【歌謡ノベルズ】『カサブランカ・ダンディ』
昔、あの男はアタシの頬を張り倒した。事の始まりは覚えてないけど、聞き分けのないアタシを。アタシはまだ若すぎて、そうすることがあの男を喜ばせるんだとは知らなかった。それからあの男は黙って煙草を吸っていた。満足気に、アタシにくるりと背中を向けて。だから、ぷいとしたままハイ、それまでョ。
マンションの名前は確か、コーポ・カーサブランカ。
白いスーツの似合う男。帽子が好きで壁に沢山掛けてあった。被り方は気障に斜め。それをフリスビーの様に投げるのが趣味。
好きな映画は『カサブランカ』。あれのボギーに参ってた。そう、ピカピカの気障な男のお手本。
スーツの着方もボギー、煙草の吸い方もボギー、歩き方さえボギー。
アンタの時代は良かった。
口ぐせは"君の瞳にカンパイ"。アタシは辛口のシャンパンが好きなのに、あの男は甘口のピーニャ・コラーダばかり飲んでいた。カリブ産ホワイトラムにココナッツミルクとパイナップルジュースを入れた白いカクテル。そんなタイトルの曲もあった。時々クジラが潮を吹くように、そのピーニャ・コラーダをピーっと口から吹き出した。そして酔うと決まったように聴くのは「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」。このピアノのメロディを聴くと思い出しちゃうな。あの嬉しかった頃。
余りにも好きすぎて、カラオケじゃいつでも、
♪"時の過ぎゆくままに"。
でも、それを耳にするのは辛い。
だったら、『カサブランカ』なんか見るのはやめて、パロディに転べばいい。ウディ・アレンの『ボギー! 俺も男だ』なら笑えるかもしれない。『カサブランカ』が好きすぎて、女に逃げられた男の話。
まったく、もう。やれやれなあの男。
アンタの時代は良かった。
頭からつま先まで真っ白でキメる。何だかすべてがパントマイムを演じるように。
白いスーツの下には白タイツ!? え、その下にはセクスィーな男の象徴白ブリーフ!?
きゃっ、でも、それがまた、最高。
だ、だから、例え張り倒されても、例え押し倒されても、もう、全然、構わない。
そうやってしゃべり過ぎるアタシの口を塞ぐのは、あの男の冷めたキス。ちょっぴり甘いピーニャ・コラーダの味。
アタシは躰の線がはっきりわかる黒いドレスで男に近づく。あとは、この背中のジッパーをつまんで下ろすだけ。男は、何も言わない。他に何もすることはない。
横で滴る白いアペリティフ。
わかってる、そう、あ、いや、そんな、だめ。
いいの、やっぱり張り倒して。お互い承知の上ならば。
アタシだって辛いお芝居続けてるだけ。ただ、思い出を積み重ねて。あの男のヤセ我慢も、なんだか粋に見えてくるってもんだわ。だから戻って来ずにはいられない。
ふと、アタシの大きな荷物にやっと気付いたあの男。そしてひと言。
"それ、カサバランカ?" あ〜〜、ダンディッ。
◆◆◆◆◆
ダンディな男は放っておけません。
こんな衣装が似合うのも、ジュリーだけ。
ただ一つ、とても気になるのは、
左手にしている金時計。
どなたかご存知ですか?この時計?
[追記]
今回もクジラさんの記事に感動して書かせていただいたことをお知らせさせて頂きます。
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