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「許せないものが自分だ」2025/02/22の日記
許せないものがある。
それが自分を表していると思う。
多くの人は自分は何が好きで、
何を持っていて、
何を信じていて、
という「所持」しているもので自分が自分であると決めている。
私は違う。
むしろ、許せないものこそが、 私の輪郭を形作っている。
私が許せないのは、他人の行動ではなく、私自身だ。
人の目を気にしてしまうこと。
頭の中で何度も計算して、 最適な言葉を探しながら、 結局どれも違う気がして飲み込んでしまうこと。
期待に応えようとするあまり、 自分がどうしたいのか分からなくなること。
理想の自分と現実の自分が乖離しすぎて、 そのギャップを埋めるために必死になっても、 追いつかない。
やらない完璧主義者。
そういう自分が許せない。
「なぜ、もっとできないんだ?」
「なぜ、私はこんなにも臆病なんだ?」
それは単なる落胆ではなく、 自己への裏切りのようなもの。
人と比較して焦り、 「なぜ自分はこんなにも遅れているのか」と不安になる。
社会は、ある程度の鈍感さと図太さがなければ生きていけない場所だ。
私はそれを知っている。
だから、人と距離を取る。
でも、その結果、 削られていくのは自分自身なのかもしれない。
人をもっと素直に好きになりたい。
疑念は、相手ではなく、自分自身を縛る。
そして、 自分を許せないまま時間が経てば、 それは止まっているに同義だ。
そんなこと分かっている。
そんなこと分かっている。
言われなくても分かっている。