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【コンセプチュアル・アート】ほぼ脱物質化されたオブジェ

現代美術研究家であるトニー・ゴドフリー著『コンセプチュアル・アート』木幡和枝訳、岩波書店、2001年。コンセプチュアル・アートの観念について果敢に挑んだ本書を読み解いていく。

内容が多岐に渡る(全448ページ!)ため、章立てごとに区切って進めていく。5回目は第4章『ほぼ脱物質化されたオブジェ 8つのコンセプチュアル・アート作品』。この章で、コンセプチュアル・アートの絶頂期をむかえる入り口の、重要な局面を示している。

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時は1960年代。ベトナム戦争におけるアメリカの軍事介入が強化されていた頃である。

かなりの理論や評論、とくにミニマリズム に関するものが発表され、芸術とはなにか、また芸術の受けとめ方についての伝統的な前提を呵責なく攻撃した。

芸術世界においてもこれまでの芸術に対して徹底的な攻撃姿勢がみられるようになる。よくも悪くも、フォーマリズム批評を提唱したグリーンバーグの功績によるものであろうか。

一般的にコンセプチュアル・アートの絶頂期はおおよそ1966年〜1972年だとみられている。サブタイトルにあるように、8つの作品にスポットを当て、コンセプチュアル・アートの種々の定義を検証している。そのなかで気になった作品を挙げる。

■ヤン・ディベッツ、ライナー・ルーテンベック『アーティストのディベッツとルーテンベックにより、本物の鋼鉄棒をへし折るまでに変容された本物の英国式朝食のエネルギー』

4枚組で構成された組写真で、朝食を取っている2人、ルーテンが鋼鉄棒を曲げる、ディベッツがさらに曲げる、2人並んでそれぞれ折れた棒の一部を持つ、というもの。

何が本物か(本物の出来事だったのか、本物とは何を意味するのか)という問いに対して、写真がリアルであることを示唆してはいるが、実際に彼らが棒をへし折った証拠はなにもない。

写真のリアリティと写真のリテラシー。
ここに一枚の人物が写った写真があるとする。タイトルは『若かりし頃の友人A』とでもしておこうか。この写真をみた人は、写された人物が「若い頃のAさん」であると理解する。

次にタイトルを『若かりし頃の友人A(1965〜2015)』とする。こうなると、「若い頃のAさんで、いまはもうすでになくなってしまっている」ということがわかる。

でも実際に写されているのはBさんで、いまも存命であるのだとしたら...。

映像と文章による印象操作。写真は真実を写すとは限らない。デジタル化された現代ではなおさらである。真実を示すことも、虚偽を作り出すことも、さらにはありもしない事実を捏造することさえも可能である。それほど提示された写真に付随するタイトル(ステートメント)は重要な意味をなすため、ないがしろにすることはできないのだ。

■ジョン・バルデサーリ『委託絵画』

バルデサーリが撮影した写真を14人の画家に送り、思い思いに写真を絵にしてもらうように「委託」した。展示は絵の下部に画家の名前が記されている。

この場合のアーティストは誰なのか。依頼したバルデサーリなのか、それともそれぞれの絵を描いた画家たちであるのか。

この一連の作品には必ず「バルデサーリ作」と記載されており、紛れもなくコンセプトを提示したバルデサーリの作品である。

この時点で「作家性」の概念そのものが問題視されるようになる。ロラン・バルトの『作家の死』、必読。

■雑誌『アート=ラングエージ』第1号序文

コンセプチュアル・アートとはなにかという問いのいくつかの輪郭線を明示する試みを11ページにも及び論説したもの。

雑誌創設メンバーのひとりであるテリー・アトキンソンは、『この論説自体が「コンセプチュアル・アート」作品として提示されたとしたら』と述べているように、もはや作品という形態(物質)からは離れたところにあるといえよう。

コンセプチュアル・アートが行っているであろうおぼしきことは、視覚芸術の形態を厳格に支配しているらしい条件(視覚条件はあくまで視覚的だという条件)に疑問を投げかけることなのだ。

アトキンソンの関心がモノとしての美術品よりも、美術としての作業に向けられ、これがネオ=ダダが重視していたこと(伝統的な芸術や美学の概念を否定:反芸術)から脱却し別の道を進む鍵となる。

「なにかをアートとして宣言してしまうこと」。具体的な、実体的なモノは使わず、理論的な対象を取り扱うこと。

この章では、写真、リトグラフを取り扱い、そしてまたレディ・メイド作品は挙げられていない。「記録」というのがひとつのキーワードとなる。そしてアーティストと鑑賞者との関係性の変容も。


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