2023.4.8
春休みのことをいろいろ書いてたときの抜粋でござります。
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書いていて気づく。なんだかやっぱり私は「際」「境界」「境目」のような、あいだ、が絡んでくるものに知らず知らずに引っ張られてしまう。物理的にも比喩的にも、いまいち世界における距離感がよく掴めずにドッカーンと思いっきりぶつけてから自分の位置がわかる、という生き方をして来たので、「際」をうまく探りながら生きることへの憧れがあるのかもしれない。幼稚園から小学校の頃くらいまで膝に覚えのないあざはいっぱいあった。ボールを追っかけていて鉄棒に気づかず突進して前歯を折ったのは四年生のとき。幼稚園の時はケンカで言い返すことができなくて、言い返そうとしても気づいたら相手の子はもうその場にいなかった、という笑い話もそういえばある。ああ、あと、いまだに道端で人とすれ違うとき前から歩いてくる人との距離感がわからず、きっとぶつからないくらい手前のところで止まって相手が通り過ぎるのを待ってしまう。とろくて鈍臭くてうまく位置が掴めないからこそ、波のように現れ輪郭をつくる「際」のモチーフに惹かれ、そこを探りたくなってしまう?それが全てを説明できる理由にはならないが、確実に理由の一つな気がする。ぬわーんと、なんとなく、でも確実に何かしらの考えがあって、あいだをゆらゆらしながら立っていられる大人になりたい。マジックペンで線を引く大人だけじゃなくて、ゆるく解ける糸を操る大人も、ときには世界に必要だと思いたい、というか思う。