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おはぎをつくって人を殴る

「突然おはぎが作りたくなって、スーパーでもち米を買いました。
あんこ、黒ゴマ、きな粉、、、
いろんな味付けのおはぎを2人で作って、
おなかいっぱいたべました。
そのまま一緒に眠りました。
次の日も、おはぎでした。

一度おはぎを作ったくらいじゃ、
昨日スーパーで買ってきたもち米も、きな粉も、使い切れるわけがありません。朝ごはんは、おはぎでした。向かい合わせで椅子に座って、おはぎをつくって食べました。
昼ごはんのような穏やかな気持ちでした。

しばらくはこんな毎日で、もち米が無くなるまでは、おはぎは我が家の定番メニューになったのでした。」

ふー。

日記の書くのが好きです。
理想は脳みその言葉、全部書いてしまうことです。
私のこの手で書くのでは、到底間に合いませんから、脳みそにプラグをさして、日記帳に結んでしまいたいのです。
膨大な文字数を、読み手の関心次第でどこまでもアクセスできる「日記」や「ブログ」という媒体が好きです。
書き手への関心の分だけ細かく解釈を持って読み進むことのできる、そういう「関心」の形が好きです。

日記を書くのがだーいすきです。
だって、
どこまで嘘で、どこから本当か、
「アレ」って何か、「キミ」って誰か、
ふつうのひとはわざわざきいたりしないもん。

おはぎを作ったって話は、1から10まで全てがウソです。おはぎなんて作ってないし、もち米も買ってない。一緒に食卓を囲むキミなんていない。
本当のことがあるとしたら、いつか私はそういう暮らしをするべきだ。という思いだけです。
今は、スーパーに出かける気力もありません。
当たり前です。
今は、夏だから。
毎日異常気象なのですから。

夏が深くなるごとに、日陰のないバス停も火傷しそうなアスファルトも蝉の声も、ぜんぶ異常な熱気でドロドロに溶けて、空気と混ざっていきます。

夏生まれの私は、この炎天下のもとを汗を垂らして歩いていると、どうも死にたくなるのです。
このまま夏に還るみたいに、溶けてしまおうか。体に抱きついてくるこの温い空気に溶け込んでしまおうか。と思います。
夏生まれの私は、クッキーの生地みたいに、この夏とドロドロに混ざりあってしまおうかという意味です。
日陰のないバス停と火傷しそうなアスファルトと、蝉の声と私の汗の、セミチップクッキーという意味です。

「1日50時間欲しい。自分が3人欲しい。」
という、ささやかで大胆で、最も地味な願いごとが今年の夏に叶ったのなら、3人目の私はこの方法でさっさと眠っていると思います。公園のトイレの上とかで。

死に際、私の白い肌が公衆トイレの上で日に焼けてしまうのは嫌なので、今年の夏は窓をピシャリとしめて、クーラーのひんやりしたお家で過ごしています。
お家では、数年ぶりに電子ピアノの電源入れて楽譜を読んでみたりします。
桃の皮を丁寧に剥いて、結局皮も食べたりします。
空いたスペースに絵を描いて、はちみつレモンをつくって飲んで、時々スイカを買いに出たりします。

夏が人をおかしくさせることをよく知っています。私もずっと家にいると、時々おかしくなってしまいます。
理由もなく気が触れてしまって、時代が時代だったら化け物として捕らえられていたかも。
でもそれは夏の仕業であって、少なくとも自分とは無関係な気がします。

あんなのは私じゃない。
嫌いな自分は、その言葉だけで片付けてしまう位でいいのだと思います。
人は変わっていくものだから。
今日・10年後の変化も、
今朝・今夜の変化も同じです。
人は変わっていきますから、変わらないものだけ信じていればいいと思います。
私は、それは心ではない。と、証明してみたい。

顔も変わる
髪型も変わる
体型も変わる
価値観も変わる
性格も変わる
声も変わる
人間関係も変わる
流行りも変わる
法律も変わる
好きな人も、大切も、
変わる 変わる 変わる!
体も、心も、全部変わっていくんだと、私は知っています。
そんなんだから、私は人のどこに惚れたらいいのかちょっとよく分からない。でも変わらないものがあったとして、それが好きな人のちょっとした仕草だったなら嬉しく思います。

話が逸れました。
ええと、夏が、嫌いな自分を連れてくるという話です。

「これが本性」だとか、「本当の自分」とか、「素の自分」とか、正直どうでもいいと思ってます。
あなたの本性とかどうでもいいんです。
取り繕っていれば、在りたい自分であれば、それでいいじゃないですか。
素性なんて、手作りしていけばよくないです?


時々夏や病気が、自分では無い自分を連れてきて酷く混乱してしまうだけで、わたしは誰よりやさしく、誰より強い、誰よりあたたかな人なのです。
人は心に色んな顔を何個も何個も持っているのだから、それを集めてもいいし、どうしても消したい顔は消せばいいし、欲しい顔は手に入れればいいと思います。

これは、嫌になるほど残酷で、恥ずかしいほど弱くて、誰よりも冷酷な自分を、最初から無かったことにする言い訳かもしれない。でも、夏が連れてきた自分が自分の本性なのだとしたら、「素の自分で生きる」とかそんなこと到底言えなくなるのです。


自分の行動すべてに、考えられる批判すべてを浴びせる癖があります。
色んな顔でわたしを批判して、それを一つ一つ好きな言葉で丁寧に撃退していきます。

そんな日々のせいで、私の中にいろんな意見と妄想があって、時には複数の生活を、ひとつの部屋で同時に行ったりするのです。
それは、好きな人とおはぎをつくる生活であり、好きな人を殴る生活であったりするから、夏は朝のお風呂場で絶叫してしまうのです。



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