辛い時は逃げたっていい。そういう話。(フリーランスの私)

どうしたって辛い時は、逃げたっていいんだよ。

人は向き不向きがあり、やってみるまで分からないものもある。ただ、やってみてからようやく、分かる特技や性質だってあるのではないか?

そこからまた軌道修正をしたって構わない!自分達はなににも囚われていないのです。何度でもやり直したらいい。

強いて言うならば、「自分」が「自分」をしばってしまっていることはある。そこに気づくまでに私はもがきました。

そう。辛い時は、逃げてもいいのです。

一度逃げてみた私は、とても幸せに生きています。もう一度言います、辛い時は違う道を見てみてください。

誰も味方がいなくても、私が味方になりましょう。

今日はそんなお話を、私の経験談と共にお話します。少しでも悩んだり思いつめている人の力になれたらと思い執筆しました。


父と私の能力を重ねて、ずっと思い込んでいた話。

私の父は、人前に出て話すことは日常茶飯事で、誰かをまとめたり、ずっとリーダーとして一線で活躍している人です。コミュニケーション能力は私が幼少期の頃から周りのお父さんたちと比べても群を抜いていましたし(贔屓だったのかもしれませんが)、母は専業主婦で、父をずっと支えていて、私はそんな二人が大好きなのです。

対人のビジネスを得意としている父の背中を見て育ったせいなのか、私自身も、新卒の時に「営業」にいく他の道を考えたことがありませんでした。向いている!!と思い込んでいました。

し、面接を受ければ受けるほど「あなたは営業向きだよね。」と言われることが多く、管理栄養士として開発職を希望していた会社ですら、「営業はどうだ?」と誘われたほどでした。

敷かれた?というより、自ら敷いたレールの上を走った私は無事に「営業職」の道を勝ち取り、2年間勤しみました。

運やタイミングもあったでしょうが、メキメキと成績を上げ、予算達成率300%代、昨年対比でも400%近くまで売り上げを立てることができたんですね(この記事でも触れています)よくも悪くも、「やっぱり営業向いてる〜!暇より激務が合ってる!」と更に思い込んでしまった結果でした。

そんで、独立しました。結果は、ぼちぼち。人並みくらいの生活は送ることができていました。ギリギリだった時もあったけどね。

ただ、24h×7日間、フルで仕事をしており(やりきれる自信もあった)、プライベートの時間もなく、常に追い込まれ、必死でした。

夢にも仕事が出てくる。

確かに、会社にいた時の倍速で仕事のスキルはつく、経験値も上がっていると実感できる。しかし、人らしい生活ができない、それを犠牲にしてまでもしたいことだったのか?果たして私が求めていたことはこれなんだろうか?・・・etc×♾と常に疑問がありました。

途中で糸がプッツーーーーーーン!!!!!!!!と切れた音がしたのです。

実は、大口の契約を急に切られてしまうというハプニングが起こりました(話すと長いのでここは割愛します)。

そこに9割の工数を割いていたこともあり、あまり他の仕事を受けることができていなかった&収入をそこに頼っていたので、パニックでした。同時に、張り詰めていた糸がぷつんと切れた音がした瞬間でもありました。

結局、その1つの大きい仕事がなくなり、他にいただいていた仕事を遂行することになったのですが、結果めちゃくちゃよかったです。

理由としては、時間ができたので、余裕も生まれてゆっくり自分のことを見つめなおせたからです。

なにより、収入は減ったけれども、時間や精神的に余裕があるくらいの方が、とても自分らしく生きれていると思えたからでした。


他人が何を言おうと自分の人生は自分のもの

この経験を経てからは、工数ミッチミチに仕事を受けることは避けています。

空いている時間には自然をみにいったり、読書をしてインプットに時間を費やしたり、好きな人たちとゆっくりご飯を食べにいったり、とても癒しの充実した時間を過ごすことができています。私にとって、このような時間をとれないことは、収入が劇的に増えることよりも辛いからです。

会社員時代に思い込んでいた通りの、激務&根詰めたバリバリの営業スタイルは、意外と向いておらず、思い込みだったことがわかった一連の経験でもありました。今が一番、私らしく生きているという実感があるからです。

大口の契約を切られてしまい、フラフラしだした(様に見えた)あたりでは、周りの人からの評価はいろいろありました。静かに離れていく人、批判されることや、叱咤激励(もっと頑張れる!)をいただくこともあり、反面、「よかったよ」「今の方があなたらしいよ」など様々でした。

全てありがたいお言葉だったように思っています。特に叱咤激励をとばしてくださった方には本当に感謝の気持ちです。エネルギーをつかうことですから。

ただ、自分の人生は自分のものなのです。

迷惑をかけていなければ、自分が幸せと思った人生を生きることが一番の幸せへの近道だと私は思います。人は、どう転んでも絶対に何か言ってきます。でも、他の誰かのために生きている訳ではないのです。感謝の気持ちを抱きながら、頭の片隅に置いておくくらいでいいと私は思っています。

私は逃げた様にみられるかもしれませんね。でもそれでいいのです。

大口の契約を切られてしまってから、死に物狂いで何か次のきっかけ・仕事を掴みにいかなかった私をみた人たちからは、「諦めたのか」「期待外れだ」「逃げたのか」という空気が漂っていました。

周りにはすごい人たち、死に物狂いで人生をかけている方がたくさんいましたから、そのリアクションも当然のことだったかもしれません。


ですが、辛い思いや苦しい思いを、耐えることや無理して乗り越えることは、別にしなくていいと思っています。苦しみが美徳の様な文化がまだ日本にはありますが、別に方向転換して自分が満足できる生き方を選択したって何も間違いではないのです。


だって、正解不正解は、どこにもない。

死ぬときに「あ〜楽しかった、自分(と人も)を幸せにできた」って思えた方がいい人生だったと思えるのではないかな?と今は思うのです。


もう耐えなくていい、みんな、自分らしく生きよう

もし誰も味方がいなくなったときには、私が味方する。一人いれば意外と大丈夫なもの。

そう、きっと大丈夫なんです。辛い時は、そっと試合を放棄して逃げても大丈夫。

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