現実と理想。の周りにある何かの雑記。それはただの現実逃避なのかもしれない。
視界の端から端まで見渡せる空が、
とてつもなく恋しい。
刻々と色を変える
マジックアワーの幕開けと夕焼けの背中を
心ゆくまで追いかけていたい。
その一瞬は
今日という一日よりも長いということを
ずっと信じていたい。
自分が一番よくわかっている、つもりだ。
所詮、わたしの悩みはありきたりである。
所詮、人間の悩みはありきたりである。
たとえ、わたしがもがこうとしても
社会は今日も動いているし、
世界は今も回っている。
恩恵にあやかって今日も何者かにながされて生きながら
そんな世界を心のどこかでは恨んでいる。
わたしの一挙手一投足の積み重ねが
世界を巡り巡って誰かを殺めているかもしれないという
誰も肯定も否定もできない可能性に
されど目前に日々迫り来る可能性に
恐れ慄きながら、のうのうと生きている。
理想と現実の二つの世界の繋ぎ目が
どこかにあるんじゃないかと
いや、きっとあるはずだと
まさか、ないわけないじゃないと
そう願いたくて、ここに戻ってきた。
でも目の前に転がっていたのは
現実、現実、現実、現実逃避、現実、現実逃避、現実
こんなような光景で
その景色を想像することは容易だったけれど
いざ目の前にすると戸惑った。
「現実」は往々にして「利害調整」である。
その「現実」は
理想の対義語なんかではなく、
現実逃避の対義語であって
そんな事実からも逃げたくて
わたしは根拠もなくその光景を忌み嫌っている。
忌み嫌いたいけれど
それでもやっぱり現実は時間によって
わたしの目の前に流れてくるのであって
そこから逃げるでもなく、
上流を問いただすでもなく、
丸ごと飲み込むことしかできないわたしは
そろそろ私に対して怒ってしまいそうで
そうしたら、もう全てがおしまいのような気がして
それがわたしにはとても怖い。
…そんな1ヶ月だった。
どこに向かって歩いてるのか
もう全く分かんなくなっちゃって。
だから、そんな時だからこそ、
空を見上げてうたを歌い、本を読んだ方がいい。
じぶんの内側の世界を
もっと色鮮やかに
もっと豊かに
そしてもっと深い光と闇を宿して
そんな世界を
周りにいる大切な人たちに開いていきながら
地面を掘り進めて
空の果てまで飛んでいくんだ。
あとは、いつも胸の隅にある言葉たちのメモ。雑多に。
まだ言語化できない、
なにか有機的な感触をもたらしてくれる歌詞とともに。
岩戸 鈴芽と、じぶんの誕生日が一日ちがいだった。
そんな彼女の物語が綴られた映画をたまたまその日に見て
とある場面でそのことを思い出して、
いや、初めて意識して
すべての感情がごちゃまぜに私を追い抜いていったあの時、
確かに「今」を愛せていたような気がする。
何かをする理由は、どれだけ自分の外側にあってもいい。
だけれど
何かをしない理由を自分の外側に押し付けることはしたくない。
多分私はそんなことを思ってる。
明日のためを思って何かできることは
この上ない幸せである。
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