甘ったるくて、甘味
あの子もあの子もあの人も、幸せって何かわかる頃には、終わってた。the endだった。さよならだった。次へ、次へ、次へだった。
「人の気って変わるから。」「また遊ぼうね」あたしは無責任なことを言った。
君のことをね、メモリー、みたいな響きで語れるのは、君とは平等であったからだ。思い知った。
平等平等。そう対等。あたしと君は同じだけ恥を背負った。同じだけ後には引けなくなった。
同じ思いだったし、同じ重いだった。あ、今のちょっと君っぽい。
これはdisじゃなくて、やっぱりあたしたち、きっと同じ恥だった。
そして終わりを見届けた。そういうことだ。
あたし達は始まりを知らない。
周りの女の子と、そして男の子が次々知っていく「始まり」を知らない。
でもあたし達の間に確かにあって、確かに終わっていったソレは愛だったし、多分恋だった。
こんなこと今更確かめてごめんね。
答えてくれて、ありがとう。
君もあたしのこと、使っちゃっていーよ
幸せのイメージとして、「メモリー」として
未練とは違う、言葉として、歌にして、脚色して、原型なんていいから、形として、愛として、これが愛なんだとそういって。
君には、その権利があるはずだよ。
君はあたしの何者かで、あたしと平等な女の子なんだ。
「滅多に誰かと対等になんてなれないや。」
あの日そういう甘ったるいことを君に言えば、君は満足した?
甘ったるくて甘味、新宿駅はサイダー。
幸せのイメージは過去として。
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