相変わらず、自分でもよく分からない自分を生きているなぁと思う。 思っていることはたくさんあるのに、それを言葉にしたら、思っていることとは違ってしまう、と思って言葉にしなかったり (言葉にする心力もなかったからできなかった昨年な気もする) 相変わらず、思っていることを形にするのが苦手で 思っていることが一次元だとすると、 言葉や文章の二次元にするのも 企画や実際のものの三次元にするのも きっとどれも苦手だし、まだまだできてないのだろうなと思う どこにもアウトプットで
春は一体どこへ行ってしまったのか。 満喫する前にいつの間にか終わってしまっていましたね…。 先日東京に行ったときも、桜が咲きながら雪が降っていたし…。 最近の自分はというと、ずぶずぶにおぼれていた昨年とは違い、息継ぎの仕方や他の泳ぎ方を2,3個ではありますが覚え、少しは泳ぎやすくなってきました。そして、呼吸もだいぶしやすくなってきた と感じています。 逆に言えば、蛙さんが大海を知ってしまったものの、見て見ぬふりをしつつ、それでも横目で見ながら、井戸をちょっと出て泳ぎ始めた
2月から新しい環境に身を置いているのですが、 分野が変われば、使われる言葉も変わるし 文化も変わるし 考え方も変わるしで、 その世界で流ちょうに言葉を話し 交わすには時間がかかるよな というのを改めて感じました。 エチオピアにいたときも当初はそんな感じだったのを思い出します。 自分が持ってる語彙はほんのわずかだったので、ひたすらにそれを繰り返す。 聞き取れることができる言葉も数少なかったので、 自分のうっすい語彙辞典を総動員して、知ってる単語(っぽいもの)をキャッチ
変わり変わりゆく外の物々。 それに対して というか そんな中でも、自分は自分のまま。 全てを取り入れて 受け入れて 引き受けて。 流転していく外の物々よりも 内の自分の方が結局確かなんじゃないかと思ったり。 それの対比で、他人との関係の中にある 確かなものについて。 同じ国籍の中でも、当たり前のように合う人・合わない人がいる。 細々とした環境は違えど、同じような文化・慣習の中に生きる人同士でも合う・合わないはやっぱりある。これは当たり前のこと。 国や住む環境・文化が違
電気を付けずに湯船に浸かり、斜め上の壁を見つめる 夏の夕方 まだまだ外は明るく その光が浴室内を照らす 温かいし 静かだ 4ヵ月前はこんなことありえなかった 湯船に浸かることはあり得なかったし そもそもお湯自体 やかんで沸かすか太陽光で温めなきゃ無かった 純粋な静けさもあまり無かったような 我が家の周りは住宅街だったので、教会からの爆音や近所の子供の声 それを叱る親の声と 生活音に満ち溢れていた気がする 向こうの街はまさに喧噪真っただ中といった感じで 多くの人が
見ちゃう。 見ちゃいますね、スマホ。 使い始めて1ヵ月経つのですが、それを感じます。 正確には エチオピアでも一度スマホを買ったので2回目の所有になるのですが、それは3ヵ月ほどで壊れてしまいました…。 帰国して、諸々ことをするには電話番号が必要ということになり、スマホを契約することに。 エチオピアで買ったときにもやっぱり思ったのが どこに入れておけばいいのだろう と。 高1から大学を卒業するまでずっと同じスマホを使い続けていたので、その手軽さ・サイズにすっかり慣れて
先日、1年9ヵ月の任期を終え 2年近くの隊員生活を終えました。 という文章をメールや報告等で打つようになって、 ・本来の任期は2年だけど 1年9ヵ月の任期 って言っていいのか? ・緊急帰国してからの3ヵ月は 任期なの?なんと名付ければいいの? ・任期満了と 果たして言っていいのか? みたいな疑問を抱くくらい、何とも摩訶不思議な終わりでした。 いろいろ思うこともあるのですが、その辺をつらつらと。 そもそも協力隊に参加しようと思ったのは、自分を変えたい と思っていたのも確か
コロナ渦中に思ったことを、忘れないようにいくつか。 ①周りの人・自分が"化け物"に見える感覚 "化け物"はここからの借り物に過ぎないけど、これは感じてしまった感覚の1つ。 友達も海外で同じように生活してきた仲間たちに対しても そんなことは大方ないだろうと思っていても、会うことで 接触することで感染する・移される可能性があると思ったとき、ためらわれてしまう。 相手に悪意がないことは分かっていても、まるで毒物兵器のように自分を犯しはしないかと不安になる。人ー人、友達ー友達
SNSなどを通じて意見を容易に発信できるようになった 反面、世の中の流れや周囲の風向きで 意見を表明しなければいけないのかも と迫られているように感じることも出てきた気がする そんな中で、Yes/Noのみで答えられるほど簡単じゃないとき YesかNoで答えられるほど 自分が勉強していないとき もある そこで無理に表明するのではなく、 今はまだ分からない・答えない(答えるのを控える)ということもあっていいと思う ここで大事なのは、"今はまだ"と"控える"というところ
ぬるま湯に浸かったようだった。 冷水のような冷たさに包まれたわけでもなく お湯のような温かさに包まれたわけでもなく。 エチオピアのように、 道を歩けば声を掛けられたり、コーヒー飲めよ!と言われたり、 スリや強盗に気を付けなければいけないわけではなく。 人々は有象無象で、 川の水のようにさらさら 音楽を聴きながら歩ける、 値段も定額で、ストレスの余地はない。 予想していたような落差も、期待していたようなカルチャーショックも、 あるわけではなく、 どちらがどうというわけ
エチオピアに来てから、あいさつをめっちゃします。 しかも、日本よりもかなり濃度の濃いのを。 エチオピア流のあいさつの仕方は、 ①握手 ②お互いの肩を2・3回軽くぶつける が基本です。 女性の場合、両頬にキスをするというときもありますし、 男性でも握手したのち 肩をぶつけず抱きしめてくる同僚もいます。笑 初対面だったり 丁寧さで距離を取る場合は、握手のとき 反対の手を肘あたりに添えて握手をします。 店員さんがレシートを持ってきてくれる時もこんな感じです。 以上が動作編
昨日書いた「一人と大勢」の反対バージョンもあるんじゃないかと思って。 例えば、大好きな人たちが 大好きな集団がいて その人たちにその大好きを ありがとうを 今までもらった分を返したいと思う。 一人が一人に返すのは容易だけど、 一人が大勢に返すのは容易ではない。 それは人数の多さもあるし、その人数全員に同じ量だけのものを返すのは難しい。個人からじゃなく、複数人絡めてもらったものもあるだろうし。 そうなればもっと複雑になる。 一人に対して大勢からもらったものを返すのは難し
しょうがないのだけど、やるせないことを 理不尽なことを。 学校の先生とかお医者さんとかって、 一人に対して接する人数がかなり多い気がする。 1クラス持って30~40人、それを何年もやれば担当してきた子供の数は膨大なものになる。 お医者さんもそう。先生ほどじゃないにしても、1人に対して何人もの患者さんが伴う。 その上、と言うべきか それにも関わらず、と言うべきか 先生に対する生徒、医者に対する患者にとっては たった1人の先生だし お医者さん。 でも、 先生とかお医
エチオピア連邦民主共和国 南部諸民族州ワライタ県ソド派遣の町田です。 こちらに来てより半年が経ちました。 未だ活動の目処が立ちません(^-^; 半年事務所にはいますが、求められるような様子もなく むしろみんなそれぞれの仕事で忙しそうにしています。。 要請内容に近い給水部門の人たちも、まだ何をしているのやらよく掴めず、たまに会議をしていたり 人が集まったりしているのですが なかなか入り込めず… 関係が悪いわけでは決してなく、むしろ事務所の人には良くしてもらっています、
結婚式の補足をいくつか。 というのも、前述は11月に参加した結婚式なのですが、ついこの前、日にちで言えば12/16にも結婚式に参加してきたので、その2つの結婚式を踏まえたうえで。 ☆基本的に流れは同じようです。 まだ2回しか経験していませんが、どちらも新婦さんのご実家→お昼ご飯→ケーキカットという流れは同じでした。これがエチオピアの もしくは任地ワライタのスタンダードなのかもしれません。 またどちらも日曜日に行われており、私たち以外にも結婚式を執り行っているグループがあ
ハイエースに乗り、同僚たちとどこかへ向かう最中の車内は、音楽ががんがんにかかり 人々は歌うや手拍子やのすごい盛り上がりでした。中でも特に、その地域の音楽がかかるとものすごく盛り上がり、何度もリピートされる有り様でした。 (地域についてはまた違う記事でまとめますね) まずハイエースが向かったのは、レウィリゾートという 任地に唯一あるリゾートでした。 そこには式前の新郎がいて (といっても、前のブログの招待状を見る限りかなり早い時間からあれこれプログラムがあったので、すで