20230910[「悲しい人にならないように」ではなく「素敵な人になろう」]
私は気楽に生きたいだけ。
誰かとあらそいたいんじゃない。
「私が働いてるときには誰かが休んでやがる」
じゃなくて、
「今、誰かが働いてくれてるから私が今休める。本当にありがとう、お疲れ様」って思いたい。
前者はお笑いになるけど、お笑いに昇華できる場がないならこんな思考は要らない。
日常に素人のお笑いは要らない。
少し前まではこんなふうに考えられていた気がするってのに一体私に何があったのかな。
それを私に言って、どう返してほしいの?
ということを言われた。
「今日、平日の昼間なのにカフェが満員でさ、こいつら何してんのって思った」
「ノマドワーカーじゃない?」
「いや見るからに休日の格好」
「平日休みじゃない? それか休暇中の学生とか」
「はぁー?」
私は平日休みだ。
そして大学を出ている。
平日の昼間にカフェで寛ぐ人がどんな人かも知っているし、大学生の日常も知っている。
その言葉でストレートに傷つく人間が目の前にいるのに、なぜ言えたのだろうと悲しくなった。
できるだけたくさんの人の気持ちを想像できないって悲しい人だねって思った。
彼女の目につくSNSに書き込みそうにもなった。
悲しい人、まで打ち込んで、手を引っ込めた。
ネガティヴは電波に流さないって決めたのに、ないないづくしの言い訳をバネにするって決めたのに、形に残すものはキラキラと輝くものにしようって決めたのになぁと、苦笑い。
そうだ、かっけぇ大人になるのが25歳の目標だった。
私の知ってるかっけぇ大人は、いつだって過去を後悔なんてしていない。
少なくとも私の知るところでは。
打消ではなく、期待を散りばめた明日を過ごそう。
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