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【展示】Absolute Photographs - あとがき
9/23から始まった個展『Absolute Photographs』も、会期延長を含め10/23(日)をもって終了となりました。
週末のみの限られた時間であったにもかかわらず、多くの方々に足を運んでいただき、大変ありがたく思います。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
本展は表層的な写真とは一線を画した、写真の絶対性を提示する試みでした。
写真とは撮影によって獲得するイメージであると一般的には信じられています。そのため、これまで写真について語るためにはなにが写っているのか、すなわち表象するものはなにか、さらにはどのように撮影したのかといった、主にイメージと技術的な点について言及されてきました。
実際、写真関連(プロ、アマ問わず)の方に質問されたのは「この作品はどのように撮ったのですか?」といった、撮影方法に関するものが多い印象を受けました。
しかし、本展においては私がカメラで撮影した写真は存在しません。「写真となる」ためには表層が特定の被写体である必要はなく、情報が集合した最終的なイメージをわれわれは「写真」として認識しているにすぎないのです。
ただし、私は本展の展示に際して意図的に「写真のようにみえる」ように工夫していました。そのため、本展については「個展」と称していたものの、決して「写真展」とはいっていません。
それはステレオタイプな「写真」を提示することが目的ではなく、アルゴリズムによって作られたデータ(情報)が写真となることを示していたからです。
さらに、私制作しているのは現代アート分野における「写真」です。つまり、提示方法のひとつとして写真を用いているにすぎません。そのため、各シリーズにはそれぞれ独自のコンセプトがあります。
なぜこの作品を作ろうと思ったのか。説明する際にはこのことから語ることを心掛けていました。それは、表層のイメージが重要なのではなく、制作にいたった「動機」に触れることによって、鑑賞者には新たな気付きとなるためのトリガーとしての役割に、作品が位置付けられればと考えているからにほかなりません。
現代写真は、もはやイメージを見ただけではその意味やコンセプトはみえません。そして何より、表層のイメージには意味など存在しないのです。
それを可能としているのが写真の絶対性、すなわちアルゴリズムによって「写真」が生成されています。つまり、アルゴリズムによって演算処理された結果がモニターなどのデバイスで認識可能なフォーマットでさえあれば、それが「写真となる」のです。
さらには、写真となるためにはアルゴリズムが絶対的なものである一方で、出力された結果から選択(選別)することが、現時点においてはアーティストの役割であると私は考えています。
その選択において私が重視しているのは結果の逸脱性と経験による美学的な判断です。つまり、生成された「写真」を魅力的なものにするかどうかは、現時点においてアーティストに委ねられているのです。
当然ながら、この選択さえもなんらかのアルゴリズムによって選別させることは可能です。しかし、それはただアルゴリズムによって「選ばれた」だけにすぎません。生成と選択のアルゴリズムは似て非なるものなのです。
また、このアーティストによる選択は非常に感覚的なものであるとも思っています。その選択の仕方にオリジナリティがあらわれる。まさに、膨大な写真のなかから写真家が写真をセレクトするかのように。
すべて言葉で説明できるのであれば、作品を制作する必要はなく、テキストで発表すればいいのです。しかし、言語化しがたい感覚的な感情や思いを表現したいがために、アーティストたちは作品として提示しています。
それでもなお、現代写真においてはこの感覚的な部分をテキストやプレゼンテーションといった言葉で補うことが求められているのも事実です。鑑賞してそれが具体的に何かわかる作品には、それ以上の思考の飛躍がありません。○○な作品だよね、で終わってしまいます。とはいえ、抽象的な表現がいいという訳でもありません。
私が大学院へと進学した理由のひとつが、この感覚的な作品における言語化の強化です。これまでも同様の感じで作品を制作していたのですが、どうしてもうまく説明することができずにいました。説明さえも感覚的なのです。
研究、ディスカッション、展示(プレゼンテーション)、などなど。わずか2年ではありますが、得られたものは非常に大きかったと思います。
その最終成果物として提示したのが修士論文で記した『絶対写真論』です。自分の作品を武器に、写真の根源的な性質をあきらかにしていく。
そして、その成果の提示が本展『Absolute Photographs』でした。
なお、本展は大学院の先輩が今年に開廊したギャラリーでの展示でした。バックグラウンドや職業・年齢など、日常の生活では決して交わることのない人々との出会いが大学院という場によって生まれ、卒業後もこうしてなんらかの形で共にできたことは非常にありがたいと思っています。
今回展示していた作品の一部につきましては、期間限定(ただし、終了は未定)で引き続きaaploitで購入可能です。実物をみる際には問い合わせフォームよりお伺いしてください。
今回の展示をもって、絶対写真はひとまずひとつの区切りとなります。しかし、制作はこれからも続けていくつもりですし、まだ発表していない作品も多々あります。
次はどのような展開(アクション)をおこすのか=どんな作品を作るのか。今回展示が始まった初期の段階で、当ギャラリーのディレクターとこうした話しをしていました。
私が制作しようと思うきっかけは、常に日常生活のなかにあふれています。何かしらの違和感やズレを感じとり、それを作品として提示する。いうなれば、制作当時に抱いていた疑問点や問題点がやがて作品として物質化するのだと思っています。
その時、もしかしたらその形態は写真ではないかもしれません。ただし、私は動画が好きではないため、表面的には「写真」である可能性は高いかと思います。
手を動かすこと(制作)、提示すること(発表)、説明すること(言語化)。そして作品を自分自身の言葉で語れること。
次回の展示は未定ですが、来るその日に向けて日々精進していく所存です。
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