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祖母への手紙その5ー緑の指

ケアハウスで暮らし、現在コロナ予防のため面会禁止中の祖母にときどき手紙を書いています。

おばあちゃん、元気ですか。東京は6月に入って、雨がちながらも爽やかなお天気が続いています。まだまだ油断はできませんが、緊急事態宣言も解除されて、街に活気が戻りつつあります。私の仕事は、自粛期間中も過去のデータやコンピューターを使って、のんびりしたペースで続いていましたが、完全な再開にはもう少し時間がかかりそうです。またこの期間中に、社会のあり方もいろいろと考え直されることがあり、前とはすこし違った「日常」が始まるのかなあと思っています。
ずっと臨時閉館が続いていた美術館も人数制限を施しながら開館し始めました。今日は手始めに、東京都庭園美術館へ行ってきました。おばあちゃんもよく知っている、駅の向こうの朝香宮邸跡です。建物の美しさもさることながら、今日はゆっくりとお庭をまわりました。茶室と池のある日本庭園は、こんなに時間をかけて眺めるのは初めてだったかもしれません。もちろん、土地の少ない東京のことですから、大した広さはありませんが、狭い中に季節ごとの花が順番に咲くように、どの季節にも美しい光がさすように、綿密な設計がなされています。そしてふと思い出したのです。おばあちゃんの家の庭の、白い椿の花のことです。
いつだったか、遊びにいったときに見せてくれましたね。「これは、おじいちゃんと東京に行ったときに、朝香宮のお宅跡で咲いていたのを花泥棒してきたのよ、それを山口に帰って庭に挿したら、こうして根がついて、大きくなって、ねえ。」東京から山口まで、飛行機か新幹線かは聞きませんでしたが、長旅をしっかり生きておばあちゃんの庭に根を張り、そしてそこで何十年の季節を過ごした椿、私は驚きとまたそれ以上の感動を感じました。あのとき確か、その椿の写真を撮ったと思うのですが、それを一緒に送ろうと思って探してみてもパッと見つからず・・・おばあちゃんに似たのか整理整頓の苦手な質ですから、写真の整理が不得手です。
子供の頃からずっと、おばあちゃんに「花泥棒は罪にはならないのよ」と教えられて育ちましたが、どうやら軽犯罪になるようですよ。朝香宮から椿を持ち帰ったことはおそらくもう、時効でしょうけれど(笑)。
おばあちゃんのことを考えるとよく、「green finger」という言葉を思い出します。英語ですが、日本語では「緑の指」という意味です。欧米では、植物を育てる才能のある人のことをこう呼ぶのです。朝香宮の椿に限らず、君子蘭も、大文字草も、なぜかおばあちゃんの家の庭ではよく育ちますね。父も母もよく、不思議そうに首を傾げていました。まさにおばあちゃんは「緑の指」の持ち主なんでしょうね。おばあちゃんの家の庭の椿は、もとはこの朝香邸の庭のどの木だったんでしょう。探してみましたが、花の時期ではないせいか、見つけることができませんでした。また冬に探してみますね。
今日の庭園美術館の様子を少し、送ります。おじいちゃんと行った時のことを思い出してください。もうしばらく、面会禁止の期間が続くと思いますが、元気でね。お盆には会えるといいですね! 未知
2020年 6月2日

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この手紙に書いた「君子蘭」の名前が思い出せずに、母に電話をかけた。母からはほぼ毎日電話があるが、私からかけることは少ないので驚いていた。母も60代後半になって、同じ話を何度もするようになった。とはいえその「同じ話」はある一つの話である。すなわち、去年の夏にケアハウスに入った祖母の家、その主人の居なくなった家、母にとっては実家であるこの家がすごいスピードで痛み始めたという話である。そしてその庭の手入れのされない草花が、絶えはじめたという話である。まだ見ていない私にその実感はないが、これほど母が心を痛めているかと思うと悲しい。彼女は普段、生花の教授をしており、月に何度かこの家へ行って仏壇の花を生け替えたりしている。しかし彼女もこの、「緑の指」の持ち主ではないのだった。私に子供はない。姪や甥がこの才能を受け継いでくれていたらいいと思う。


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