていた」って気づいた時の"ガビーン!"ったらないね。

  • 泥の中でジャンプはできない。沼にはまる。

  • 「ネイティブ素直」と「クリエイティブ素直」

『土組』とか『泥組』とか

 ワタシも『泥組』のメンバーであることは、まあ間違いないことだとは思っているが、サクちゃんとは『泥のタイプ』が違っている。

サクちゃんタイプは…
 自分は「アレが欲しい」と思ったとしても、どうせそれは手に入らない境遇(例えば、親が過剰に干渉してくる状況とか経済的に厳しいといった状況)にあり、その状況から逃れることは難しいと思っている。
 また、自分は「アレが欲しい」と思っていると、素直に「欲しい」と言える人のことを「羨ましい」と思ってしまう。でもこれはとても辛いこと。なので辛さを避けるために、「欲しい」という気持ちに蓋をする。言い換えると「欲しいと思うこと」を"自分で禁止"してしまう。
 生存戦略として「欲しい」を"禁止"してしまうと、何が欲しいか、が解らなくなる。(出てこなくなる。)
という事だとワタシは理解している。

では、ワタシの場合はどうかというと…
 人との接し方が解らないタイプだ。(人間関係云々のその手前のハナシ。)人とどう接したら良いのか、やり方・方法がわからないのだ。
 最近(と言ってもこの10年くらいの間に)だんだんと判ってきた事だが、「他人を信頼できない」ことに由来すると考えている。精神科医等の専門家の診断を受けたわけではなく、メンタルヘルス関連の本をいろいろ読んだ上での自己判断に過ぎないので確かなことは言えないが、「愛着障害」が大元になっていると考えている。(愛着障害については機会があれば別途書いてみたい。)
 愛着障害由来の「他人を信頼してはいけない」という生存戦略を採用したがために、自分の考え・意見が言えなくなっている。自分の考え・意見を表明すると、相手(他人)のことを信頼していないから、相手に『ジャッジされる』と考えてしまうからだ。(なぜそんな生存戦略を取るようになったかについてははっきりと判っていない。まあ、判ったとしても今更どうしようもないと思っているので深掘りはしていない。)
 ワタシは人に「ジャッジされるのはイヤ」なので(前記事の「ジャッジされるのはイヤ!」の項を参照)、そもそも自分の言葉を発しければジャッジされることもないと考えたんじゃないか、と推察している。つまり「自分の言葉を発すること」を自分で"禁止"してしまったわけだ。
 この"禁止"を長い間継続した結果「自分の言葉で考える」ということまでをしなくなり、自分の考えが解らなくってしまったようだ。
 実際、職場の懇親会の場で、これこれについて自由に意見を言ってくださいと言われた時に、自分の考えが全く出てこなくで愕然とした記憶がある。それまでは、自分は何かが変だな、とは思うことはあったが、それほど深刻に考えたことはなかった。これをきっかけに、だんだんと抑鬱状態が表面化していったようだ。(実はこの頃からの記憶がはっきりとしていないので、ちょっと怪しい記憶なんですが…笑)
 このように『泥のタイプ』は違ってますが、"自分で禁止"したために" 出来なく(解らなく)なってしまう"という構図はサクちゃんタイプと同じなんですよね。
 なので『他人を信頼してはいけない』という呪いを『許可』で解けるはず、と思っていいいんだよね?じゃあ、どういう許可をだせばいいんだろう?
とりあえずは『他人を信頼してもいいんだよ!』くらいかな…
("信頼する(信用する)"に関連することが、『プール理論』の回[EP.31 & EP.33]やEP.61の『信用の土台』でも出てくるので、そちらでも何か書くかも。覚えてたらね…。笑)

自分を守ってきたことが、結局「呪いになっていた」って気づいた時の"ガビーン!"ったらないね。

 これは本当に衝撃的で、自分が『他人を信頼してはいけない』を自分を守るための生存戦略としてきたことに気づいた時、まさに"ガビーン!"状態でしたね。
「これまで本当はどうすれば良かったんだ?」「これからどうすれば良いんだ?」と困惑しきり…

泥の中でジャンプはできない。沼にはまる。

 "ガビーン!"状態=”実は自分で造った泥の中にどっぷり浸かってた!と気づいた”状態になったんだけど、一足飛びに泥の上にジャンプするのは難しいって実感してる。泥は粘っこいし引き摺り込まれやすい(自分が気づかないうちに慣れたやり方に戻っちゃう)ので、這い出るのさえ難しいんですよね。
 ワタシはというと、上半身は泥の上に出ているけれど、まだまだ泥から這い出そうともがいているところかな…。

「ネイティブ素直」と「クリエイティブ素直」

 自分にとって、サクちゃんの言っている「ネイティブ素直」と「クリエイティブ素直」に相当するものは何だろうかと考えてみた。
 ワタシの場合は「他人を信頼できない」「どうやったら信頼できる関係が作れるのかがわからない」ということなので、信頼関係を作れる「コミュニケーション」ができるようになれば良いということなのかな?
 とすると、「ネイティブ・コミュニケーション巧者(=普通の人)」と「クリエイティブ・コミュニケーション巧者(ワタシの目指すモノ)」ということになるのかな?
 自分への許可の出し方は「他人を信頼してもいいんだよ」かな?
 まずは「信頼できる人は必ずどこかいるから、そんな人を見つけたら信頼してもいいんじゃない?」くらいが穏当か?
 塩梅が難しいなぁ…。

 それと、「他人のプールに飛び込まない」ように気をつけないといけないし、EP.61の『信用の土台』で言われていることとも関連が深いんだろうと思っています。

終わりに

 何回も配信を聴き直しながらノート(物理的な紙のノート)にメモを書き、自分の言葉になっているかを確認しながら書いていますが、寝れないことなのでやっぱり難しいですね。肩が凝ります。
 他にも気になるコトバがあったんですが、長くなったので割愛してしまいました。もしかしたら、そちらについて別記事にして書くかもです。

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