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日記

夏が終わった。寂しい。課題をやるタイミングを見失った。詰み、である。

(STAYCにハマりそう。今回のコンセプト凄く楽しみ。)

検索履歴は寝ても寝ても眠い、とか過眠、とかいう言葉で埋め尽くされている。考えすぎかはわからない。今日も一日中眠い。結局何時に寝ても眠いから寝たくない。今日も何とか生きた。目先のしあわせを目指して走る日々は一瞬で過ぎ去っていくし、眠気がそれを更に強くする。今も眠い。寝たい時に寝たい。一日中寝ていたい。でもそうするともっと一日は早く過ぎて行って、夏休みは終わってしまう。どうしよう。

ふと思考を巡らせると、如何に自分が焦っているのかがわかる。こうしてそわそわしているうちに息をつく暇のない日常が戻ってきてしまう。地獄か?

最初からこの世は地獄だ、というのはその通りだと思う。元から命綱が体にくっついているひともたまにいるけど、私はなかったから、なんとか命綱を見つけてしがみついて生きている。針の山の上も綱に頼れば歩ける。たまに感じる焦りは擦れていく足の裏。憂鬱は針が刺さった瞬間。たまに綱を離してしまう時もある。そこに長くいないように、毎日サバイバル。

ネガティブ思考は自分にとって損だ。だからこそ吐き出さないともっと損が蓄積されていく。一旦自分の駄目さと不調を認めたから、次ひとりきりでゆっくりできる日に生き生きと過ごすために、明日もなんとか家にこもって生き抜いて、勉強もしないと。悲しいけど、”できる自分”より”できない自分”の方が人生に多い。それは認めていいことだと思う。偉いぞ、私。

私に必要なものは、そう難しくない。派手な暮らしはしていないからだろうか、関係ないか。小確幸がもっとほしい。

何にも追われない朝。ツイートへのいいね。コーヒーをひとりで飲む瞬間。雨の音だけを聴く午後。洗い立ての布団に一日の疲労を沈めて、目をつむる。そういうのがほしい。そういうのをためるようにしている。

カレンダーをめくり忘れても、部屋が汚くても、夜更かししても、小言を言われない世界に逃げたい。でも、逃げられない。現実から切り離された場所、アイドルを見れる場所に逃げて耐えている。それでいい。アイドルは現実のごたごたとは無縁のキラキラした希望の存在で、でも私以上にごたごたに巻き込まれているに違いないと思う。その事実が嫌で、でも私も推しも生きていることの証明で救いなのだ。ちょっと複雑。

丁寧な暮らし、いずれできるようになるかなあ。

夏の気配におびえ、夏の到来を悟った今年。のうのうと過ごしているうちに夏の匂いがしなくなった。この喪失感を味わいたくないと初夏には思っていたのに、駄目だった。無性に寂しい。明日が嫌だ。今回の焦燥感としんどさの正体はなんだ。ホルモンバランスなら許さない所存である。

天気予報はしばらく曇りだし、世の中はクソだし、私の生命力もクソだけど、人生は続いていくと数多の推しが言っている。

私に夏の終わりをしみじみと過ごせるほどの思い出はなかったが、皆さんはどうだっただろうか。あったから良いというものではないから、ありのままで生きていきたいな。ありのままで生きるということは今の世の中では難しい気しかしないが、極力逆らって生きていけるようにしたい。

今憂鬱の正体がひとつが分かった。買った夏服まともに着れなかった。秋服も無ければお金もない。ああ、悲しきかな。あんなに苦しかった猛暑すら懐かしい。都合が良すぎる私。

明日の朝ごはんは食パンだったはずだ。やったぜ。朝は辛いけど、パンは美味しい。どうかパンが”私の幸せ”になってほしい。

目の前にはカムバと学校。少し遠くにまたカムバ。SNSを楽しんで、できる範囲で話して、エナジーを得る。TLのひとたちがみんな生きていることにやる気を得る日々は私にとっては最高だ。いつもありがとう。

今日のことを書こうとしたら日にちを超えてしまったからもうこれは日記ではないかもしれないが、まあよし。私の朝に推しあれ。あなたの朝にも推しあれ。明日も目指すはDIVA&GAL、でも実際は怠け暮らし、せめてこころはGALで。

誰かから得れる幸せが半永久的に存在する世界で、頑張ったり、頑張らなかったり。私は、私たちは、生きている。

”できない私”が多い人生なのだ、最近”できる私”が多かったのは稀なケース。できないを標準にするのはちょっと残酷でむなしくて、でも自分を守れるから、なんとなく、なんとなく、進む。小確幸を噛みしめて。

ごめん、もう少し夜更かしさせてくれ、私。今日は昨日ほど眠たくない。今が幸せだから。

ひとまず夏が終わっていくことを受け入れようと思う。カレンダーはめくった。今日の日付は…全然8月。

…なんで8月に夏を諦めなきゃいけないんだ。

ああ振り出しに戻った。これだから、明日の朝も眠くなる。

おやすみは、今日も画面に向かって。言葉は、自分への呼びかけに見せかけて、あなたへの慰めとして。

明日も生きて、画面で会おう、誰か。