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コーヒーハウス文化に思いを馳せて

※ヘッダー画像はAnsel Magnus Hirschhaeuserという名のアーティストの作品です

旅の記憶目的で書き始めたnote、気づけばそれ以外のことも書いてしまっているけど、とりあえずnoteは続けることが大事、ということを自分に言い聞かせ、ちょうど2年前に思いを馳せる。その時にいたのは、オーストリアはウィーン。

ウィーンといえばハプスブルク家、そしてコーヒーハウス文化。サーヴされるコーヒーは種類も様々だし、サーヴしてくれるウェイター(=ケルナー)の動きの美しさ、店内にディスプレイされている可憐なケーキは芸術的。

ハプスブルク帝国時代、その財力で世界各地から菓子職人を呼び、その技を競わせたことによりデザート文化も発達したというオーストリア。結果として発達したコーヒーハウスはユネスコ無形文化遺産に登録されたし、もはや空間が総合芸術だと私は思う。

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日本でもカフェは好きでよく行くが、ウィーンのそれとはちょっと違う。日本でいうと喫茶店が近い存在なのか。ウィーンのコーヒーハウスは「なんか一本筋が通ってる」のだ。おしゃれに見せるとかではなく、彼らが持つ”コーヒーハウスのあるべき姿”という明確なイメージの下に、人々や調度品、流れる空気、すべてが誇り高く調和している。老舗の喫茶店に近いような感じ。

そんなコーヒーハウスの記憶たち。

昼下がり - Cafe Dommayer

街を散策をした後に立ち寄ったカフェドンマイヤーはワルツで有名なシュトラウスがコンサートを開いた、1832年創業の歴史あるコーヒーハウス。

晩秋のヨーロッパには珍しく晴れきった日。大きな窓から入る日差しにきらめくシャンデリアに赤いベルベット地のソファ。少し落ち着かなくてキョロキョロしてしまうが、ここにいる人々にとっては通常運転なんだろう。参考までに以下、店内の写真。豪華・・・

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陽にあたりながら新聞を読むおじいさん、反対側の席で新聞を読むまた別のおじいさん(コーヒーハウスには各社の新聞が揃っていて自由に読めるから年配者×新聞の組み合わせ率が高いのだろう)。友人とランチしてる人、一人でお茶してる人。色々な時間の過ごし方が店内に存在している。

そして一人で窓際に座っている10代前半ぐらいの男の子に目が止まる。折り皺の残る青いYシャツにベージュのパンツ。足元にはやたら大きなバックパック。学校帰りかしら?左手にはスマホではなく文庫本、右手にはフォーク。ケーキを食べながら本を読んでいる。私達でいうスタバのようにこの場所を使っているのか。

ウィーンっ子はこうやって若い頃から物怖じすることなく(といってもこれが彼らにとっての普通なんだから物怖じすることなんてないんだけど)一人でコーヒーハウスに入り、時間を過ごし方を学ぶのかぁ。座席と同じ色をしたケーキを頬張りながら感嘆の眼差しで少年を見ていた。

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夜 - Cafe Schwarzenberg

観劇のあと小腹が空いたのでさくっと甘いものを食べて帰ろうと、コーヒーハウスに寄った。コンサートホール近くにあるCafe Schwarzenbergのアールデコ調のドアを押して店内に入る。店の中に流れるピアノの生演奏の音。さすが音楽の都、ウィーン。どこにでも音楽が溢れている。

席に通してもらい、黒いジャケットを着たケルナーがオーダーを取りにやってくる。お願いしようと見上げると、目に飛び込んできたのはキレイに撫でつけた7:3分けの髪に、八の字の髭。100年ぐらい前のモノクロ写真に写っていてもおかしくない感じの人。お店の雰囲気もあり、いる時代を間違えたのは私なのか彼なのか分からなくなる。

タイムスリップなんてする訳ない。でも、こんな馬鹿げた考えを一瞬でも脳裏によぎらせる力をコーヒーハウスは持つのだろう。そんな邪念に一瞬持っていかれたが故に、反応が一瞬遅れ、変な間が生まれる。困惑したことに気づかれないように、平静のフリをして「アプフェルシュトゥルーデル(=りんごケーキ)とコーヒーを」とオーダーする。

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良さげなケルナーの写真を探していたら、奇跡的にご本人の写真を見つけた。この広いネットの海で(元の記事を見ると歌うケルナーとしてやや有名人らしい)。とにかく、席に通された後突然このような人が現れた時の私の動揺を少しでもわかってほしい。

アイロンを当てた白いシャツに上に来た黒いベスト、黒いジャケット、それに黒いエプロン。コーヒーハウス名物のケルナーたち。5人の大の男性たちが早足でフロアを歩き回り、歩いている方向とは違う方向に顔を向け、フロアの状況に鷹のように目を光らせている。

フロアは彼らの完全なコントロール下。客はオーダーが必要なのか、果たしてトレイの上げ下げが必要なのか。頭の中をフル回転させ、店内を合理的に移動する動線を常に考えているはずなのに、彼らの優雅な動きには焦りや急かしは1ミリも見せない。彼らが創り上げるコーヒーハウスという極上の空間。なんというプロフェッショナリズム。

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オーダーをして店内を見渡すと、ある男性に目が止まる。濃赤の上着に同色のパンツ。首元には違うトーンの赤のストールに黒縁メガネ。店内でも脱がない中折帽に彼のセンスを感じる。常連なのか、リラックスしてスマホをいじりながら店内で流れるピアノ演奏に耳を傾けてる。テーブルには白ワイン。なにか彼の周りだけ、時間の流れがおかしい

注文したケーキもやってきたのでせっつく私。りんごのケーキというベースは保っていながらも、コーヒーハウスによってそれぞれのアレンジが効いている一品。ここのはカスタードの海に浮かべ、ラズベリージャムを添えたタイプ。

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夜も遅いし急がないと、と思いながら、フォークとナイフで切り取ったアプフェルシュトゥルーデルにカスタードをたっぷり浸し、頬張っている最中、突然誰かが歌い出す。声の元をたどると、さっきの生まれる時代を間違えた(失礼)ケルナー。一部の客が手拍子をしているあたり、何の曲が知っているようだ。異国の言葉に異国のメロディー。

店の灯りがきらめく大きな鏡を背にしてピアノとバイオリンの伴奏で歌う彼の堂々としていること。これが彼の日々繰り返される日常だとしても、私にとっては非日常であり、こういう一瞬に出会えることって幸せだなぁ、と思って思わず見惚れる、聞き入る。

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歌に気を取られて遅くなってしまったし、帰らないと、とストールを巻きながら例の中折れ帽の男性をふと見る。
彼のグラスの中の白ワインが全く減っていない。
3-40分ぐらいは経っているずなのに。その間にデザートとコーヒーを平らげた自分とあまりに対照的すぎる。

私は何を急いでいるのだろう。こういう場所は夜が早かろうか遅かろうかさくっとお茶をする場所ではなく、ゆったりと時間を過ごすところなのに。旅行という縛られるスケジュールがない中でも、普段の生活のようにせかせかしてしまうのが骨の髄まで染み付いている自分が少し悲しく思えた(でも海外で夜遅くまでいるのは怖いから帰るけど)。

朝 - Cafe Sperl

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コーヒーハウスというと黒いジャケット黒いエプロンで俊敏に動く男性ばかりのイメージだったが、ここのコーヒーハウスでサーヴしてくれたのは女性だった。白いシャツに黒いカーディガン、黒いスカーツに黒いタイツ(調べてみると、コーヒーハウスは以前は男性の社交場だったがために男性給仕が多かったらしいが、女性が集まるようなもう少しカジュアルな場所だと女性給仕もいるらしい)。

オーダーの際もドイツ語ができない私は英語で話し、ウェイトレスはドイツ語で返してくる。それでも会話が成立するのがおもしろい。"danke schön(=ありがとう)"と "bitte(=どういたしまして)"と双方が言い合い、ニコリとして締めくくられるそんな会話。

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朝1のコーヒーハウスは観光客が少なく、いるのは昔から通っているような地元の人達ばかり。時が止まったような店内で静かに新聞を読み、コーヒーに手を伸ばす彼ら。正直この光景はどのコーヒーハウスでも同じだし、違うのは店内の内装と窓からいえる景色ぐらい。

その中でも自分の通う店、というのを決めて通いつめるウィーンの人々。”カフェ”の回転が目まぐるしい地域に住んでいると、そういう風にずっと通える”コーヒーハウス”があるのは少し羨ましい。東京に戻ったら、ずっと通える私の”コーヒーハウス”を探しに行こう、そう思った。

夕方 - Cafe Diglas

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あるテーブルに座ってる女の子。膝にナプキンを置き、おばあちゃまらしき人と四角いテーブルに座り一緒にお行儀よくケーキを食べている。

食べ終わるとウィーンっ子らしく(?)足首までのショートブーツにピンクのチェック模様のダウンジャケットと白い帽子とマフラーとまとい、おばあちゃまに手を引かれ、颯爽と店から出ていく。11月のウィーンは日本の真冬並みの寒さなのだ。

その出ていく様子があまりに様になっていて、クラクラする。もしかしたら、おばあちゃまも、そのまたおばあちゃまに連れてきてもらったのかもしれない。

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最初のおでかけする時は緊張してしまうような少し格式高いお店でも、5年10年と通っていくうちに、どんどん自分に馴染んで普段使いの店になっていくんだろう。この女の子も、いつかは自分の手よりももっと小さな手を引き連れて、この店にやってくるのだろうか。そうやってコーヒーハウスに通うという文化が世代を超えて脈絡と受け継がれていくんだろうな。

こちらのお店は1875年創業。ハプスブルク帝国最後の皇帝と呼ばれたフランツヨーゼフ1世も通ったという店。ちなみにここで食べたチョコレートケーキが滞在中に食べたチョコレートケーキの中で一番美味しかった。写真を見返すまで、こんなこと忘れていたのに。

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コーヒーハウスのある生活

こうやって考えると、コーヒーハウスというのはスタバ並の居心地の良さで、気張らずにふらりと通える店。食事はもちろん、おやつの時間や観劇の後のちょっと小腹がすいた時にも、一人でも二人でも思い思いに時間を過ごせる場所。

コーヒーハウスが社交場として発展したのは過去の話で、今では入りやすさのハードルは下がったものの、店の美しさやケルナー達の存在もありその場所の品位は落ちずに間口だけが広がった感じか。こうやってコーヒーハウスが時とともに生活の中にうまく組み込まれいくからこそ、祖父母世代から親世代、その子供世代へと文化が受け継がれ、残っていくのだろう。

イマドキのカフェも悪くないだけど、やはり、末永く愛せる”コーヒーハウス”って素敵だなぁって思ってしまう。自分の部屋の延長のように居心地が良くて、顔なじみの人がいて、いつか自分の大事な人達を連れて来れるような…今週末はそんな”コーヒーハウス”を探しに行こう。

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