夜明け
分断と分裂――社会は細分される。所得によって、階層によって、あるいは個人的嗜好によって。YouTubeを流れる15秒程度のショート動画によって、我々の脳も裁断され細切れになる。デヴィッド・リンチの切り落とされた男の頭みたいに、機械にかけられ、ベルトコンベアを流れ、最後は消しカスになって吹き飛ばされる。
あるいはアパート。同じような部屋の並列。細房の繰り返し。我々は同じような箱に押し込められて、それでもなお、個人だ、プライバシーだのを固守する。何たる滑稽。何たる狂気。其処には畳一枚分の特殊性もないというのに…。
アカウント――という名の人格《ペルソナ》。ごく当たり前に人格を切り替えることの軽やかさ。賞味期限の切れた食品みたいに、まずくなった人格は直ちに切って捨てること。インターネットピエロはどこにでもいる。狂ってでもないと、もはややっていけないのだ。人生は喜劇《ジョーク》だ。笑えない?なるほど、人生はちっとも笑えないかもしれない。笑えないジョークか。勘弁してくれ。
人生の舞台で踊ること。そのためには多数の人格に分裂していなければならない。分裂せずにはやっていけない。出来るだけ他人より上手く踊ろうとするならば。
社会は分断し、人格はますます分裂するだろう。でも我々はもともと分裂していたのではなかったか?いつ頃から我々は単一性を、人格的統合を、想定するようになったのか?そんなものはもともと幻想だとしたら?我々は分裂し、分散している限りで、世界に臨在しうる。仮定の、仮構としての統一性ではなく、分散、偏在しているという意識による共感覚へのアクセス。我々の目指すべき場所。新たな夜明けの始まり。