【歌謡ノベルズ】『時の過ぎゆくままに』
あなたに言われて気がついた。こんなに長い時間が経っていたことさえ気が付かずにいたんだ。
あなたは泣いていた。
"生きてることさえ、イヤだ"って。
あなたはすっかり疲れてしまったんだね。
そんなあなたを部屋に残してきたまま、ひとり夜の町を彷徨い歩く。
ここは北国、町は真っ白。逃げてきたボクたちにはよく似合う。あんまり体が冷えるから、ちょっと一杯ひっかけようか。初めての町じゃよくわからない。どこでもいいさ。飲んでしまえば何処でも同じ。
「助六寿司」か。北の寿司屋ね。暖簾に黄色いハンカチか。珍しいな。ウマいのがあるかもしれない。入ってみるか。
"らっしゃい!"
戸をガラリと開けるのが早いか、中から威勢のいい声。
店は小綺麗で、壁には酒屋から貰ったビール片手の水着を着た女の子のポスターや、売れないタレントの色紙や、本数の少ない列車の時刻表なんていうものも張られていない。コの字型のカウンターに四人がけのテーブル席が三つ。他にお客は数人ばかり。
"カウンター、いいですか"
"へい!"
ネタはきちんと捌かれて、目の前に並んでいる。さすが北の魚は違う。
"とりあえず、ビールください"
"へい!"
一人でやってるのか、板さん自らおしぼりとビールを出してくれた。
君の瞳に乾杯!" と言いそうになって口を噤む。
"板前さん、お一人なんですか?"
"大将は、今『網走番外地』で"
深く聞かないほうがいいだろう。北の端が似合う男か。
また、ため息。
いくらあの思い出の歌が聴こえてきたって、だめだよ、ピアノが壊れてるんだ。
あの時も確か、片手で壊れたピアノを弾いては、あなたはため息ばかりついていたね。
"お客さん、東京から?"
"え、まぁ。東京駅からひかり109号に乗ったんですけど、途中で降ろされちゃって"
"そりゃ、運が悪い。大方『新幹線大爆破』でも見た輩だろう。それでここまで"
ビールが沁みる。ゆっくりするか。
"いいですね。北の町は。でも暖簾に黄色って、珍しいですね"
"あ、アレ。大将のためです。目印に"
"あ、ありましたよね。それってあのパン好きなケンさんじゃあない。ケンさん多いな。そう言えばボクの友達の五郎は、「私鉄沿線」に住んでいたけれど、実は途中からタマゴローってあだ名の多摩ナンバー53、日産セドリックに乗って来たんですよ。でもこの辺で赤いファミリアにでも乗り換えておこうかな。ロータリーエンジンの。燃費も良さそうだし"
"そうッスね。それならぐーっと行って『遥かなる山の呼び声』聞けるんじゃないッスか"
それも悪くない。牧場へ逃げ込める。
あの乗り捨てたヤマハ350Rはまずかったか。本物の白バイって、確かホンダドリームだったはずだ。これが命取りにならなきゃいいが。
時の過ぎゆくままに、この身を任せてみるか。
こうやって、あなたと二人、男と女が漂いながらどこまでも堕ちてゆく、っていうのも幸せだよ。きっと。
この北国で、二人で冷たいカラダ合わせながらさ。
ヤマハで転んでついた体の傷なら治せる。けれど、心の痛手は癒せやしない。だけど、こんな所だったら、二人で何とかなるんじゃないか。ここで使ってもらっても。
壁には品書きもない。徹底した職人気質だな。
ま、寿司屋だ、その日に手に入るモンでやってくれるんだろ。
"お客さん、ザ・ピーナッツ如何です?"
昔ピーナッツは手を切るのに高くついたからもう懲り懲りだ。
"いや、乾きものは。今はもっぱら赤福が好きで"
"和菓子の甘党。女もそうです"
"そう、話が合いますね。中身は求肥みたいに白くて弾力がある。でも周りはするっと甘味を抑えたこしあんだ。口に入れるたび甘さが広がる。だけどチョコレートとは違う。今、ちょうどそんなヒトと一緒なんです"
"いや、お客さんだから言っちゃいますとね、『天城越え』ってあったでしょ。清張先生の。アレが、アッシの理想の女で。ちょっと年上、「危険なふたり」"
やっぱり女の話になると、饒舌になるのか。
"そうそう、あの失禁シーン、覚えてます? あれって自前なんすかねぇ"
"あ、そうですよ。本人そう言ってました"
マズい。ボクが誰だかバレるかもしれない。
"えーっと...アカイトリノムスメ、どーしたかなー"
"お客さん、馬好きで? ダメです。うちは馬刺しやってませんぜ"
"(ガラッ) 邪魔するでぃ"
"あ、良かったらカウンター、ここどうぞ"
"なに?そんな答えを待っていたんじゃない! 廊下に立ってなさい!"
"ダメじゃないですか。
すいません、あれでも女子高校の先生なんですけどね。一応お約束なんで、こう返さないと。
邪魔するなら帰ってもらいますっ"
"いやいや〜、そうこなくっちゃ。えっと今日は、特別純米「而今」、貰っちゃおうかな"
"あ、タイタンさんなら、ウマ詳しいですよ。あれ、トリスじゃなくていんですね"
いや、今はウマの話なんてどっちでもいい。
"ところで助六さん、大将には一体何があったんだい?"
"よく聞いてくれましたね、お客さん。いやね、元々大将は大阪ミナミの出なんですけど 流れてここでひっそり真面目に暮してたんです。「ブルーライト・ヨコハマ」出身の嫁様と。ただある時、さっきも出た赤福みたいな女とちょっとね。色々あって町の皆に見られちゃったんすよ背中の『夜叉』を。あの切ないハーモニカのメロディ聴こえて来るとね、ダメなんすよ。それでね、いや、すんません、しみったれちゃったな。飲み直しましょう。これでもどうすか、日本酒のカクテル。〈清流〉って言ってね、ブルーキュラソーとライムジュース入れて振ってみました"
ほー、そんな事が。それで『番外地』送り。ボク達だって気を付けないと。
あなたは大丈夫だろうか。昔を想って泣いてばかりいたからな。幸せな時に贈った小さな指輪が小指に少しくい込んでたね。でもまだ更年期じゃあないだろう。むくんでるのが気になるな。やっぱりあなたも飲み過ぎなのか。
少し食べたほうがいいかもしれない。
"板前さん、オススメは何?"
"へい!お客さん。これも何かの縁だ。助六ってー、呼んでくだせい。じゃ、まずはホタテから"
いやいや、いきなりホタテか。北海産だな。こりゃ、すっごいネタ揃いかもしれないぞ。
「ツイてるね、ノってるね」。
"ヘイ、お待ちっ!"
ホンノウが
多情多感に
手羽の文字
"え!"
何だって?手羽?ここは寿司屋。まさか手羽祭りじゃないだろ。
"あのホタテ、って言ったんじゃ..."
"ヘイ!ホタテで"
や、でも今、手羽だったってば...
あ、なんか違うモン頼んでみるか。
"あのー、助六さん。甘エビってありますか"
あの身がコロッとしたのが好きなんだよな。ピンク色の。
"ヘイ、甘エビ!"
甘い罠
エガオの向こう
美人局
あれ?
"甘エビですか、コレ。ちょっとよくわかんないですよ"
"お客さん、横でなくてね、ココじゃ、タテで。お願いします"
何?タテだって? タテ、タテ。甘、エ、美!!!
こ、こうか。こうやって読むのか。
面白いな。
"じゃあ、助六さん。トロ、お、大トロお願いします"
"ヘイ! 大トロ!"
無難にいってみるか。時間はあるさ、ゆっくりいこう。
"ヘイ、お待ちっ!"
大好きよ
飛び込みたいの
路上でも
うわ。大トロだよ。大、飛、路!!!
すごいイキがいいよ。飛んでるよ。しかも路上で! 恋バナかよ。もう一個いっちゃおうかな。
"え、えっと、じゃあ、寒ブリ。ありますか。髪の毛がフサフサになるっていう"
あるさんに頼んどいてやろう。早めに。腹壊すと困るから。
"ヘイ、寒ブリお待ちっ!"
寒いねと
分厚いその手
離さない
きたっ! 寒ブリ。か、寒、分、離!!!
ウマいな。こんな旨いの見たことないよ。これはまさに助六さんからあるさんへの愛の寒ブリだぞ。あるさん、待ってろ。持ってってやるから。
"いやっ、旨い。助六さん旨すぎる! "
お腹いっぱいにはならないけど、二の句が継げないくらい旨い。
"助六さ〜ん、お忙しい処モ〜シわけないですが、こっち炙りサ〜モンお願いしまッス!"
"アイヨッ! 琴さん、炙りサ〜モン。あ、あちらはね、吉野路の方から炎鮭の体外受精師として来ている琴花酒さん。
そろそろだったかね、ぶっかけ祭りは"
そうか、そうやってこの北国の鮭を増やしているわけか。サイエンスですな。そうだ、あの人ならサバンナモンキーの秘密も知ってるかもしれない。
"ヘイ、琴さん、炙りサ〜モンお待ちっ!"
"アザッス!"
あぶないよ
無事に終わるか
理科実験
最後の詰めで
問題発生
お〜、サイエンスネタだ。
"あの〜、すいません。もしかして炎鮭の専門ならサバンナモンキーにも詳しいだろうと思って。あれ、お尻の色って何色なんでしょ?"
"そりゃ〜、もう、スカイブルーですな!!"
ほぅ〜、やっぱり知ってる。
あ、この店、カラオケも出来るのか。何だっけ、この曲懐かしいな。
"坂本九ですね。カッピーさんお得意の"
🎶見上げて魚卵〜、夜の星を〜🎶
見事な魚卵だ。キラキラしてる。
"カッピーさん、何か握りましょうか"
"今日は嫁様が、佳麗に華麗なカレイを作ったんで、食べないわけにいかないじゃないですか。だから、ヒラメぐらいならネギを値切って握ってもらってもいいじゃないですか"
"ヘイ! ヒラメ、お待ちっ!"
ヒサ方の
ライトなキスに
メを細め
お〜、美しい。カッピーさんにヒッピーでハッピーでラッキーなドッキーんなネタじゃないですか。
粋なことするな、助六さんも。
時の過ぎゆくままに、この身を任せてみるか。
こうやって、あなたと二人、男と女が漂いながら笑って暮していかれるのなら。
"そうだ、助六さん、頼みがあるんだけど。持ち帰り用に握ってくれないかな"
"もちろん、お客さんの頼みなら"
"良かった。じゃ、まずマダイを。
"ヘイ! マダイお待ちっ!"
真夜中に
抱いてキスして
今宵こそ
くーっ、旨すぎるー。ベロベロなマダイだな。
"それから、最後にアナゴもお願いします"
"ヘイ! アナゴお待ちっ! "
愛してる
何度も言って
ゴマかさず
ひゃー、濃厚なアナゴだ! 喉から手が出そうだ。
"これで土産は完璧ですよ。お腹は全然いっぱいにならなかったけど、助六さん色々ありがとうございました"
"いや〜、3億円。上手く持って逃げてくださいよ。何かの時は寄って下さい"
助六さんっ...
このままずっと、もしも二人が愛せるならば、窓の景色も自然に変わってゆくんだろう。
北の癒やし屋「助六寿司」。
時の過ぎゆくままに。
※今回は私の尊敬する、以下の諸兄氏の記事を参考に書かせて頂きました。Merci😘
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