NewJeans論
はじめに
「今までK-POPには関心がなかったが、NewJeansだけは別」という声をよく聞く。初めて彼女らの音楽を耳にしたときやビジュアルを目にしたときに、多くの人が「このグループは“何か”が違う」と感じたことだろう。かくいう私もそうだ。
ここで言う”何か”には、簡単には言いまとめられない多層的な意匠が含まれている。音楽性はもちろん、MV、スタイリング、ステージング、プロモーション、それら全てがNewJeansの魅力として私たちの耳や目に届く。本論は、その”何か”を、ただのファンである一個人の視点から、備忘録を兼ねてひとつずつ紐解いていく試みである。
先に述べたように、私はK-POPに疎い。NewJeansについての文章を書く上で必要最低限の知識やコンテクストが抜け落ちていることがあるかもしれないが、そのあたりはご了承いただきたい。また、本論は私の独自の解釈だけで成り立っているというより、私がこの2年間に見聞きした多くの方の知見の“総意”に近い。現代においては、他者の意見や視点を一切に介さずに一つの対象について独自の持論をもつことは難しく、そのことに自覚的になった上で開き直ったかたちだ。そのため、参照/引用元があるものはできる限り明記した。どこで見聞きしたか覚えていない情報は記憶に間違いのない範囲内で取り扱っており、最後にまとめてできるだけ情報元を提示する形式を取らせていただいた。オンラインの文献や動画は、本論のアップロード時にはすべて有効なことを確認しているが、ご覧いただいているタイミングによっては閲覧不能なものもあるかもしれない。その点はご了承いただきたい(著作権や肖像権等グレーなものも紹介するが、その点も大目に見ていただきたい)。
加えて、2024年春以降に起きたHYBEとADORの騒動、またハニを中心とする労働環境問題についてはあえて触れていない。近いうちに新体制に切り替わるであろうNewJeansの表向きの活動のある種の総括記事として、本論を楽しんでいただきたい。
『NewJeans論』とは別に、NewJeansのオリジナル楽曲全16曲の解説記事を別で作成した。『NewJeans論』では触れなかった音楽のサウンド自体にフォーカスを当てて、2つの記事でNewJeansというグループのコンセプトと音楽の全体像がわかるように心掛けた。本論を踏まえた上でその後に全曲解説を書いたので、こちらの本論を先に読むことをおすすめするが、好きなようで読んでいただけたら幸いである。また、全曲解説を書く際に参考になった文献/引用箇所も、本論の方にまとめて記すことにした。
↓↓↓ NewJeans全曲解説 ↓↓↓
NewJeans(ニュージーンズ/뉴진스)
2022年7月22日に、K-POP大手事務所HYBE傘下ADORからミン・ヒジン(Min Hee-jin/민희진)のプロデュースでデビューした5人組グループ。ミンジ(Minji/민지, 2004)、ハニ(Hanni/하니, 2004)、ダニエル(Danielle/다니엘, 2005)、ヘリン(Haerin/해린, 2006)、ヘイン(Hyein/혜인, 2008)から成る。
1. NewJeansは存在しない
アイドルは、大衆においてアイドル自身の存在をどこに置くかが非常に重要である。ファンの隣に存在を設定し近所の可愛いお姉ちゃんのように振る舞うのか、ファンの手の届かないところに存在を置いて人生の指針を示すディーヴァのように振る舞うのか。アイドルのプロデューサーは、この点を明確に意識する。自身の存在をどこに置くか決めなければファンや大衆との距離感も不明瞭で、取り組むスタイルやコンセプトが揺らいでしまうからだ。
しかしNewJeansは、アイドルとしてのその実存すら危うい。いや、確かにメンバーの5人はこの世に存在しているし、至るところでファン(通称バニーズ)と友達のようにコミュニケーションを取っている。しかしそれでも私が言いたいのは、実存という視点で考えるNewJeansというグループは、その実存を明瞭にしないこと自体をコンセプトにしているのではないかということだ。
NewJeansの実存は、「Ditto」のMV (Side A)で初めて明確に問われる。
デビューEPを出した後に、「OMG」のカップリングとして先行公開された「Ditto」は、デビュー直後に築いたNewJeansとファンとの絆についての曲と言われている。同曲MVの主人公は、NewJeansメンバー5人にカメラを向け続ける同級生の少女。メンバーの日常や踊る様子を撮影する彼女だが、本当は5人は終始存在しなかったような演出が終盤に差し込まれる。
のちに公開された「OMG」ともリンクするこのMVはさまざまな解釈がなされており、考察や解説については他のブログやオンライン記事を参照されたい。一旦ここでは、主人公とNewJeansの関係性だけに着目する。主人公をファンの化身(私たち)だとするならば、NewJeansは我々との距離の設定を放棄し、行方を晦(くら)ましていることになる。つまり、NewJeansのコンセプトは、近所のお姉さんでも、雲の上のディーヴァでもなく、実存さえ掌握できない”形のない何か”と言える。「OMG」のMVの舞台が精神病院であることからも考えると、その”形のない何か”とは、幻想や妄想などの、人間の感情に根ざしたものと考えられる。
ここに、NewJeansが老若男女問わず多くの人に受け入れられた理由がある。NewJeansは、特定のファン層を想定して作られたのではない。この世の多くのアイドルのように、“同性の子供向け”や“異性の若者向け”といったマーケットのターゲットを絞ることはしない。NewJeansがフォーカスしているのは、あくまで普遍的な人間の“感情”だ。「Cool With You」と「ASAP」のMVでは、彼女らは聖霊的なキャラクターに扮する。「Supernatural」のMVでも、メンバーは宇宙人の設定である。その他どの映像においても、その実存自体が危うく感じる。この存在自体の危うさが、ファンからの注目を常に浴び続け、「次はどんな姿で現れるのだろう」と期待させる役割を果たしている。NewJeansのメンバー5人は練習生期間を経てNewJeansになったのではなく、作品ごとに異なるキャラクターを演じ、ひいては”NewJeans”というキャラクター自体を演じているのではないかと感じる。だからこそ、”NewJeans”という実存は存在しないのではないだろうか。
2. 劇薬に向き合う
郷愁と訳されるノスタルジーは、劇薬である。今自分が存在している場所を無効化し、時空と空間を越えて人々に強烈な感情を与える。音楽のみならず、ポップカルチャー全般、そして政治までもが、この劇薬に振り回されて今日まで発展、時には後退してきた。一般的にポピュラー音楽の文脈では、ノスタルジーだけで成り立った音楽はつまらないものが多い(つまらないというか、つまらないと言って意図的に切り捨てるべきだと個人的には思う)。思考することを放棄した、過去の再生産でしかないからだ。だから音楽において、容易にノスタルジーを扱うことは危険である。しかしその点でNewJeansのチームは、一味も二味も違った。
デビュー曲「Attention」が公開された際、「SPEEDを思い出した」というコメントで溢れかえった。たしかに「Attention」のMVは、SPEEDの1996年のデビュー曲「Body & Soul」のMVとあらゆる点で似ている。
等身大の10代の姿、カジュアルなスポーツウェア、スタジアムでの撮影(NewJeansは西バルセロナ、SPEEDは米カルフォニア)、画面のビビッドな色彩、今後NewJeansのシグネチャーにもなっていくナイキなど、SPEEDが現代に蘇ったような演出が施されている。印象的なヘインの前髪でさえも、当時の上原多香子を彷彿とさせる。
類似点を羅列するだけでは、先に述べた”劇薬”の僕(しもべ)になってしまう。NewJeansというグループ名自体が「古くから流通し、人気/不人気を超えて広く共有されているファッション」であるジーンズに、ある種の革新性(新しいもの)を掛け合わせる」というコンセプトを反映しており*1、「Attention」も当然新鮮さを有している。2022年当時のK-POPの文脈で言えば、ガールクラッシュの盛り上がりが落ち着きを見せ、LE SSERAFIMらを中心に第4世代の新しい潮流ができていた頃である。それに対してNewJeansは、デビュー前のプロモーションを一切せず、全員黒髪ロングの姿をいきなり見せるという、ある意味で匿名性を全面に押し出した戦略をとった。音楽自体に関しても、ニュー・ジャック・スイングを通過した90年代の日本のJ-POP/アイドルソングの形式を用いつつ、音数を減らし低音を抑えたシンプルなトラックを採用した。ここまでのシンプルさは、K-POPのみならずアイドルソングとしても珍しい。これらすべての要素が相まって、「90年代のスタイルを現代風にアップデートした素朴な女の子たち」という印象で市場に大きくアピールできたのである。
2024年にリリースされた「Bubble Gum」も、人々のノスタルジーと強く結びついた楽曲だ。
音楽スタイルのベースはシティポップ。松原みき「真夜中のドア ~ Stay With Me」、竹内まりや「プラスチック・ラブ」を筆頭にした日本のシティポップのリバイバルは、当然韓国の音楽シーンにも大きな影響を与えている。FIFTY FIFTYがシティポップをK-POPに落とし込んだ「Cupid」を2023年にリリースなど、K-POP内でもいくつかのリアクションは出てきていた。しかし2024年現在、シティポップはリバイバルの域さえ超えて、過剰に消費されているように感じる。その流れの中でNewJeansは「Bubble Gum」で、シティポップに新たな独自のテイストを加えてきた。
まずは印象的なギターカッティング。打ち込みかと思うほどシンプルなパターンと音の処理で、ジャンルとしてのシティポップがもつアーバンな空気やアダルトな世界観から一定の距離を保っている。大人の恋愛のようなディープなバイブスではなく、かえって淡白な印象を抱かせるのがNewJeansらしいところでもある。サビは全編、メンバーたちの線の細い歌声のみで歌われていて、楽曲の”繊細さ”と”儚さ”をさらに増幅させる。この”繊細さ”と”儚さ”は、すぐに割れてしまう”Bubble Gum(フーセンガム)”というタイトルからも示唆され、劇中でメンバーがシャボン玉で遊んでいる様子からも、そのイメージはより強固になる。
ビデオカメラやアナログテレビ、平成初期のパソコンをプロップとして使いながらも、MV後半ではごく自然にiPhoneも出てくる。80~90年代の世界観を必要以上に固持するのではなく、時代の流動性を担保したまま、新旧の記号が一つの作品の中に共存することを許容するのがNewJeansの特徴である。こうしたいくつもの仕掛けによって、彼女らは一面的にノスタルジーの劇薬に毒されることを拒絶していると同時に、消滅と隣り合わせの実存のない儚い概念であることを全面に押し出している。
「Supernatural」も多くの人のノスタルジーを喚起した楽曲ではあるが、ここでは一旦章を分けたい。
3. 限られた時間の中で
NewJeansのチームは、人間が持つ普遍的な感情として、ノスタルジーだけでなく”青春の心象”もコンセプトの中心に据えている。厳密に言えば青春によって揺れ動く心象もすでにノスタルジーの一部であるが、多くの人にとって学生時代の青春は他のノスタルジーとは比べ物にならないほど特別なものだろう。
中学高校それぞれ3年間という限られた時間制限があることを、学生でいるうちは強く認識できない。日々生きることで必死な10代の少年少女にとって、3年先の終点を見据えて未来を直視することはなんてできない。3年なんてあっという間で、何気ない日曜の部活終わりの昼下がりでさえ、刻一刻とタイムリミットが迫っていることに気づかない。それを急かすようにNewJeansは「ASAP」で、時が迫っていることを伝える。
NewJeansのチームは、青春の6年間、特に高校の3年間をただ美しい過去として映し出すのではなく、朧げな記憶によって歪められた曖昧な時空間として映し出し、そこから生まれる感情を芸術に昇華しようとしている。「ASAP」のようなメルヘンな世界観においても同じだ。輝いて見えるような世界でも、そこには何かしらの制約や無意識のバイアスがあって、個人の理想が投影されているにすぎない。しかしプロデューサーのミン・ヒジンはそういった感情を肯定し、大衆からその感情を引き出せるような作品づくりに挑戦しているのだろう。
先に第1章で「Ditto」で触れた、メンバーにカメラを向ける少女の名前はバン・ヒス(Ban Heesoo)という。非公式なセオリーでは、バン・ヒスは”バニーズ”を文字った名前で、ファン自身のことだと言われている。このバン・ヒスはYouTubeチャンネルを開設しており(彼女が開設しているという設定)、「Ditto」「OMG」の時期のメンバーの様子が断片的にアップロードされている。先述のようにNewJeansは不確定な存在だということを意識してみると、どのビデオも不気味に感じる。青春の何気ない日常を捉えているのだから”エモい”ビデオであるはずなのに、だ。そして起点は1999年1月23日。この日の投稿以降、5人のメンバーではなく同級生と思わしき少年にカメラが向き始める。
簡単に解釈するならば、思春期の色恋によって目の前の関心が5人の友達から1人の少年に移ったことになるが、このYouTubeチャンネルならびに「Ditto」はその事実を生々しく、どこか恐ろしいものとして演出する。心の移り変わりと、ある種の友情の終わりを、ファンに痛々しく追体験させようとしている。これら一連のアプローチは、学校を舞台にした、制服を着て歌って踊る一般的なK-POPの”学生コンセプト”とは、明らかに一線を画している。
話を「ASAP」に戻したい。セカンドEP『Get Up』の最後に収録され、ステージのセットリストでも最後にパフォーマンスされることの多い「ASAP」は、”不思議の国”からやってきたNewJeansがだんだん消えていくサウンドトラックという見方ができる。実存の伴わない彼女らは『不思議の国のアリス』の世界の住人で、ファンである我々は時計を持ったウサギということである。ちなみに、ウサギをNewJeansのイメージキャラクター、グッズ、ファンの呼称(バニーズ)にするアイデアを思いついたのはミン・ヒジンで、グループ名の頭文字”NJ”を組み合わせたデザインがウサギの顔に似ていることが由来だという*2。つまり『不思議の国のアリス』に登場するウサギとは本来無関係なのだが、そこから同作のメルヘンな世界観と、ポップカルチャーの文脈では頻繁に登場する白ウサギのメタファー(『マトリックス』など)を拝借することで、NewJeansのコンセプトが一層強固なものになったのだろうと私は推測する。文脈の接続が偶然であったとしても、そこに何かしらの必然性を見出したり、新たな意味付けを可能にしたりするのが、優れたアーティストに求められる才能である。ミン・ヒジンはそれをクリアしている。
4. チームと個のバランス
NewJeansはアイドルグループというより、部活として捉えた方がわかりやすい。もちろんメンバーのほとんどが10代(最年長のミンジとハニが今年2024年に20歳になったばかり)で、「Ditto」や「Bubble Gum」は学生コンセプトなのは前提としての話である。
2024年6月に東京ドームで行われたバニーズ・キャンプ(単独公演)の舞台裏映像に、NewJeansのチームとしての精神性を示すこんな一幕があった。
彼女らのプライオリティは、ステージからファンに完成度の高いものを届けることではなく、怪我をしないことであることに個人的に驚いた。身体を資本とするアイドルでいる以上、怪我をしないことが最重要であるべきなのは間違いないが、彼女らは常にそれを互いにケアし合っている。まるで、全国大会で優勝するよりも、成長期の怪我を一番気にする強豪校のダンス部のよう。
NewJeansの公式YouTubeチャンネル上には、提供された場所とスタッフのサポートを得て好きな他アーティストの曲をカバーする「By Jeans」というシリーズ企画がある。スタジオでマイク1本でカバーする動画から始まり、ハニは弾き語りに挑戦、ミンジは音源のみならず映像までセルフプロデュース、最近ではハニによるギター演奏に合わせてのダニエルのカバーなど、独自に表現の幅を広げている。ミン・ヒジンという顧問の下、NewJeansという軽音部/ダンス部があって、顧問の明確な指導プランと開花していく部員の才能がシナジーを生み出し、単なるアイドルグループ以上の活躍を見せてくれる。ファンは、保護者や地域の応援団のポジションと言うべきだろうか。NHKのインタビューの中でミン・ヒジンは、NewJeansのメンバーは一般的な高校生/大学生の人生を送れないことを念頭に置いた上で、デビュー前の5人に「私と一緒に勉強していくんだよ」「私と一緒に学校に通おう」と声をかけていたことを明かしている*2。先生と生徒という構図は、本人も当初から意図していたようだ。
東京ドーム公演では、5人のソロステージが一際注目を浴びた。ミン・ヒジンがメンバーそれぞれにパフォーマンスの時間を与え、何を披露するかの選択さえも託したステージだった。顧問が部員に「次の試合は自分たちで作戦を考えて戦ってこい」と言うような、大胆なアイデアだった。5人は各自の個性と強みを把握した上で、選曲、衣装、振り付け、ステージング(ダニエルにいたっては作詞作曲まで)に至るまで本人が舵を切った。その試みは大成功に終わり、NewJeansはチームとしてより強力なものになった。
2024年11月16日に開催された第1回コリア・ミュージック・グランド・アワード(KGMA)にて、NewJeansは約13分のパフォーマンスを行った。そのステージのイントロ部のダンスは「メンバーたちの普段考えたり感じたりしていること」が振り付けに反映されているという。彼女らのダンスはもはや振付師の模倣ではなく、セルフプロデュースの域に到達している。
2024年11月9日に日テレで放送された「WIthMusic」での「OMG」のパフォーマンスは対照的に、入念なリハーサルはせずに、各々が自由にパフォーマンスすることに重きを置いたようだ。添付動画の03:05~で、ミンジだけ他の4人の逆方向を向いているが、これはミンジが振り付けを間違えたのではなく、「好きな方向を向いて踊ろう」とのメンバー間の同意の上での演出だったようだ。2024年10月19日の「Super Shy」のパフォーマンスも、ステージ下手(しもて)で踊る5人は、ダンス部のリハーサルのような余裕とユーモアがあった。
ミン・ヒジンの綿密なプロデュースとディレクションでパフォーマンスを向上させてきた一方で、メンバーの挑戦や選択に基づいた独自の演出や表現の幅も広がっている。この両方を兼ね備えた彼女たちのパフォーマンスは、今一番面白いのではないだろうか。
5. 有機と無機の共存
NewJeansの始動にあたってミン・ヒジンがメンバーが選ぶ際に重視したのはメンバーの自然の姿だという*2。それぞれが自然に調和し、それが表舞台の雰囲気にも影響を与えるような5人を選びたかったとのこと。デビュー曲「Attention」のMVはメイクも薄く、背伸びしない5人の自然な表情や表現が鍵になっており、ミン・ヒジンの慧眼は冴えていたのだろう。一方でここまで散々述べてきたように、NewJeansは”作られた”概念でもある。彼女らの作品には、どこか血が通っていない気がするのだ。「Ditto」MVの監督シン・ウソク(Shin Wooseok/신우석)にインタビューしたジャーナリストのイム・スヨン(Lim Soo-yeon/임수연)は、同MVの印象を「アーティフィシャル・ノスタルジア」と形容した*3。この指摘は的を得ていて、NewJeansの作品によって喚起される有機的な感情は、実は無機質的なプロダクションに拠るところが大きい。
NewJeansは”作られた”コンセプト、つまりフィクションであってもそれに対して自覚的で、現実と虚構の境界線すらアートの一部として飲み込んでしまう。「OMG」のMVに「私たち今ミュージックビデオの撮影中でしょ」とメタ発言をして撮影クルーが映るシーンがあったり、「New Jeans」のMVにも、パワー・パフ・ガールズを“演じる”5人がメタ的にトーク収録を切り上げるシーンがある。
こういった現実と虚構の入れ子構造自体は、デビュー当初から彼女たちのコンセプトでもある。こうした曖昧な境界線は人々の関心をくすぐり、どこか生々しい感触を呼び起こさせる。“New”と“Jeans”を組み合わせたのと同じ発想で、彼女らは現実と虚構を組み合わせて作品を作り上げているのである。それは言い換えれば、有機質性と無機質性ということにもなる。
音楽面でも同じことが言える。第2章で先に述べた「Bubble Gum」のカッティングギターは、言うなれば(私には)無機質に感じる。それが有機質的な、”あの夏の青春の思い出”という温かみのあるバイブスと奇妙にもマッチし、唯一無二のNewJeansサウンドに仕上がっているのだ。「Ditto」のプロデューサー、250(イオゴン)によるセルフリミックス版「Ditto (250 Remix)」も同じだ。冬の季節感を意識して作られた原曲の雰囲気がさらに増したこのリミックスのファーストバースで流れるアコースティックギターのストロークは、まるで打ち込みのような響きをもっている。DTM初心者が無料プラグインで無理矢理コードをプログラミングしたかのようなこのサウンドは、NewJeansの楽曲ならアリなのである。機械的なギターと、イントロのヘインの神秘的なハミング、原曲がもつ冬の中の温もりを共立させた挑戦的なアレンジだ。
NewJeansの無機質性はテクノやエレクトロニカを中心とした250の音楽嗜好の影響も多分にあるが、のちの章で詳述する。
6. ミン・ヒジンと韓国の記憶
この章ではNewJeansの音楽性やビジュアルというより、韓国の政治経済とミン・ヒジンが描くビジョンに注目したい。
ミン・ヒジンは1979年にソウルで生まれる。1979年はパク・チョンヒ(Park Chung-hee/박 정희)元大統領が暗殺され、翌年1980年には光州事件が起こっており、民主化運動が激化した80年代に幼少期を過ごしていることになる。文化面では、トロット中心だった韓国音楽産業は次第に変化し、ロックやヒップホップといった欧米圏の音楽が徐々に流入し始めた時期にもあたる。1987年にはついに民主化宣言がなされ、K-POPの最初の原型とも言えるアイドルグループ消防車もデビュー。1988年のソウル五輪で勢いづいた韓国は、さらなる経済成長と無視できない歪みを同時に進行させ、結果として1997年の通貨危機へ陥ることになる。
ミン・ヒジンがEarth, Wind & Fireの1995年の東京公演を収録したライブ版『Live in Velfarre』(1996)を愛聴していたのは有名な話だ。このLPをリリース後すぐ聴いていたならば、ミン・ヒジンは当時17歳の高校生。アメリカ文化が大衆にも受容され始め、文化的にも経済的にも憧れの国だったであろう当時のアメリカの洗練されたソウル/ファンクバンドが、先進国であった日本で見事な演奏を見せていたという事実は彼女を刺激し、のちのクリエイティビティの青写真になったことは間違いない。
90年代後半から00年代にかけてのY2K、70年代後半から80年代にかけてのシティポップ/AORのグローバル規模の現在のリバイバルは、あくまでトレンドの再流行であって、そこに作家性のアクチュアリティを見出せるケースはそれほど多くない。しかしミン・ヒジンの場合は、絵画や映画、文学や音楽に触れる文化資本に富んだ幼少期を送っており(そういった教育を受けたというよりも、自身の関心がそちらに向いていたらしい)、80年代と90年代に実際にリアルタイムで韓米日のポップカルチャーに触れながら韓国で育ったという文化的信頼がある。韓国では、近年のリバイバルブームを総称して、”ニュー(新しい)”と”レトロ”を組み合わせた”ニュートロ”なる言葉が広まっているらしいが、ミン・ヒジンはその生き証人であり、その表現最前線に立っている。
つまり何が言いたいかというと、NewJeansというプロジェクトはミン・ヒジンの青春の焼き直しであり、韓国文化の再挑戦の側面もあるはずということだ。バン・ヒスのYouTubeチャンネルに1999年1月13日の日付で投稿された動画のキャプションに、以下の文章が書かれている。「이겨내자 IMF 다시 뛰는 대한민국」。翻訳サイトで日本語に訳すと「IMFを乗り越えよう 再び走り出す韓国」。急速に資本主義下の経済成長を進めた代償として記憶される、1994年の聖水大橋崩落、1995年の三豊百貨店崩壊を、ミン・ヒジンはそれぞれ15歳と16歳で目の当たりにしている。IMF通貨危機が起きた1997年、彼女はソウル女子大学校進学をひかえる18歳だったのだ。
こういった文脈を踏まえると、ミン・ヒジンはNewJeansの5人を彼女のアバターとしてプロデュースしている節が感じられる。それはメンバーの尊厳を奪うとか、自身の思想と押し付けるという意味ではなくて、IMF通貨危機から約25年後の世界で、いかに韓国からポップカルチャーを発信できるかの挑戦という意味でだ。前年の1996年には、韓国政府を批判し、労働者階級の若者の鼓舞してきた文化大統領ことソテジ・ワ・アイドゥル(Seo Taiji & Boys/서태지와 아이들)が、検閲の圧力に屈して無念の中で解散していた。ミン・ヒジン然り、ポップカルチャーに敏感であった若者の間には、おそらく1990年代半ばから後半にかけては、ある種の反骨精神と敗北感が共有されていたはずだ。
1994年の聖水大橋崩落につながる文脈はもう一つある。どの映像でも一切顔が映らないバン・ヒスを(女優という意味で)演じるのは、2003年生まれの韓国の女優パク・ジフ(Park Ji-hoo/박지후)。彼女が主演を務めた2018年の出世作『はちどり』は、1994年のソウルを舞台に、家父長制の中で肩身の狭い日常を送る中学2年生の主人公が、周りの友達や恋人、不思議なオーラをもった漢塾の先生たちと関わることで、思春期の自身のアイデンティティを模索していく、どこかスリリングな映画である。ネタバレになるが、この映画の終盤、聖水大橋の崩落が大きな展開を生む。また、主人公の友達がカルバン・クラインに憧憬を抱いている点からも、90年代中盤のアメリカ文化への距離感が感じ取れる(ちなみにNewJeansは2024年にカルバン・クラインのグローバルキャンペーンに起用された)。
ミン・ヒジンがこの映画を観てバン・ヒス役にパク・ジフを抜擢したのかは不明だが、監督のキム・ボラ(Kim Bora/김보라)は1981年ソウル生まれと、ミン・ヒジンと2歳しか変わらない。80年前後にソウルに生まれた女性アーティストたちの間で、90年代の韓国情勢の語り直しが機運があるのかもしれない。
7. 韓日の文化交流
韓国と日本の間に不幸な歴史があったのは(今もなお)事実である。1905年の日本の韓国保護国化、1910年の韓国併合以降、成熟していく日本のポップカルチャーと韓国統治は切っても切り離せない関係になっていった。戦後に朝鮮半島は南北に分断され、大韓民国が成立。戦前の歴史を抱えつつ、社会主義に対抗する資本主義国家として絶妙な距離感を保っていた韓日は、1965年に国交正常化を果たす。紆余曲折を経て1998年に日韓共同宣言がなされると、韓日双方のポップカルチャーは徐々に行き来するようになる。
1997年、今日の私たちが想像するような歌って踊れる女性アイドルグループの第一号として、S.E.S.が韓国でデビューし、成功を収める。
S.E.S.の結成の裏には、韓日両方のアイドル文化の成熟がある。K-POP研究者の山本浄邦氏は、SPEEDを筆頭とする日本の女性アーティストたちのK-POPへの影響についてこう述べている。
現在もなお、事務所が用意した宿舎で半共同生活を送るNewJeansのその姿が当時のSPEEDやMAXを想起させるのは、K-POPと日本のダンスグループの歴史を鑑みれば至極必然なのではないだろうか。
2024年8月にTBSで放送されたCDTV LIVE! LIVE!にて、ハニはTUBEの「THE SEASON IN THE SUN」のカバーを披露。東京ドーム公演で松田聖子「青い珊瑚礁」をカバーし、その後の日テレで放送された「THE MUSIC DAY」でも同曲を披露していた中で、新たにTUBEのカバーに取り組んだことには個人的にも驚いた。
しかし、アイドル文化とは距離のあるTUBEにも、ハニがカバーした理由はある。2003年のソニーのプレスリリースによれば、TUBEは当時「日本のみならず韓国においても絶大なる人気」を誇っており、「日韓音楽文化交流の幕開けとなる記念碑的ライブ」のメインアクトに抜擢されていたのである*4。そして翌年2004年、韓国において日本の音楽と映画は全面解禁されることになる。それから約20年経った今でも、音楽を通じた韓日の文化交流と相互理解の象徴として、ハニは「THE SEASON IN THE SUN」を熱唱したのである。また、同曲の作詞は亜蘭智子。The Weekndがサンプルした「Midnight Pretenders」などで知られるシティポップの重要人物で、プロダクション面だけを見てもシティポップの文脈が脈々と流れている。
対する「青い珊瑚礁」はむしろ、アイドルの文脈をストレートに意識した選曲だった。ミン・ヒジンの提案でこの曲を東京ドームで披露することを決めたそうで、案の定オンライン上でも最もバズったのはハニのこのカバーであった。セカンドシングルとして1980年に同曲をリリースした松田聖子は、一度は下火になったと思われた当時の日本のアイドル業界に再び火をつけ、その後のアイドル像を決定づけてしまった。制作期間のタイミング的に、ハニの「青い珊瑚礁」の披露とショートカットでの露出が重なったのは偶然だったかもしれないが、いずれにしても、聖子ちゃんカットを現代風にアレンジしたようなヘアスタイルとステージ衣装は、あの頃の松田聖子を彷彿とさせた。
CDTV LIVE! LIVE!にてへリンは宇多田ヒカルの「Automatic」をカバー。現在に至るまで、K-POPを中心としたアイドルグループのオリジンがTLCやSWV、Destiny’s Childなどのグループにあるように、アイドル音楽自体がR&Bに根ざしたものである。日本の大衆に受け入れられるように計算された戦略的なプロダクションとプロモーションの下、初めて日本で大ヒットした韓国アーティストのBoAが日本デビューしたのが2001年。まさに日本のR&B/J-POPシーンは宇多田ヒカル一強だった時代である。アイドルではなく”アーティスト”のNewJeansとして、日本の市場で宇多田ヒカルを選んだのは、こういったBoAのサクセスストーリーを踏襲している。また、宇多田ヒカルの感情の読めなさや天然さ、ある種のアンニュイさを表現できるのはヘリンだけだったという点も付け加えておきたい。
8. NewJeansはスーパーフラット
NewJeansは数多くのグローバル企業との提携、コラボ企画を実現してきた。例を挙げると、コカ・コーラ(グローバルアンバサダーとしてコラボ曲「Zero」もリリース)、Apple(「EAT」MVを全編iPhone 14 Proで撮影)、マクドナルド・コリア、ナイキ、カルバン・クライン、ロッテ、PUBG、その他韓国ローカルでも数多くの企業とコラボしている。彼女らの作品からは洗練された芸術性を感じる一方で、こういった大資本を元手にした大衆向けのグローバル企業との交わりによる、所謂”俗っぽさ”にアンビバレントな印象をもつ人もいるかもしれない。だがここにNewJeansの真髄がある。広く受け入れられ、人々が身近に感じるものである”Jeans”がコカ・コーラやAppleに置き換わっているだけで、俗な大衆文化との接合なくしてNewJeansは成立しない。
日本のデビューシングル「Supernatural」とそのカップリング「Right Now」は、カイカイキキの代表取締役である村上隆とのコラボで企画、プロモーション展開された。
大衆レベルでは、ポップな花のデザインのイメージが強い村上隆であるが、”スーパーフラット”というムーブメントの提唱者でもある。写真家で研究者の畑智章氏によると、”スーパーフラット”とは元来「前近代の日本画と、戦後日本の大衆文化の一つであるアニメの共通点である平面性を根拠にした美術用語」を意味する*5。現在では”スーパーフラット”はさまざまな文脈で再解釈され、ハイカルチャーとローカルチャーの境界を曖昧する試みや、「資本主義の中でアートがどう成立するか」*6という挑戦などの、広義の意味も含んでいる。
ミン・ヒジンのアートに対するアチチュードは、まさに彼女なりの”スーパーフラット”だ。ジャズやボサノヴァといった非アジア圏の音楽を原体験とし、80~90年代の韓日の商業的な大衆文化とは一定の距離を感じていた彼女は、2020年代になってNewJeansというプロジェクトで”スーパーフラット”に取り組んでいる。「資本主義の中でアートがどう成立するか」*6という村上隆の試みは、物質的なものを連想する資本主義と、感情的なものを連想する(連想しがちな)アートの両立という点で、先に述べた”無機”と”有機”のアイデアと重なる。実際、彼女はリアルサウンドのインタビューで次のように語っている*7。
この試みは(おそらく)ポストモダンのアイデアを引き継いでいる部分があって、NewJeans専用のコミュニケーション/プロモーションアプリ「Phoning」リリースの際も、アンディ・ウォーホルの代表作「キャンベルのスープ缶」をストレート型のガラケーにアップデートしたようなデザインと合わせて発表された。
そのためミン・ヒジンが村上隆にアプローチしたのはある意味で必然であり、アジアで最も成功しているデザイナーの一人である村上隆を、グラフィックデザイン出身のミン・ヒジンがロールモデルとして見ている部分があるのだろう。また、本論では詳しく触れないが、所属事務所ADORおよびHYBEとの契約を巡ってミン・ヒジンが何度も”アートとビジネスの両立”を強調した理由は、こういった彼女の意図にある。
9. 最強の布陣を携えて
さて、ここでようやく、ミン・ヒジンの下でNewJeansの音楽やMVを実際に作り上げるアーティストたちにフォーカスを当てたい。NewJeansの音楽は、主に250(イオゴン)ことイ・ホヒョン(Lee Ho-hyeong/이호형)とFRNKことパク・ジンス(Park Jinsu/박진수)の2人によってプロデュースされている。そして何名かいるMVの監督で一際作家性が輝いているのが、韓国の映像制作会社イルカ誘拐団のシン・ウソク監督だ。
坂本龍一、シン・ヘチョル(Shin Hae-chul/신해철)(韓国ロックのパイオニア、N.EX.Tのメンバー)、プリンスをロールモデルに挙げる250は*8、1982年生まれ(ミン・ヒジンの3歳年下)の韓国の作曲家/プロデューサー/DJ。ネプチューンズ、ティンバランド、ドクター・ドレー、DJプレミア、ピート・ロック、ジャーメイン・デュプリなどを聴いて育った250は、高校生の頃に自身でも音楽を作り始め、 SMエンターテインメントのソングキャンプに参加したことをきっかけに、当時の新興レコード会社Beats And Natives Alike(BANA)に合流。のちにBoAやNCT 127のプロダクションに関わることになる。
ミン・ヒジンとの交流は、彼女がプロデュースしていたSMエンターテインメントのグループ、f(x)の楽曲「4 Walls」のリミックスを彼が務めたことに始まる。このリミックスで、のちのNewJeansサウンドのシグネチャーとなるサイン波のシンセ、ホワイトノイズのライザーとそのリバース、ボーカルチョップ、アナログ志向のビート/パーカッション、控えめな低音処理などの手法が既に確立されている。
250がプロデュースしたNewJeansの楽曲は、「Attention」「Hype Boy」「Hurt」「Ditto」「ETA」「Get Up」「ASAP」「How Sweet」「Bubble Gum」「Supernatural」の10曲。一聴するだけでNewJeansの楽曲だとわかるその記名性は、巷では”イージーリスニング”と形容されるようになった(ポピュラー音楽の文脈における”イージーリスニング”とは、RYMの説明によると”カジュアルなエンタメを志向した、しばしばインストであることも多い、オーケストラやビッグバンドによって演奏される豪勢なアレンジとメロディを伴う音楽”全般のことを指すため、混同に注意)。
250は2022年に1stソロアルバム『PPONG』をリリースしている。タイトルのポン(ポンチャック)とは韓国の演歌/民謡にあたるトロットというジャンルの蔑称で、韓国の街の至るところでBGMとして耳にされる音楽ジャンル(またそのサウンド自体のこと)を指す。間違いなく韓国のポピュラー音楽の一部を形成しているものの、決して好んで聴かれるものではないこのポンチャックをテーマにした『PPONG』は、第20回韓国大衆音楽賞にて「今年のアルバム」「今年の音楽人」「最優秀エレクトロニックアルバム」「最優秀エレクトロニックソング」の4冠を達成している。
このアルバムで彼が挑んだのは、音楽としての価値をもたないとされるポンチャックの独自の再定義と拡張である。日本で言えば、スーパーのチープな店内音楽などだろうか。決してポピュラー音楽の第一線には上がってこないものの、ある種の国民性として根付いているポンチャックに、250流のいくつものダンスミュージック/電子音楽のエッセンスを盛り込むことで、実験性と懐かしさが共存する作品に仕上がっている。
そう、彼の音楽家としての姿勢こそが、NewJeansの音楽的なコンセプトにそのまま繋がっているのである。先に彼が影響を受けたアーティストとして名前を挙げた3人。坂本龍一とYMOのオリエンタリズムに対抗する精神性と電子音楽の開拓、シン・ヘチョルの韓国内における文化的な積極性、プリンスの圧倒的オーラと記名性、これらのすべてを彼を受け継いでおり、NewJeansのプロダクションの基盤を作っている。
「Cookie」「OMG」「New Jeans」「Cool With You」「Right Now」の5曲を手がけるFRNKは、楽曲の並びからもわかるように、R&BやUKを中心としたダンスミュージックを得意とするプロデューサー。250と同じくBANA所属で、ヒップホップデュオXXXのDJ/プロデューサーを務めている。彼もf(x)の「4 Walls」のリミックスを担当したことをきっかけに、ミン・ヒジンの信頼を獲得していく。
FRNKのインタビューや彼に関する記事はそれほど世に出回っていないため詳しいバックグラウンドは不明だが、彼がプロデュースした作品やDJセットから想像するに、元々クラブミュージック志向であることは間違いない。250が”Jeans”(レトロでノスタルジックなもの)の表現が上手いとすれば、FRNKは相対的に”New”(ダンスミュージックの最新トレンド)の部分を取り込むのが得意だと言える。
NewJeansがWonder Girlsのヒット曲「Tell Me」をカバーした際は、FRNKがトラックのアレンジを担当した。原曲と比べるとよりわかりやすいが、ハイハットを細かくアクセントとして配置する点や、中音域のプラックシンセの多用など、FRNKのシグネチャーが全面に出たアレンジに仕上がっていた。また、2024年9月に行われたミン・ヒジンのトークイベントにて、FRNKによるNewJeansのデモ音源が公開された。この楽曲も彼のシグネチャー全開である。
「Ditto」「OMG」「Cool With You」「ETA」のMVを監督したシン・ウソクは、ミン・ヒジンから依頼を受け、独自の解釈でNewJeansの映像的な世界観を拡張してきた。250と同い年で、ミン・ヒジンの2歳下の1982生まれ。
最初のシン・ウソク監督の作品である「Ditto」は、第1章で触れたように、多くの解釈と考察を喚起するアイデアが多く施されていた。中でも印象的な、「Ditto」のSide Aでは雪が積もった高原の中に、Side Bでは学校の廊下に現れる”鹿”の意味を、彼はインタビューで「理想的な友人の象徴で、アイドルのように所有したいと思うような存在」と種明かししている*3。作品内での鹿の存在は、あまりにも神秘的で危うい。NewJeansのメンバーは主人公バン・ヒスの幻想であると捉えれば、おそらく鹿も幻想。つまりシン・ウソクの言う「理想的な友人」は現実には存在せず、神秘的な友情関係の構築を拒んでいるようにも感じられる。
彼は、アイドル産業におけるアイドルたちの人権や個性、尊厳の剥奪や、ファンとアイドルのトキシックな関係に常に警鐘を鳴らしてきた。「K-POPは巨大な国際産業になった。アイドルは莫大な付加価値をもった商品に見えるかもしれないが、中には人間がいることを忘れてはいけない」*3という彼の言葉は至極正しい。そういった意味で「Ditto」のMV内は、アイドルを神格化し、ファンの希望や規範を過度にアイドルに押しつけようとするファンダム・エコノミーに対するアンチテーゼになっている。
「OMG」の冒頭で展開されるハニの正体はSiriであるという演出も、現代社会がテクノロジーに毒されているという皮肉(「ETA」でAppleの協力を得ているのにも関わらず!)と、アイドルが機械/商品のように扱われている現状への抗議になっている。キュートなウサギの衣装の姿と血の気のない病院服の姿が交互に映し出されるのも、メンバーの5人はアイドルである以前に私たちと同じ人間であることを強調するためだ。第5章ですでに触れた、第4の壁を突破して撮影クルーを写すカットは、こういった文脈では、グロテクスなK-POP産業の内側に取り込まれることなく、あくまで外側からの視点をもって市場に挑むシン・ウソク、ミン・ヒジン、そしてメンバーたちの精神が反映されていることになる。
チョン・ホヨン(Jung Ho-yeon/정호연)とトニー・レオンが出演した「Cool With You」のMVは、ギリシャ神話の「エロスとプシュケ」をベースにしたミステリアスで不気味な仕上がり。どこか脅迫的な愛についての歌詞で、メンバーの神妙な歌い方とも相まって不穏な空気が漂う楽曲の上に、チョン・ホヨンの立ち振る舞いとトニー・レオンの存在感が光るスリリングな作品だ。「エロスとプシュケ」にまつわる解釈は他ブログの記事を参照されたい。
時系列を行き来させながら、主人公が殺人(あるいは殺人未遂)を犯してしまう強烈なストーリーの「ETA」。「Ditto」に続き、「ETA」も主人公はNewJeansのメンバーではない。しかもその主人公は匿名性が高く、その存在の考察を私たちオーディエンスに丸投げしている。私たちはNewJeansによって制作されたNewJeansの作品を観ているのにも関わらず、作品の”主体”はどこか宙ぶらりんになった状態で、真の解釈は私たちに委ねる(間テクスト性を投げかける)という、シン・ウソクの批評性の高さが顕著に現れている。
「Ditto」と「OMG」の公開に合わせて独自に展開されたバン・ヒスのYouTubeチャンネルの企画/運営もシン・ウソクが行っている。「私は単にコンテンツを披露するより、そこに至るまでの一連の過程も楽しんでもらいたい」*2というミン・ヒジンの思いを掬い上げるかのような、MVの撮影裏の映像を利用した、プロモーションとNewJeansの世界観の拡張を同時に行う見事なアイデアだった。
10. 伝説は次のフェーズへ
ここまで意図的にHYBEとADORの一連の騒動には触れてこなかったが、今後のミン・ヒジンとNewJeansに個人的に期待することを最後に書いてみたい。
これを書いている2024年11月28日現在の状況としては、先週の20日にミン・ヒジンがADORを退社したとのニュースが流れ、NewJeansのメンバー名義でADORに提出した諸要求の14日間の改善期限の最終日。HYBEとの株主間契約も素人目には複雑なもので、不確定な情報を避けるためにもこれ以上の詮索は控えたい。いずれにしても、これまでの活動を見てきた限り、ミン・ヒジンなくしてNewJeansなし状態のため、”NewJeans”という名前やこれまでの楽曲を失ってでも、今の6人で活動する方向性を模索中だと推測するのが妥当だろう。
しかし実際のところ、ミン・ヒジンのディレクションなくとも、良い意味でNewJeansの5人だけでアーティストとしての表現の幅を広げてきている。東京ドーム公演のソロステージに始まり、メンバーが主導するカバー企画「By Jeans」、私も実際に現地で目にしたフリースタイル状態のCoke STUDIOライブ、先日の第1回コリア・ミュージック・グランド・アワード(KGMA)で見せたメンバーによるイントロの振り付けなど、NewJeansというプロジェクトを通して一アーティストとして成熟させるというミン・ヒジンが描いた当初のマスタープランは、すでに達成しつつあると思う。2024年9月11日にメンバーたちの判断で突如行ったHYBEと新生ADORに向けたYouTube生配信も、意思が強く衝動的なミン・ヒジンの魂が、5人に乗り移ったようだった。
おそらく5人は放っておいても各自で楽器を習得し、作詞作曲し、セルフプロデュースという形で、どんな手段を取ってでも我々に新しい作品を届けてくれるだろう。NewJeansというグループは、実存をもたない(第1章参照)。だからNewJeansという名前が無くなっても、運営形態が変わっても、6人が築き上げきたものが傷つくわけではない。むしろそこからがミン・ヒジン、そしてミンジ、ハニ、ダニエル、ヘイン、ヘインの5人の本章の始まりなのではないかと、期待を込めて予想している。
#NewJeans_Never_Die
ここまでお読みいただきありがとうございます。別記事でNewJeansのオリジナル楽曲16曲の全曲解説も書いてありますので、本論の続きとしてぜひ読んでいただけると幸いです。
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引用・参考文献
注釈
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8. Music Magazine 2023年8月号掲載 250(イオゴン)インタヴューより
その他資料/記事(順不同)
韓流ブーム. 桑原優香, 八田靖史, まつもとたくお, 吉野太一郎. 早川書房
https://www.pastemagazine.com/music/best-songs/the-100-best-songs-of-the-2020s-so-far