見出し画像

【妊娠初期】妊娠発覚~つわり・仕事

こんにちは
昨日書いていた妊娠初期の頃の様子や出来事を
まとめていきたいと思います。


2024/7/21 妊娠検査薬陽性

まず私はそもそも生理不順でした。
ちゃんと来るときが珍しいくらいに、少しのストレスや体調不良で一週間、二週間遅れるなんてざら。なんなら、ストレス溜まりすぎて三カ月生理が来ず、ホルモン注射を打ったことがあるくらいです。
なので、一応一週間遅れたときは、たまに妊娠検査薬をして陰性、「まあ、ないよね」の2.3日後生理が来るようなそんなことが多かったです。なので、この日も一週間遅れて、やっとこうくらいで自宅にて検査したら

まさかの陽性!

もう30だったのでタイミングで来てくれたら、自分の子供というのは持ってみたい感じてみたい、経験したいとは(ちゃんと覚悟は持った上です)思ってはいましたが、実感わかず、とりあえず夫へ報告(結婚前提で同棲中だったので正しくは彼氏)。
とりあえずお互いびっくりの方が強かった印象。


2024/7/22 産婦人科

幸い近くに産婦人科がある総合病院があり、そこでまだわからないかもだけど、診てもらおうと21日に予約し診察。
この日は、胎嚢もまだわからず一週間後、予約し帰宅。
ドキドキの1週間を過ごす。


ちなみに
次の日くらいかな?職場でも気になりすぎて再度検査薬して、陽性でてました。(笑)


2024/7/29 胎嚢確認

このときも多分夫はついてきてくれてました。自分だけ診察室入り、内診すると胎嚢確認!次は三週間後に心拍確認できるかで、終わりました。

この時期は流産の可能性はあるため、またドキドキの三週間でしたね。


2024/8/19  心拍確認 

この日は夫用事あり、一人で検診。エコーで心拍がわかりました。その時は感動したことを覚えています。命がここに一つあるんだと思いました。
そして、夫は仕事のお付き合いで、富士山に行っていたのですが、その山頂神社で、タイトル画像のお守りを買ってきてくれました。

正直、この時は
入籍しておらず、結婚前提の同棲状態だった為、ちゃんと話をしなきゃいけないし、このまま順調にいくかもしれないし、いかないかもしれないけど、結婚の意思はあるのかの確認をしたように思います。

私の考えとしては今の世の中的には事実婚等たくさんの選択肢があるとおもいますが、私は、一緒にいたいという意思確認、約束?覚悟が、籍をいれることに繋がると思っていて、何もそれがなく曖昧のままだと逃げる選択肢もあるわけで、最初から曖昧にするなら一人なってもいいから離れるべきだと思ったからです。

でも、夫は結婚する意志は変わらないこと、「子供が出来たから、結婚するわ、とかそういうのでもない」ようなニュアンスのこと言ってくれました。ああ、この人を信じてみようと思いました。その後入籍の日にちも話あって、お互いの親に妊娠したこと、この日に籍をいれることなど伝えました。


2024/8月半ば~9月末 地獄のつわり期間

もう記憶は曖昧なのですが、、
多分心拍がわかる前後くらいに体調は変わっていったように思います。

私の場合は主に食べづわり。
と毎日の吐き気(吐くぎりぎりラインまで来てました)
何が辛かったって、、、仕事です。

訪問介護で日々バイクで回っていました。一応上司には妊娠報告しましたが、安定期に入っていない為、周りのスタッフには報告していない状態でし急に訪問のシフトも変えられず、訪問に行くしかない。弱音を吐けず、約二か月間絶えていました。

毎日二日酔い状態なのに、バイクに乗り、この夏の暑さに耐えながら一件ずつ耐えて終わるたびに、少しでも空腹を感じると気持ち悪くなる為、グミや飴、昆布を食べて次へ行くの繰り返し。水も気持ち悪くなって、ルイボスティーを水筒に常に入れて飲む。

それでもどうしても身体的にもきつく、精神的にも涙が止まらなくなった時には、シフト作成していた上司に報告し、早退や欠勤しました。その分、他のスタッフには訪問のしわ寄せが行くわけで、伝えてなかった期間上に、申し訳ないが勝って、メンタルはかなりボロボロでした。

家に帰宅しては、一日耐えたことで崩れ落ち号泣する日もあったり、自分がめちゃくちゃしんどいとき、夫に対しても怒りを募らせ、訴えることもしばしば。(わかってくれようとはしていた)。男性は自ら調べたり、凄く気をつかってくれる方もいらっしゃるとは思いますし、全員がわからない人だとは思いませんが、体感しないとやはりわからないものだとも思います。わかってても、命を守って日々耐えている自分との差が苦しかったですね。

休みの日や、欠勤した日は引きこもり、妊娠の嬉しさより辛さが勝って、よくある検索魔になり一日を過ごす。「こんなお母さんでごめんね」何度も思いました。ストレスを溜めるのは良くないっていうけれど、無理だと本当に思いました。少し調子のいい日は、カップラーメン焼きそば(今までほとんど食べなかった)や王将、マクド、味の濃いものが急に欲しくなり、爆食い(笑)それを食べなきゃ寝れないくらいの勢いでした。毎日じゃない為、出来るだけストレスを溜めないようにと野菜もしっかり摂りつつ、偏食もありました。

入院をするレベルで嘔吐を繰り返す人はもっと苦しいのだとも思いますし、全然つわりのない人もいる。この期間は世の中のお母さんは本当に凄いと思っていました。

補足、ダンスインストラクターも週2で入ってました

春からある小学校のダンスクラブ講師と、5年半ほどキッズダンススクールインストラクターも訪問介護と継続して仕事をしていました。
クラブ講師はアシスタントに引き継ぐことができ、スクールに関しては人数も減ってきていたのもあり、自分の妊娠と合わせて9月末閉校で調整していただき、それまではつわり時期にも出来る限り、レッスンしていました。

ただやはり、つわり時期はしんどいことと結構激しく動いていた為、怖いこともありました。休校にすることもあり、申し訳ない気持ちがしんどかったですね。ただ、保護者様が本当にいい人で理解してくださって、最後までやりきることができたのだと思います。

ダンスはしたいのに出来ない、辛い時期でした。


2024/10 

この地獄のつわり期間は10月に入ると徐々に治まってはきて丁度、10/10がいわゆる安定期に入る時期でした。なので妊娠初期のお話はつわりで終わります。(笑)


とりあえずこの夏はもう味わいたくありません

体調のましな日には、遊びにいったりご飯にいったりもしていましたが、辛い日々が濃厚すぎて、夏を楽しんだ記憶はありません。(笑)

今ではよく耐えたな自分と褒めたいくらいです。

前回も書きましたが、もともとストレス耐性が強くない為、どんだけ泣いたかわかりません。今までは、お酒を毎日飲んで発散していたのが、飲めなくなり飲みたくもなくなり、発散方法にも苦しみました。

10月に落ち着き始めた頃にはお酒を強制的にストップさせてくれて良かった、ベビのおかげだと思えるようになりました。


その辺の、落ち着いてきたころのお話は
次回へ繋げたいと思います。

辛かったお話を書き綴っただけですが
誰かの情報になればいいです。


では。また次回妊娠中期へ。



いいなと思ったら応援しよう!