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オレンジ/8の字/夏は終わる

いいことばっかだった。
悪いことなんてひとつもない夏だった。
本当にいい夏だった。

いい夏だった。
帰り道に何度もそう繰り返していた。
16時過ぎ、神田駅のプラットホームは、少し傾いた未だ白い太陽の光に照らされている。

なんだか眩しい日々だった。
白く眩しく、金色みたいに柔らかい、昼下がりの光のような日々だった。
同じ言葉を胸が苦しくなるまでに繰り返した。
いい夏だった。
ほんとうに、いい夏だった。

夏は終わってしまったのに、私はひどく安堵している。苦しいことなんてなくても、私はいい夏をすごしてみせたのだ。
振り返ってみてもよく思い出せないけど、多分ひとつひとつのすべてがとても尊いものだった。


今年の夏はいい夏であった。
決して全てが満ちてなんかいなかったけど、足りないものなんてひとつもなかった。ほんとうにいい夏だった。
この夏がいつ始まったのか、私は気付けなかったけど、なんだか今日で夏はおしまい、そんな気がした。

夏は、誰もが個人の意思で、それぞれのタイミングで終わらせるものだと思った。今年、私は夏の延命作業なんてしなかった。終わる夏を受け入れて、ただただ噛み締めていた。
焦燥というより安堵、溜め息の出るような優しい夏だった。今年の私に、夏が終わって変わるものなど、何もないのだから。

いい夏だった。いい夏だった。
赤レンガ沿いの駅前を歩きながら、この言葉だけが頭の中を反芻している。そしてひたすら繰り返す。いい夏だった。いい夏だったなぁ。

心の中で人を傷つけて、聞きたくないことには耳を塞いだ。それでも私には、いい夏だったんだ。
私にとっては、心の底からいい夏だったんだよ。

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