道の反対側から人が来る。 人とすれ違う時、わたしはいつもどうしたらいいのかわからない。 まず相手の目を見たくないのに、つい見てしまう。 なぜ目を見たくないかというと、目を見るとその人の内面が垣間見えてしまうからだ。 相手もそんなの本望ではないであろうに。 すれ違うその1秒で無意識に洞察力の無駄使いをする。 決して美しいものばかりではない。ほんとうに、見ない方がずっといい。 そして去り際に相手が通った風を感じる。 その風はその人の香りが味付けされてている。他人フレーバ
「好き」って何なんだ。 好きなことをやればいいだなんてよく簡単に言うよ。 もう何も好きじゃないかもしれない。 もう全部嫌いかもしれない。 きっと全て好きだから嫌いで、嫌いだから好きなんだ。
私は今、ニューヨークにいる。自分が想像していた以上にここが気に入った。ほどほどに私の存在を無視してくれるこの街は、案外心地よい。 金曜日の夜。マンハッタンから少し外れた閑静な住宅街では、どこかの家から弾け飛ぶヘビーメタルの音楽が部屋の窓を振動させ、サイレンが遠くで鳴り狂っている。 突如地下鉄に乗り込む狂気者は空気の様に扱われ、行儀の悪いやつには堂々ピシャリと物申す。良いと思えば良いと口にし、自分を信じて表現する。そんなこの街は問答無用でここが「弱肉強食」の世界であることを思い
幼稚園に通っていた頃、私は毎晩母と同じ布団で寝ていた。ある夜。いつも通り母と布団に入り、ぼんやり暗い部屋を眺めて考えに耽っていた。 (ままははーたんを産んでくれてそれから今日までずっと育ててきてくれたんだ。そんなすごいこと。ありがとうって伝えなきゃいけない。) どういうわけか突然思いついたその思考は幼稚園児なりに初めて感じた心からの感謝だったかもしれない。 勇気を振り絞り、、、思い切って言ってみた。 「まま、今まで育ててくれてありがとう。」 すると母はぷひゃー!と何かが弾け
戒め日記 🌑🌈🐉🪽 -飛ぶには。 🗣️ if it’s about your desire, it’s easy. all humans want one thing, freedom. right? nah, i just want self actualization, not freedom. then self actualization comes from what? hmmm,, freeing myself…?, ずっと空高く飛びたくて、爆発させたくて、
高みを目指すには身軽でなくてはならない。 恋愛感情は人の感情や感受性を成長させる。 しかしそれと同時に君の線グラフの山はそこで止まる。📈 そこで止まった点の色はさぞかし深い色になるだろうね。それも素敵だとおもうよ。 私はそれじゃ満足できないけど。
ひらめきって最高だよな。 私は割と毎日毎秒、色々なことをひらめくタイプだと思う。ひらめきとは一口に言っても、「これだ!」という確信(核心)的なものから、「あ、これとこれってなんか似てるなぁ」「なんとなくこんな気がする」のようなぼんわり包み込まれる系など、グラデーションのように様々な種類が強弱をつけて多様に混在する。今回は私なりにそれらのひらめきは一体どのような回路を経てうまれているのか、考えてみようと思う。 ①思考型 -脳 私の脳は土で、土の中を行き交う菌や芋虫が思考。 経
おどおどと。 朧げな瞳でこちらを見つめ、ひくひく必死で嗅ぎ分けようとする姿。それはまるで薄暗い陰で暮らす鼠だ。 不安か。自信がないか。どちらもか。 自分がやってきたことを思い返し、指を咥えて他人の人生に弱々しく羨望の眼差しを向ける。 己の人生から逃げるな。
私は恋愛感情が苦手だ。 なんか生臭くてヌメちっこくって、ぬめぬめしてて恐ろしい。特に他人から矢印を向けられるのが苦手で、想念をキャッチしちゃうと腹が痛くなることもある。なのでもし私を少しでもいいなと思っている人がいるならば、どうぞ今すぐにその感情は抹消するか、別の人に馳せてください。恋愛感情を持たずに応援してくれると嬉しいです。私も人並みに恋愛やらドラマやらを楽しめたら、と思った時期もありましたが私には無理でした。残念ながらその需要は供給できないです。申し訳ございません。
どんな文章/会話にも、揚げ足を取る事ができる。それが言葉だ。私にとっては、脳内に無限に広がる思考という名の宇宙を平面化し出力したものである。 平面、二次元。 それは正面からみると大きく広がるものも、横から見ると一本の線になる。 だからこそ、良くも悪くも如何様にでも捉えることができるのだ。 屁理屈や揚げ足取りはその人間の不安からくるものであると思う。自分の不安を自己処理できない奴ほど人に噛み付いては他人のせいにする。 ごちゃごちゃうっせ、 そんな奴には言ってやれ。 「
毎晩思う。「自分のことを嫌いになるって、どうしてこんなに簡単なんだろう。」 他人から見たら私は自信に溢れた自己愛の強い怖いもの知らずの若者に見えるかもしれない。 だが、私も毎晩葛藤している。 いつもこの綱渡りなんだ。自分を嫌いになりそうでならないように。自分で食い止める。手を離せばすぐにあっちの世界へ行けてしまうのだ。 私は「普通」が本当にわからない。 だから、人と関わるのがあまり得意では無い。 人間コミュニケーションは「普通」いわば「常識」を軸にキャッチボールをしなく
わたしの小学生の従兄弟は天才で、とにかくパンクだ。いちいちしでかすことがロックンロールの度を越している。 例えばこの間。学校へ行ったらすぐに家に帰ってきてしまったそうだ。学校へ着くなりいきなし「じゃんけん大会始めるよー!」とクラス全員VS自分でじゃんけんをして、そのまま気が済んで帰宅したそう。人気者の不登校。不思議な人だ。 それにこの間は、祖母(以下グラニー)に「グラニー、これ、あげる。」と、大量の1円玉や5円玉の入った封筒をくれたらしい。グラニーが「ありがとう。でもこれ
わたしが未来のためにできること。 それは未来のことなど考えないことだ。 すなわち、「今を生きる」と言うことである。 より良き未来を迎えたければ、いかに今を大切に生きることができるかに尽きると思う。 先ばっかり考えて今が疎かになるから、ろくなことにならない。 例えばゴミの捨て方だってそう。 今朝は仕事前に商店街のゴミ拾いに参加した。 道路に投棄されたゴミを拾いながら、どんな背景でこのゴミが捨てられたのか想像した。 何気なくゴミを捨てるその一瞬の選択すらも、ゴミの環境と運命
昨晩気がついたことがある。 愛されたければ、愛さなくてはならない。 もらいたければ、与えなければならない。 私には、何が与えられるだろう。 忘れることしか、手放すことしか、私にはできなかった。 だから全て忘れよう。そう思って目を瞑った。 LEO 私は白い光の中にいた。 隣には自分の身体よりも大きなライオンいた。 私は彼の背中に乗り、鬣に抱きついてしっかり握りしめていた。目的地へ私の代わりに彼が歩いてくれていた。そこに向かうには要所で映像を観なくてはならなかった。ライオンと一
この間、私は同僚と仕事終りにスタバでお茶していた。要件は、今後の進路と人間関係について。飲み物を片手に、あれやこれや日常の気づきを夢中で話していた。 「キミたちわぁ…スターバックスで働いてみたいと思うかね?」 っ誰?!?! 突然、大きな声で 隣の角のテーブルに座っていた、端正な容貌の叔父様が私たちの会話にヘッドスライディングしてきた。 見る限り、彼は見た目に気を遣っている、健康重視の、目は深い二重で据わり気味、第六感強めの哲学や考古学的教養のある、どこかの偉い人。という感
人間コミュニケーションの落とし穴は、 第一に欲。第二に情だ。 これらに気をつけ、自分にきちんと向き合い正直に行動していれば、恐らくある程度はうまくいく。 「欲」 それは、その人と関わることで自分にメリットがある、この人は自分に○○をくれるからいい人だ、等の考え方である。 これを私は「ヘンゼルとグレーテル現象」と名付けよう。お菓子の家におびき寄せられ、お菓子をタダでくれる老婆に甘え、お菓子を貪り肥えた子供は、老婆に食われそうになる。 「情」 これは厄介。何故なら人情は暖かく