【視聴】ENIGMA PROJECT

※TOP画像は本内容とは無関係です。

院のゼミ仲間が研究を通して、新たな作品へとその強度を高めていくために綴っていたnote。


来たる2020/11/20、その第1回目の実験パフォーマンスとして以下が催されていた。

『ENIGMA PROJECT』は、2012年に京都で初演されたコンテンポラリーダンス作品「ENIGMA」を、様々な角度から分析し、再構築する企画です。
「ENIGMA=エニグマ」は、ギリシア語「ainigma=謎めいた言葉」を語源に持ち、英語で「謎」や「不可解なこと」を意味します。第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって開発されたローター式暗号機の名前としても用いられました。本作の振付家/ダンサーである小池陽子は、音像と身体表現へと昇華させた「ENIGMA」を改めて言葉に変換し、他のメンバーと共有しました。身体表現を一度くぐり抜けた言葉に対して、映像、音楽、照明、キュレーター、それぞれの専門分野から反応し、再上演に向けて協働で制作を行っています。(上記サイトより引用)

映像と音楽によって創造された世界のなかに存在する、ひとつの希望。シンクロニイティというよりもその世界と鑑賞者である我々との間を介在しながら、自律した世界を身体を通して表現しているように感じた。

ときに誰かによってあやつられているかのような、操り人形のように。不安定さを覚えたのは、我々が認識できるであろう限界である時間の歪みを、その動きで表現していたためではなかろうか。いい意味での「不安定さ」や「不気味さ」といったワードが脳裏に浮かんだが、『「ENIGMA=エニグマ」=>「謎」や「不可解なこと」』に思考が強めに引っ張られていたからなのかもしれない。

一人で表現するのではなく、映像、音楽、パフォーマーといった多くの人々が関わってひとつのものを創り出す作業。映像に用いられていた写真もダンサーである小池氏自身が撮影したものであるとのこと。

今年で8年目となる「ENIGMA PROJECT』だそうで、初期の頃からどのように変化し、今回に至ったその変容も気になるところではある。

実際の会場でみるパフォーマンスと、オンラインでみる映像とでは、五感の感じ方が大きく異なるとは思う。今回はオンデマンド配信によるものを視聴させていただいたのだが、没入感というよりも、一歩下がった位置から(ディスプレイというフィルターを通して)見ているような感覚であった。

言葉によって身体表現が与えた影響とは何であろうか。動く瞬間、たとえば左側に腕を動かすといった動作は意識と無意識とのはざまによるものなのであろうか。その動きからは「ブレ」、「ズレ」、「振動数」といったようなワードを想起した。

私はダンス、といっても学校の文化祭でくらいしか踊った(といっていいのか?)記憶はなく、この音のときはこちら側を、何拍後にこう、といった決まった動きを音に合わせることしか意識したことはなかった。というのも、おそらく小中学校とピアノを習っていたせいか、動きの以前に音が前提としてあったからなのかもしれない。

小池氏の動作は明らかに異質(いい意味で)な状況を作りだし、音楽、映像、パフォーマンスなどがそれぞれ絶妙なバランスで組み合わさる、いわば壊れる寸前のジェンガのようなハラハラ・ドキドキ感を味わっていた。

パフォーマンス表現、見ている分際ではその表現の多様さが面白そうとド素人ながら安直に思いながらも、私には絶対に到達し得ない表現領域。

身体によって表現を行う小池氏や、自己(自分自身)を表現したいとは思っていない私のように、まるで異なる方向性や表現、環境といったサラダボウルなゼミ環境、他を探してもなかなかこうも刺激的な所はない気がする。と、改めて思った師走のはじめ。


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