「めんどう」ということ
きょう、仕事のメールのやり取りで
「今回の件はこちらで面倒見ておきます」という一文が来た。
起きた面倒の対処についての事後報告であり、
良いことをしてもらっているのになんだかとても寂しい気持ちになった。
一方で「めんどう」って、そりゃ確かに面倒なのだけれど
とても愛情深いものを感じることがある。
映画「ぐるりのこと。」のキャッチコピーは
「めんどうくさいけど、いとおしい。
いろいろあるけど、一緒にいたい。」
とってもとってもやさしくて、好きなコピー。
ふしぎな言葉だなと思って語源を調べてみた。ちなみに
『「面が倒れる」⇒「首を垂れるほど落胆する気持ちを生む厄介ごと」』
と思っていた。
『面倒の語源には、「ほめる」「感心する」などの意味を表す動詞「めでる」からとする説と、地方の幼児が人から物をもらった時に額に両手でさし上げて言う、「めったい」「めってい」「めんたい」など、感謝の言葉からとする説がある。(©言語由来辞典)』
「めでる」はもちろん「愛でる」、「愛する」ということでもある
(と解釈している)。
犬の散歩だって、結構めんどう。
家族や恋人の問題というのもめんどうなことの積み重ね。
だけどそのめんどうを背負ってでも、
愛しているから散歩にも行くし、一緒にいる。
自尊心を守ることも実はとてもめんどうなこと。
だけど「私にはプライドとかないから」と言えるひとのことを
愛せるだろうか。
「ひととひととの繋がりの中で生まれるめんどう」は、
「結局はめんどうを生む理由の根っこを愛している」
ということだとすてきだな。
そして「相手とめんどうを共有すること」も、
めんどうでもとても大事なことなのかもしれない。
2016.04.26