記録 七月三十一日/文体

日記A面
浮きつ沈みつ、16時まで。

日記B面
起きた頃には夕方だった。
追いかけてる漫画たちの最新話を一通り読んだ。
ワンパンマン、放課後ひみつクラブ、ザ・ファブルSecond contact、キングダム、呪術廻戦。
ファブルは予期せず最終話だった。時期未定ではあるが新シリーズがあるらしいので、楽しみに待つことにする。ファブルは、登場人物が生きてる感じがして好きだ。

10代の頃は物語を読むとき、ストーリーにしか目が向いていなかった。
それから漫画も小説もほとんど読まなくなった時期を経て鬼滅の刃を読んだとき、はじめて、キャラクターの魅力に心を奪われる感覚をおぼえた。
はっきりと時期は覚えていないが、文体の味わい深さや言葉選びの妙に目がいくようにもなった。これは、自分で文章を書くようになったからかもしれない。
何年か前、人の勧めで羊と鋼の森を読もうとした。眠くなる文章だなと思ってそのときは読めなかった。2、3年あけてもう一度読んでみたら、「静謐さ」というものがわかって、するすると読めた。こういうことがあるなら、歳をとるのもたのしいものだなと思った。
羊と鋼の森の中で、原民喜の文が引用されている箇所があった。

明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる。だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。

原民喜「砂漠の花」

自分の目指すものを人の言葉を借りて説明するのもどうかと思うが、妙に腑に落ちて、わたしが目指したいのもそういう文体だと思わされた。文を作りだす心を養うことのほうこそ、自分に必要なことだとも思っていた。
いつかまた、変化を感じられるときがくるだろうか。

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