3-7 何故他責にできないのか
凄く悩んでいる事柄がある。
『他責にできない』。
これはあとで過去の方に詳しいことは書くこととするが
とにかく他責にすることができなくなった。
言ってしまえば、ずっと『自責』で生きてきたから、元に戻ったと言えばそれまでなんだが。
だが、こういう道を辿ってきた上で
ある時、『他責にすることがどんなに楽か』を学んだことがあった。
その時期はとにかくとにかく何もかもを他責にしてた。
何を言われても他責にしてた。
でも、なんやかんや、『他責』にしていた時期が長く続いた訳ではなく。
むしろ短くて、
多分だが、1ヶ月程度だったのではないかと思う。
何故他責じゃなくなったかというと
『人間誰しも辿っている道はひとつしかない』
『人間誰しもその人生の中での過ちは絶対に起こりうる』
ということを再認識したからである。
これは以前の記事にも書いた気がする。
……私が今悩んでいる理由は。
『他責』にできないのであれば
『自責』にしなければならない
とはならないはずで。
かといって
『他責』ではなく『自責』にしなければ
気持ちのやり場がなくなるのだ。
不思議だろう。
人のせいにしても、自分のせいにしても、どっちにしてもいいと思うんだよ、正直言うとな。
でも、私は、『他責』が無理になってしまった挙句、
このやり場のない感情を背負うがために
『自責』を選ばざるを得ないのだ。
何故このような思考回路になったかとか、
何故こんな思いしなくてはならないのかとか、
そんなこと考え始めたら
実際問題私は何もしてないから
『他責』にしていいはずなんだよな
でも私にはそれができなくなった。
どうしたらいいかやり場が分からず
結果的に『自責』に追い込むことによる
『悪循環』が生まれている訳である。
この章は、スタートlineだが、
そもそも風邪も治っていなく
助けも得られない中で
どのように解決したらいいのかは正直分からない。
26日にイベントがあると知っていながらも
声は出ない。
自責する。
ただの悪循環でしかない。
正直、
『こんなスタート、ありか?』って思ってしまっている。
くだらないが
すべてをやめたくなる時だってある。
珍しく私が弱音を吐いているように見えるかもしれないが
いつだって私は強くはなく、
いつだって私は地獄の中で生きてきた。
強い、と思われているのは嬉しいことである。
ただ、
強い=弱くない
訳ではなく
……誰しもそうだろ?
どこかできっと何か泣いたり叫んだりするように
私だってそんなの同じだ。
まあ、最近……というか、だいぶ疲れとるんやろな。私。笑
すべてを『他責』にして楽になりたいさ。
本当はな。
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