2022.11.21
目で見ること、耳で聞くこと、温度を感じること
目の前で起こっているらしいことが視界に入らないと、なんなんだろうと気になっちゃう。気になって身体を動かして目で確認しようとする。
どうしても、見てみたいと思っちゃうよねえー。
***
アメリカに来てから、ヘッドホンをする時間が増えた。図書館が静かでないことがままあるので、喋り声をボリュームダウンするのに何も音を流さずヘッドホンをつけていることもある。
日本にいた頃は、ヘッドホンやイヤホンをして音楽を聴くという習慣がなかった。
特に移動中に音楽を聴くことは、昔からあまり好きではなかった。
そこまでしてずっと聴いていたいほど好きな曲に巡り合わなかった。
でもそれ以上に、近くの公園から聞こえてくる野球部の掛け声とかふてぶてしく鳴く鳩やカラスの声を聞き逃してしまうかもしれないことが嫌だったし、夏場のジトッとした空気や春秋のサラサラ感、冬の朝のキーンとした空気に耳をそのまま触れさせておくのが気持ちよかった。電車や車に乗っていたとしても、なんとなく聞こえてくるこそこそ声とかエンジンの振動を感じているのが心地よかった。私にとってイヤホンをして音楽を聴くという行為はその場に自分を無理やり持ち込んでいる気がして、その場にある何かを逃しちゃうような気がして、もったいないなと感じていた。思いがけない音が聞こえる状態に体をほうっておきたいのかもしれない。
と言いつつ、電車の中で本を読むのはよくやっていた。
なんでなんだろう。
単純に本を読むのは好きだったから、特にファンタジー小説を読んでいるときにその世界にのめり込むとずっと抜け出したくなくなるから本が読めそうな場所ならどこでも読んでいたかった。
小学生。ちゃあちゃんの家に向かうための赤バスの中で本を読んでるといつものおばあちゃんが乗ってきて、「あなたいつも本読んでるの偉いわねえ」とほめてもらったことはいまだに覚えている。本を読むことは誉められることなのか、ほーそうなのか、と不思議に思った記憶がある。褒められるならどんどんやってこうじゃないか。
中学生。父親にでっかい本屋さんに連れて行ってもらった帰りにさっそく電車で読んでいると隣に座った酔っ払いサラリーマンの人が覗き込んできて「お姉ちゃん英語勉強してるの偉いねえ」と言いつつタイ旅行の話をしてくれた。地元の知り合いに案内してもらってローカルな経験ができたことが楽しかったから英語ができるのは大事なことだと話してくれた。昼間に酔っ払いに遭遇するなんて、今思えばコロナ前の貴重な体験だ。
そういや、急に後ろから話しかけられると人一倍でかい声で叫んでしまうもしくはびくうっという効果音がとても似合う肩のすくめかたをするのも昔からだ。
そういえば、いつぞや怪しいアメリカ人のおじさんに会ったとき耳元で囁かれてだいぶゾクっとしたな。
私の耳は何かが聞こえすぎるほど敏感ではなくて、逆に些細な気配を感じられないくらいに鈍感だ。だから、本を読みながらでもある程度目はひらけている状態ではあるけれども、音楽を聴くとこの場に耳をひらけていることが難しくなっているのかもしれない。
それとあわせて、耳をこの場にひらいておくことがこの場にいる感覚とより繋がっているのもあるかもしれない。
これは自意識の問題もあるのか!?
知らんけど。
今は、キャンパスの森の中を歩きながら漫才の聞き流し動画を聞いてたりする。音楽を聴くこともある。でも安い有線のヘッドホンだから、周りの音もちゃんと聞こえたりする。溶け合う感じを楽しめるようになりたいな。
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