【マイソングス】 オーヴェルニュのフィアンセ "Les Fiancés d'Auvergne" / アンドレ・ヴェルシュラン (1966)
みなさ〜ん、ぼんじゅ〜〜る!
前回の【マイソングス】から約一年。
時計屋さんでお仕事しているからって、時間がいっぱいで♪困っちゃうな〜♥、なんてことはなく、やっぱり一年が過ぎるのは早いものです。
そして、去年note公式入りで、大変たくさんの方に愛して頂き、過去記事の中でも断トツのヴュー数を今だに記録中💋。
本家おフランスの音楽記事だったこちら。
そして再びの【マイソングス】はやはり、おフランスもので!
先日、ポイフォトしながらふと思い出し、
「元気でいるといいな。」
と祈っていると、
ま、まさかー!
の再会を果たしたあのおじさん😆
とてもよく会うので、ホントに赤い糸で繋がっているのかも!?
そしていつも会うと弾いてくれる十八番がこの曲!
アコーディオン曲の定番(というかおじさんの定番)、『オーヴェルニュのフィアンセ』。
通勤途中の姐さんを捕まえて、朝からお喋りの止まらなくなったおじさんが残した情報の中で最も気になった、「アンドレ・ヴェルシュラ〜ン」の名。
今回のカギはココだっ!
おじさん、情報提供メルチ♥
まず、タイトルにもなっているオーヴェルニュとはいったいどこ?
フランスのおへそ、休火山もある山地であるオーヴェルニュ。肥沃で湖や牧草地も広がってのどか。昔から、パリ等の大都市へ出稼ぎに出る人が多い地域。
姐さんは苦手ですが、チーズ好きには この地方のブルーチーズも有名。
そんな訳で、みんな匂いのキツいブルーチーズを食べながら、故郷とそこに置いてきたフィアンセの匂いを思い出していたんでしょうねぇ。
そして、この超絶技巧で唸らせるアコーディオニストは?
アンドレ・ヴェルシュラン
別名「キング・オブ・アコーディオン」
ほーぉ。
こんな人にアコーディオンの蛇腹で挟まれたら、イっちゃうかも!?🙄
いやん♥イタい、イタい。
そう、このアコーディオンは、「蛇腹楽器」と呼ばれまして、ジャバラに空気を送ることで音が出ます。
元々は中国から来た雅楽の笙と同じ原理で、空気を送り込むと音が出るフリーリード楽器。
ハーモニカにもよく似ていますね。
18世紀に中国に来たヨーロッパ人もどうやらお持ち帰り。研究開発を続けたようです。
では、
Q1.アコーディオンそのものを発明したのは誰?
1) ドイツ🇩🇪のブッシュマン氏
2) オーストリア🇦🇹のデミアン氏
3) 上の2つ以前にロシア🇷🇺にすでに同様の楽器があった
諸説あります。
そして、戦争になりかねない選択肢なんですが、どれも間違いではなく、似た楽器は存在したんですね。
一応ここでの正解は、2)のデミアン氏。
1829年に特許許可局で許可下りてます。
(舌、噛まないように)
デミアン→ ディオンで近いし。
さすがウインナーワルツが日常の国、オーストリアのデミアン氏の願いは、
「音楽の知識が無くても、簡単に弾ける楽器が欲しい!」
さすが庶民の味方。
そして、その小さな楽器は、すぐに南下し歌好きなイタリア人のお供に、はたまたベルギーまで行き発展します。
では、
Q2.アコーディオンのメリットは?
① 同時に複数の音を鳴らすことができる。
トランペット等は単音しか出ないので、ソロ楽器。人数が多くないと合奏ができません。
② 一人で持ち運べて扱い易い。
移動したい時はコンパクトが一番ですよね。
ピアノはすぐに持ち上げられません。
アコーディオンの場合は2kg〜15kg。
③ 立奏、歩奏が可能。
寝歩きする人もいるらしいですが、歩きながらでも演奏できます。
長時間の移動が楽しく!
④ 屋外演奏にも適す。
オープンエアでの演奏ができると、気軽にコンサートやダンスができるように。
⑤ 弾き語りが出来る。
首振りまでに三年を要すのは尺八。でも尺八で伴奏しながら歌う、とかはちと厳しい。おしゃべりしながらでもOK。
⑥ 安価である。
一昔前は、「貧乏人のピアノ」なんてあだ名がついていたぐらいです。
今では逆にとてもお高いのもありますが。
と、こんなに良い所がたくさんあるアコーディオン、あっという間に世界のあちこちへ広まっていきます。
しかし時はまだしも19世紀。ネットなんてない時代。
とは言え蛇腹楽器だからといってヘビの様に地を這って移動することはありません。
では、
Q3.どのようにして世界に広まっていった?
①船乗り
小さく持ち運びが簡単なので、長い海上を過ごす友として同船している場合が多く、あちらの港、こちらの港にイイひとが居るように、寄港した土地でもデモンストレーション。すぐに耳コピ、紙コピ出来る人ってどこの国にでも居るものですし。
②移民
こちらも船での長旅とパッキングのコンパクト加減がポイント。丈夫であるなら尚更ウレシイ。オルガン担いで新世界へは行きにくけれど、アコーディオンなら大丈夫そう。
③行商人
小さい楽器なら持っていって、その場で売って、お金が儲かる。
または何かを売って歩かなくてはならない人の心の拠り所に。
④旅芸人
昔から芸は身を助く、と言って他人より優れた芸のある人は、何処でも生活していかれるもの。この町飽きたら次の町。荷物は軽いほうが良い。見たことのない楽器に投げ銭してくれる輩はどこにでもいるもので。
⑤軍人、強制収容所
戦争は色々なことのエネルギーになる側面もある。自分の意志でなくても小さな希望は持っていたい。悲しいけれど、持ち主を失った楽器たちは、その友に拾われる。
⑥宣教師
キリスト教伝来の時には讃美歌も一緒にやってきた。元々教会では小さなオルガンで伴奏することが多かった。他の土地での布教なら、目新しくてオールインワンのコレっきゃない。
これだけ並ぶとわかるでしょうか。
音楽のような無形文化の普及に大切なのは、人の移動と好奇心。
その波に上手く乗って登場したのが、こちら。
イヴェット・オルネ。
別名「ミュゼットの女王」。
曲は、『モン・ツール・ド・フランス』。
「移動」することを武器に知名度をぐん!と上げた彼女。通算70年のキャリア、フレンチ・アコーディオン界の大魔女…じゃない大御所は、おフランス人の毎年夏のお楽しみ! であるツール・ド・フランスの先頭で、シトロエン・トラクション・アバントの屋根に乗りながら演奏。
これで彼女に人気も一気に急上昇!
行き当たりばったりな姐さんも一度、ボルドーにて偶然ツール・ド・フランスのキャラバンに遭遇したことがありますが、今日ここを通ることがわかると、朝からその町はお祭りなんです。町をあげて今か、今か、と待ち構えてる訳ですよ。その待ち時間に、選手でないキャラバンが、たくさんある協賛の宣伝をする訳です。その為、沿道で陣取ってると、イヤでも全てのキャラバンをチェックして、一喜一憂することになるんですね。
そこへアコーディオン界のアイドル(イヴェット)が登場する訳ですよ。さすがに姐さんはイヴェット見たことないですけどね(ここ結構大事)、そりゃもう大騒ぎなんですよ。それで、いよいよ実際選手達がやって来ますよね。
来た来た来たっ! ピューーー。終わり。
でもそれ、ホンの一瞬。めちゃスピード速くて。カメラなんか構えてても意味ないんです。とっくに通り過ぎちゃってるんです。で、みんな、あ〜、行っちゃったよ。で本日の行程、終了。
というのがキャラバンの様子なんですが、これで如何にイヴェットの存在が大きいか、ということがおわかりいただけるでしょうか?
選手一人一人の顔は覚えていなくても、イヴェットの顔は忘れられないんです。
ついでにお知らせしておきますと、今年は、ツール・ド・フランス、通常通りのスタートですからね。
どーぞ、お見逃しなく!
そして、それがどれだけ大きな存在だったか、と言うとこれを見るとよくわかります。
こちらは1969年の新車、ルノー12TL。
ルノー特有のビミョーな色合いパレット。
全体的に丸みを帯びた、悩ましいくびれを持つボデーが、あはん♥
そして中を拝ませていただくと...
いやん♥
悩殺! このハンドル! 蛇腹型〜〜!
その名もまさに、
「イヴェット・オルネ」ハンドル🤩
それから、ダッシュボード、ここも蛇腹を彷彿させる何だかニクいデザインでよじれる〜!
そしてヘッドレストもない憧れのベンチシート😍
しかもイヴェットが乗ってたのは、シトロエンだったんですよ。それなのにルノーがこの通り。
姐さんもびっくりです!
お話をアコーディオンに戻しましょ。
軌道修正、オーライ🤚
では、「ミュゼットの女王」をご紹介しましたので、ミュゼットとは?
先程オーベルニュ地方の紹介をしましたが、土地柄放牧等も多いことから、この地方にはバグパイプも存在し、そのバグパイプを使った民族舞踊曲がありました。その舞踊曲はゆったり三拍子。
そのバグパイプを持って出稼ぎに降り立つのはパリ・リヨン駅。数ヶ月前に姐さんもプチトリップしてきたので、記憶に新しいかとも思います。
この駅にはフランス東南部からの列車が到着。もちろんオーベルニュからもこの駅下車。
また国際列車もやって来ます。主にイタリア、スペイン東部から。
日本でも東北からの列車が上野へ到着し、繁華街ができるのと同じ原理で、パリ・リヨン駅を降りて10分も歩けば、バスチーユ広場へ。
この界隈で出会った、三拍子で踊るオーベルニュ人と、アコーディオン抱えてやって来た陽気なイタリア人がマッスルドッキング🤩
と出来上がったのが'30sパリのカフェ音楽、ミュゼット、でございます。
そして踊れるカフェのことをカフェ・バルと呼んでおりました。
しかもオーベルニュ出身でカフェをやってたムッシュの娘と、アコーディオン製造会社の息子が結婚した、ってんですから、一気にミュゼット大流行!
落語のようなホントの話。
そして第二次世界大戦が終わった後には、パリもドイツの占領下に置かれますが、そのときに国民の心を救ったのが、このアコーディオンの音色、ミュゼット。
アメリカから既にジャズが入ってきてはいたものの、この時期はアメリカのジャズさえ禁止とされていましたので、以前ご紹介した、ギターのジャンゴ・ラインハルトを始め、国産おフレンチジャズの需要もアップ。
するとここで、フレンチアコーディオン界、なくてはならない三人の登場です。
まずギュス・ヴィズールの『スイング・ワルツ』。
トニー・ミュレナの『インディフェレンス』。
そして、ジョー・プリヴァの『バラジョー』。
いやん♥
おフランス🇫🇷な音色! ムンムンでございますん。
姐さんも以前はこのバスチーユ辺りのバーで夜な夜な遊び歩いておりましたっ!
今でも『BARAJO』というカフェ・バルが残っております。
一方、我国日本では!?
我国が世界へ向けてようやく開国したのは西暦何年だったでしょうか?
先日、家族デイズの下田を楽しんで来た姐さん。
開国は、イヤでござんす、ペリーさん!
ってーことで、1853年!
しかし日本渡来最古と言われる、島根県の美保ジンジャーには、こんなお宝が。
これはどうやら鳴り物好きな歌舞音曲の神、コトシロヌシノミコトへ1840年代に献上されたオーストリア製。
開国前のお品物でございます。
そしてその後、九州では。
イヤ! な、なんと西郷さん。
1877年には西南戦争が勃発しますが、その時に早くもアコーディオンを持ち歩きながらこの戦争に参加していた、という強者、村田新八。
薩摩藩士で、岩倉使節団にて欧州へ渡り、その時に持ち帰ったというモダンな音楽好き。
その後、1896年(明治30年代)には、
こんな独習用教本も出版され、第一次ブーム到来。第十三版も、版を重ねているところからもその流行ぶりが伺えます。
また、挿絵を見てもわかるとおり、「手風琴」と呼ばれ、小さくて扱いやすいところから、良家の子女にはぴったりな娯楽性も持ち合わせていた訳ですね。
ただし、このボタン式、当時全て輸入品。
貧乏人のピアノとは言え、そう簡単にはまだ手の出せる代物ではありませんでした。
そして、イヤ! な、なんと西郷さんが戦争をしている頃、蓄音器を発明した(1877年)エジソンの功も奏し、1930年代にパリで流行っていたミュゼットが日本へもやってきて、昭和10年代には第二次ブーム到来。
そして現る宝塚少女歌劇で一気に盛り上がるシャンソンショー!
その後、第二次世界大戦によって、全てが中断される訳ですが、そこは小さな力持ち、大衆の味方、アコーディオン。
戦前はやや高価であったピアノ式アコーディオンが、昭和33年に小学校の合奏用教育楽器として指定されるや否や、ピアノ式もまたたく間に大衆楽器への仲間入り!
昭和35年頃からは、第三次ブームがやって来ます。
そしてこれを合わせて、日本におけるアコーディオンの3つの黄金時代を迎える訳でございます。
さて、我が日本で、『アコーディオンおじさん』と言えば、この方を置いて他にいらっしゃいません。
数々の生番組での臨機応変な伴奏、戦後のアコーディオン普及に多大な影響力を残したおじさんと言えば、こちら。
横森良造さん。
本日、こちらを見ながらのお別れでございます。
いつもながらの長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございましたっ。
それではみなさん、またの日を!
マイソングスを聴きながら。
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