善意のつるぎを振りかざす
いつだってためらいもなく困っている人に手を差し伸べられる人は勇者。それが世界を滅ぼそうと企む魔王を倒そうと立ち上がる事であれ、重たい荷物を持ちながら階段を一段ずつ登るおばあさんであれ、子連れのお母さんに席を譲ることであれ。わたしは勇者になれない。日々生きる中で何度もそんなことを感じる。
電車に乗ってきた子連れのお母さんを見るやいなや、颯爽と立ち上がり席を譲る。脊髄が反射するようにお母さんに寄っていく勇者を尻目に、「譲ろうとはわたしも思っていた」「譲ることで相手を社会的な弱者扱いしてしまうんじゃないか」「譲ることでかえって気を遣わせないか?」などと余計なことを考えていつも出遅れるわたし。「すぐに降りるので」と言い残して去っていく姿はかっこよく立派に見え、取り残されてわたしは自分の卑しさが嫌になる。
わたしの善意の隣には、いつだって理性が凛と立っている。相手の迷惑にならないか、打算で動いていると思われないか、わたしが譲ることが最適なのか。自分の中で理屈を付けないと善意のつるぎを振りかざせない。そして、こんなくだらない事で悩んでるうちに、ヒーローは颯爽と困ってる人を助け、わたしたち大衆にかっこいい背中を見せて去っていくのだ。
いざという時、理屈抜きで一歩を踏み出せる勇気。誰彼構わず善意のつるぎを抜ける勇者に、わたしはなれない。ただ、せめて自分と関わりのある人に対しては、ためらわずに歩み寄れる人になりたい。自分にとって大切な人のためならなりふり構わず一歩を踏み出せるのか。今の自分には、はっきりと「Yes」と言えない。しかし、いざその時が来たら、こんな事すら考えずに一歩を踏み出そう。日々そんな気持ちを胸に抱くのだ。そんな相手はいないのだけど。
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