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「Fukushima 50」を観て思うリーダー論

テレビでは今まさにオリンピック中継真っ盛り。
私はスポーツ観戦というのが特に好きでもないのでもっぱら映画などの動画を見てる。
ニュースの時間でさえ競技結果の時間が大半になってしまい、ついにはアマプラにも入ってしまった。

先日プライムビデオで「Fukushima 50」という映画を観て、今の日本の現状と照らし合わせ想うことがたくさんあったので書いてみたい。

3.11からの数日間、福島第一原発(福一)の中で実際に起こっていたことの物語だ。
映画だから脚色はされているが、ドキュメンタリーと言っていいだろう。
当時の福一の所長であって今はもう他界された吉田昌郎さんと、原子炉運転責任者であった伊沢郁夫さん(劇中では伊崎利夫として登場)のリーダーシップを描いた物語でもある。

原作者の門田隆将さんからも吉田昌郎さんの取られた行動と、東電・政府の言動を比較され、危機管理の本質とは何なのかを問われていたのを聞いていたし、危機管理の専門家である青山繁晴さんが議員になられる前、まだ危険な状態から開放されない福一で吉田昌郎さんと対談をなさって、その人間性に惚れ込んだ話も何度も聞いていた。

この物語には現場のリーダー(吉田昌郎さん)、会社のリーダー(東電幹部)、国のリーダー(菅直人元総理)、それぞれの対応、いや危機管理能力の差がまざまざと描かれている。
とりわけ信念を持って行動することの大切さについて、この映画は強くメッセージを発してると思う。

「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」

そんなセリフが一世風靡した映画があったが、まさにこれが当時の福一でリアルに起きていたことなのだ。

命を守るということの本当は何か?
誰のために存在しているリーダーか?
リーダーが守るべきものは何なのか?

とても考えさせられる。
原作は読んでいたが映像化されることで感情移入が激しく止まらず、何度も何度も泣いた。
映画でこんなに泣けたのは初めてかもしれない。

***

福島は酷く傷ついたけれども、決して死にはしなかった。
それはまぎれもなく福一の現場に居た皆さんが命がけで守ったからだ。
だから私も10年前福島へ赴くことが出来たのだ。

映画のラストに流れるテロップにこうある。

2020年7月に開催される
東京オリンピック・パラリンピックは
復興五輪と位置づけられ

聖火は福島からスタートする

この映画が作られたのはコロナ禍の前だ。
思い出してほしい。
東京2020は震災復興五輪だったはず。
未曾有の大震災から10年、福島も東北も日本も元気に復興していることのアピールだったはず。
確かに聖火は福島から始められたが、テーマはいつの間にかコロナ復興五輪にすり変わり、そしてコロナが収束してないからと今度は多様性と調和のオリパラとなり・・
復興五輪はどこ行った?
世の中の事情が変わったのは仕方のないことだけれど、この一貫性の無さは何なのだ?

オリパラのテーマから震災復興を外させたのはIOCだと一部メディアの記事が公開されていた。
実際、IOCの会長は来日の際広島へ、副会長は長崎へ行った。
東北ではない。
そして開会式での黙祷は東北ではなく、遥か昔ドイツ・ミュンヘン大会中に襲撃され死亡したイスラエル選手団へだった。
IOC会長がドイツ人だからか?
この国の主体性はいったいどこへ消えてしまったのだ?

***

リーダーはブレちゃいけない。
ブレるということは信念が無いからだ。
信念が無いから行きあたりばったりだとか、どっち向いて仕事してるのか?と不信感が募るのは当然。

同じくこの映画の最後に「トモダチ」というアメリカ軍・政府のキーワードがクローズアップされる。
そう、Operation TOMODACHI(トモダチ作戦)だ。

人命を守るということは、会議室で上からに叫ぶことではない。
速やかなる行動力・実行力であり、そのことで真に民の信頼を得ることが出来るのではないだろうか?
言葉は時としてブレる。
しかし行動はブレない。
信念があるからこそ、苦難を覚悟で行動するからだ。

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