正直、書き始めると、何から書いて良いのやら。 振り返ると、いろんなことがありすぎて、手が止まってしまった。 母の認知症の予兆が始まった頃から、わたしは日記を書き留めていた。 それは、書き留めていた。というよりも、 自分の気持ちの整理や、思いを吐き出すため。のようなものでしたが、 これを機に、押入れの奥にある日記帳たちを探してみることにした。 しかし、2010年より前のものが見つからない。 そーいえば、 数年前の引っ越しの際、 ” 今を生きねば!” と、何冊か処分し
母がおかしい、、、。 と初めて気づいたのは、当時、近所に住んでいた長男(一番上の兄)だった。 ちなみにわたしは3人兄弟。 6歳上の兄と、4歳上の兄、そしてわたし。 長男は、当時、すでに結婚し、父と母の住む実家から徒歩10分程のところにアパートを借りて住んでいた。 兄が奥さんと共に実家に遊びに行っている際、 近所のコンビニに牛乳を買いに行ってくる。 と散歩がてら出かけた母から、数十分後に電話があったそうだ。 「帰り道がわかんなくなっちゃった。」 実家は、父と母がそこ
20年前は 「認知症は治らない。」 と言われ続けた。 母も、 どのお医者さんにかかっても、有名大学病院の先生に聞いても。 残念だけど、治らない。治療法はないです。 進行を止める方法はありません。 と、言われ続けました。 わたしは当時から、 その言葉になぜか納得がいかなかった。 何か方法はあるはずだと、漠然と、ずーーーっと思っていた。 だからと言って、自分一人ではなにもできなかった。 現在でも、治らない。と言われているかもしれないけれど、進行を遅らせることは確実に可能
約2年前の2018年、年末。 風花が舞う、空が青くよく晴れた日の朝、最愛の母が旅立った。 そして、 母の三回忌を目前にした、昨年、 母の待つ天国に誘われるかのように、父もあちらへ行ってしまった。 母は、享年74歳。 約20年間の闘病生活を、最後まで力強く生き抜いた。 父は、母の闘病生活を、一番近くで見守り、支え抜いた。(と思う。) もちろん、多くの人に支えられながら。 2年前の夏のおわり。 母の容態が思わしくない。 と父から連絡があってから、わたしは、『親孝行』とい