『雑談』を後ろの席から盗み聴き EP.3「イン・ザ・泥」 を聴いて(その2)
前記事を書き終わった後も、やっぱり気にる点がいくつかあって、何度も配信を聞き直したので、"EP.3「イン・ザ・泥」(その2)を聴いて"として書いておく。
気になったコトバ
味集中システム
「イヤだ」という気持ちと「疑う力」
最後には「幸せになりたいか?」っていう問いしか残んなかった
スーさんの「泥の中」についてのはなし
味集中システム
語られている二つの『味集中システム』の違いについての自分の理解は次のとおり。
望んでも得られないことが常である、それが自分の普通だと思って(思わされて)いる人は、あれが欲しい・これが欲しいと駄々をこねても辛いばっかりだから、”欲しがることを諦める”が最善だと思い、これを生存戦略として採用した。それを大人になっても続けていると、手持ちのカードの多くを諦めて捨てていくことになるので、手元に残っているカードはずっと少なくなっていく。その状態で、他人が持っているたくさんの面白そうなカードが見えてしまうと"羨ましく"なる。"羨ましい"という感情はこれも大変辛いことなので、自分とは関係ない世界(火星)の話だからと他人の持っているカードを見ないようにして、手元に残っている数少ないカードに集中する。これがサクちゃんタイプの『味集中システム』。
これは『外側排除の味集中システム』と言えるかな。外からやってくる情報を取り込まないようにすることを主目的にしているから。
一方で、夢がある人は自分の内にある夢を極めることに集中する。言い換えると『内側重視の味集中システム』になるのかな。(こっちは説明がとても短くてシンプルになったな…。笑)
味集中システムといっても、意識のベクトルが外向きと内向きで、まるで別物なんですよね。
「イヤだ」という気持ちと「疑う力」
サクちゃんのすごいところは、「イヤなんだけど」という感情が湧いてきたとき、それが自分にとっての最重要事項だと認識していて、なんとしてでもこの「イヤ」という感情を無くしたい、という強い意志があることだと思う。(ワタシならへたれて「まぁいいか」となってしまう。)
そしてこの「イヤ」という気持ちがトリガーになって、「ホントかな?」が発動される。
この「ホントかな?」が… (↓に続く)
つまりは「望んでヨシ!」という「許可を出せばいいよね?」の発想に繋がっていき…(↓に続く)
「許可を出す」という仕組みがあるんだから、誰でも「自分に許可するだけで大丈夫」にたどり着く柔軟な考えに驚く。
最後には「幸せになりたいか?」っていう問いしか残んなかった
これはサクちゃんのnoteのこちらの記事「諦めの呪いを、許可で解く話」の中に書かれているエピソードですね。
ぜひ全文を読んでみてください。
スーさんの「泥の中」のについてのはなし
ワタシの「泥の中」に対する感覚は、スーさんのこっちの言い方のほうがしっくりするなぁ。(EP.2「脳外上場」の記事で違和感があったと書いた件。)
繰り返しになるけれど、「生暖かさ」とか「大怪我しない」とか「浮力で体が軽い」ってのは、自分で自分を泥の中に引きずり込もうとする力(誘惑する力)であって、決して『居心地が良い』ってわけじゃないと思ってる。
あっちこっちにとっ散らかっていく自分の考えを、一つの文章にまとめるのはやっぱり難しい。
このnoteの記事の書き方(書式)もいろいろ試行錯誤中。
まだまだだな…
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