サカナは友達、エサじゃない
ワークショップに行ってきた。
全部で4日間のワークショップ。
ワクワクして臨んだ初日。
良い手応えがありつつも、何が起きてるのか全く分からないワークもあり、楽しさ半分、首傾げ半分と初日を終えた。
1晩考えても分からないモヤモヤを抱え2日目。ワーク前の質問タイムで意気地がなくて手を挙げられず、フラストレーションが溜まる。でも楽しかった。
とはいえ、やっぱりわからないものはわからない3日目。この違和感を解決したいと心がモゾモゾしたので、エイヤッと質問タイムで手を上げてみた。
いざ、質問したものの、
欲しい答えがうまく返ってこず、そうじゃないというか、私の質問の仕方が悪いんだろうか意図が伝わってないんだろうか、いやそもそもなんで私だけがわからないんだろう、なんでみんなはわかっているんだろう?と混乱した。
うーんとモゴモゴする私に納得のいくまで質問していいですよ、と言ってくださり、もういくしかないと質問を続けた。
でも、口を開く度に、
(もしかして、私がわからないのは身の丈に合わないクラスを受けてしまったからでは?)(いや、こんな基礎の基礎もわからないなんて、みんなの時間取るなよって思われてる?)
と頭の中で嫌な声がぐわんぐわんした。
どうして私はわからないんだろう?感じないんだろう?やっぱり私が不感症だから?私が変なの?
勝手にどんどん追い詰められて、余計に皆様にご迷惑をおかけしたのだが、きちんと納得いくまで付き合ってもらい、ものすんごくいろんなものを得て帰ってきた。
心優しい参加者の皆様に恵まれて、今まで行ったどんなワークショップよりも、素晴らしい体験をしたと思う。
これは、大事にしまっとくんだ。
初日からずっと欲していたモノのカケラをもらい、3日目の質問タイムで悩み続けていた自分の辛い部分を解消する鍵をもらった。この一年、受け続けていたワークショップの点と点がほんのりつながった感覚だった。こんなに幸せなことはない。
最終日の4日目。
講師の先生が「“今日やる新しいワーク“のボランティアはちょうど真ん中にいる美緒にやってもらおうかな」 と私を選んでくれた。たまたま私が目に入った位置にいたのか、昨日の質問の答えを得て、私がどう変わったか見たかったのか、わからないけど、とにかくそんな機会をもらった。
結論から先に言う。
やっぱりわからなかった。
し、うまくできなかった。
そして、新しい問題も出てきた。
話を戻す。
私がわからないと質問をしたものの延長線にあるような課題をもらって、「じゃあ、やってみて」と言われた。
身体が固まった。
おいおい、固まってる場合じゃないぞ。
「ちょっと待ってください」
一旦、絞り出して出てきた言葉がこれ。
馬鹿なのか?
いや、待ってもらってどうするんだ。
稽古場だとこんな状況クビだぞ、
動け私の身体〜!
「大丈夫です、やります」
何が大丈夫なんだ
なんにもだいじょばないだろ、と自分でツッコミを入れながらとりあえずやる。
やる、が、
(え?やっぱりわかんない。頭では理解したのに身体がうまく行かない。わからない。え?なんかすごい違和感。え?なんで?これ大丈夫そ?デモンストレーションになってる?)
なんて、
こんなことで頭がいっぱいになった。
もうわけがわからないままやった。
ああ、でもこれ、
私この感覚知ってるんだよなあ。
2021年に初舞台を踏んでから、お芝居のことなんて、よくわからないまま歩き続けてきた。どうしてもお芝居に苦手意識があって、お芝居「してる風」で進んできてしまって、
どうにかしてくれよ、私ってばなんて下手なんだろう本当にセンスがないと思って生きてきた。卑下してきたとも言い難い、自分では正しい自己認識だとも思う。
だから、正直舞台に立つたびに、演じる喜びや楽しさと同じくらいに苦しみがある。
自分でも本当に俳優に向いてないと思う。
そんな自分と4日目にして
出会いなおした気持ちである。
知ってはいたが、こんな風に対峙するのは初めてだった。
どうしたの?
どうしてそんな風になってるの?
と、心の中で自分自身に問いかけてみる。
「いつだって人に見られるのがこわい」
うん、そうだよね。だって小学生から他人に点数をつけられて生きてきたもんね。
「自分が合っているのかが不安」
うん、だってよくそうじゃない!って怒られたもんね。
「いつもわからない、これが正解なの?」
怒られるってことは正解があると思うもんね。相手を伺って正しくあろうとしてしまうよね。
ずっと持ってる嫌な感覚。
「私はあなたたちに正しいものを、それを提供できていますか?」「いま、私、大丈夫そうですか?」
ずっとそう思ってた。
嫌な自意識が手元に戻ってきてしまった。
せっかく手に入れたものもあったのに。
どうしてこんなに苦しいんだろう。
どうしてみんなは楽しそうなんだろう。
こんなに好きなのに、やっぱり見る方が向いてるのかな、きっとそうなんだろうな。わかってる。でも、わたしやりたいんだよね。
なんでやりたいんだっけね。
ずっとやりたいことをやりたいとも言えずに生きてきた。自分には似合わない、向いてない、きっとできない。人に言われた言葉を自分でも反芻して、支配されていただけでなく、自分で自分に呪いをかけて、辛くて苦しくなっていた。
そう思って生き続けてきた。
でも、もしその生き方を変えられるなら。その一歩をもし踏み出すのなら、せっかく勇気をだすのなら、生まれて初めて憧れていた大好きな場所に行ってみたいと思った。
人生の大きな分岐点といえるくらいには、私には演劇をやるという、最初の一歩があまりにも大変だった。好きなものをやるだけなのに、ものすごい勇気が必要だった。
ああ、だからだ。
大好きな場所にいるから、手放したくないから、この場所に居続けられるような自分になりたいから、憧れている俳優みたいに、上手くやらないとダメで、私みたいに下手なやつは死ねとみんなに思われてるんじゃないかといつもビクビクしているんだ。
でもこれは、私が自分自身をそう思っているから、他人からも同じようにジャッジされてる感覚がずっとあるんだよね。
そんなことをもんもんと考えていたら
講師の先生が、言った。
君たちは考えすぎで、真面目すぎる。
自分がどうかなんて、そんなものは全部見ている人に決めさせたらいい。
きっと皆、誰かをこき下ろそうと思ってきてはいないはず。たとえそんな意地悪な人がいたとしても一部。言わせておけばいい。そんなものは、いまあなたちの中にはなくていいんだよ。
それを聞いて、
「サカナは友達エサじゃない」
みたいだなと思った。
「お客さんは味方、敵じゃない」
みたいな。ね。
まるで、魔法使いのような講師の先生だった。身体のありとあらゆる部分をほぐしてくれた。もしまた出会えるなら、何度でも会いに行きたいと思う。
さあ、自分自身にかけていた呪いをここで終わらせよう。今度はポジティブな言葉を自分にかけて守ってあげるんだ。そうすることで、少しずつ、呪いが外れて自由な身体になりますように。俳優だと胸を張って言える私になりますように。
サカナは友達、エサじゃない
お客さんは味方、敵じゃない
おしまい。