220503 ネガティブタイプの承認欲求
自分が不甲斐なくなったり、少し失敗したり。
うまく行かないことがあると、消えたい、死にたい、苦しいと一人で泣いてしまう。
大人にとっての涙は、キャパオーバーですよの印だ。
正しい人でありたい、頼れる人でありたい、何事もトラブルなく無事に生きていたい、と常に思っている。
それなのに、動けば必ず何かをやらかすし、慣れないことをすればトラブルに巻き込まれる。
理想と現実の自分とのギャップを受け入れられず、泣いてしまう。
また、それも情けない。
生きていけば行くほど、どんどん社会に必要の無い人間になっていくことをひしひしと実感してつらい。
そして、そのつらさを埋めるため、行き場のない怒りと悲しさを涙やSNSという形で噴き出してしまう。
冷静に客観視の真似事などして、このように文章としてしたためているのもまた、一つの防衛である。
これをウザがる人もいるし、通常時の私でも、正直少し寒いと思う。
真っ黒背景に白文字のインスタストーリー。
この一言だけで噴き出したあなたは、私とはウマが合わないかもしれない。
『さむいなー。でもわかる。つらいよね。誰かに受け取って知ってほしいよねそのつらさ。』
日本人なんて皆排他的で、自分と自分の周りの環境しか興味も持たないのではないか。
失敗時は、この思い悩みを5回は繰り返し、自殺の名所まで調べて……空腹を感じて飯をかきこみ、リセットされる。
白文字ストーリーは少なくとも私にとっては、どん底からのヘルプの承認欲求だ。
無条件に愛して、大丈夫大丈夫と言ってくれる人がそばにいないからこそ、万人の目に自分の不幸を晒し、さらすことで溜め込んだ行き場のない気持ちを分散しているのだ。
「誰か……いますか……私は……死にそうです……でも死にそうなだけなのでほっといていただいて構いません……死なないので……でも、助けてほしい気もする……」
という声が文面から伝わってくる。
これをdisること、それはあまりにも冷たい。
この世界には無条件な優しさが少ない。
優しさには見返りがあり、見返りがなければ優しくできない世界。
私は知っている。
だからこそ、助けてください……を聞き取れたなら、そして助ける術があるのなら、絶対に助けてあげてほしいし、助けてほしい。