2023.05.27
キャベツをめっちゃ食べる人がいるそうです。
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私の愛しい人は、毎晩キャベツをふた玉買う。スーパーのカゴに入れるのではなく、抱き抱えてレジに並ぶ。必ず、キャベツだけを買う。レジ前でこれみよがしにピタが半額になっていようが、特売のトルティーヤが並んでいようが、目もくれない。二つのキャベツに向けられたほんのり熱い眼差しはじりじりとしだいに葉を焦がす。キャベツの方も、負けてはいない。その眼差しに応えるかのように、水気のたっぷりとしたまあるいからだ全体から、熱を放出する。ロウリュウサウナに立ち込めるような熱波がレジに立つ私の方にまで伝わってきて、目の前の空気がゆらゆらする。どくどくと心臓が音を立てる。毛穴から汗が放出する。あつい、あつい。
1、7、0、ピッ、2、ピッ。「――エンになります」
立ち込める熱に茹でられながら私はそう呟き、そして考える。
果たしてこれは、キャベツへの愛だと言えるのだろうか。
何故毎晩毎晩キャベツをきっかりふた玉買うのか、その真相を知ることは、残念ながら、きっと永遠にないだろう。しかし、毎晩あの人のからだから立ち上がるあの熱からは、否定しようのないキャベツへの愛が感じられてしまう。きっと、本当に心の底から、毎晩腕に抱くキャベツを愛しているのだと思う。野菜の一つの種として概念としてのcabbagesではなく、近々からだの一部に入ってその人のものになるであろうthese two cabbages。毎晩毎晩別のものとしてキャベツに愛を注ぐのだ。そして一度スーパーを出て、17分経つと空のエコバックを引っ提げまた戻ってくる。残りの必要なものたちを買い揃えるのだ。ニンジントマトコーン、またはジャガイモかブタニク。それらが雑に寝っ転がる赤いカゴを肘に下げて二度目にレジへ並ぶ時には、29分前の熱はすっかり消え失せている。あの熱はキャベツにだけ向けられる。わざわざ抱き抱えられレジ台にそっと丁寧にエスコートされまた腕に包まれて守られることはキャベツにとって名誉であろう。忠誠だ。しかしキャベツは、同じ皿の上に乗るはずのニンジントマトコーン、またはジャガイモかブタニクたちと同じカゴの中に入ったときの安心感を知らない、知ることができない。プラスチックの冷たい板の上でザクザクザクザクザクザクザクと細くバラバラにされ気づいたときにはもう、同じように刻まれたものたちや黄金色に揚げられたものたちが上から降ってくる、お互い元の姿を知らないままに。そして無理やり一緒にしたものたちを箸で摘み上げ口に放り込む。一度忠誠を誓った相手に刃を立てる、別の何かと混ぜ合わせる、唾液を絡めて細胞の一部にする。これは、愛、なのか。
「ありがとうございましたー」
私は今日も背中を見送り、熱の残り香を存分に味わう。
***
私の愛しい人は、毎晩キャベツをふた玉買って帰ってくる。キッチンのカウンターにキャベツをそっと置いてから、私の耳元で、「お前の千切りはKYKよりもうまい。世界で一番や。」と囁く。「いやいや、そんなん知らんがな。」と棒読み無表情エセ関西弁でツッコむまでがワンセット。そしてまたスーパーへと戻っていく、今度は私のママチャリに乗って。ドアが閉まる音が聞こえると同時に、流行りのアニソンを鼻で歌いながら包丁を動かす。ザクザクザクザクザクザクザク。
しばらくすると遠くから同じアニソンの大合唱が聞こえてくるので私は鼻歌をフェードアウト、数秒後にはガチャガチャガチャとドアが開く。せーの、という掛け声がかかり、
「邪魔すんでー」
「邪魔すんねやったら帰ってー」
「あいよー、いやなんでやねん」
まいどテッパンのやりとり。何が面白いって、毎日飽きずに繰り返すうちに、ちびたちの上達が目に見えてわかるのよ。芸を仕込んだ張本人は、ドタドタと駆け込むちびたちの後ろからエコバックを提げて一緒に部屋へ入ってくる。
「よっしゃそしたら手ェ洗って台所集合やでーーー」
「はーーーい」
「ほんならはよ洗面所行かんかーい」
私は今日もその頼もしい横顔を見つめながら、隣でジャガイモをすりつぶす。