見出し画像

みなとの日常物語 1 - 大学生カフェバイト

※この文章はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

わたしは東条優希、横浜に暮らすごくごく普通の会社員。最近はテレワークが増えたため、休憩がてらに近くでカフェ巡りをすることが増えた。オフィスに勤務していた頃は、出勤のついでにオフィスの下層階にあるカフェでブレンドコーヒーを1杯買い、お昼休みになると食事終わりにカフェラテを1杯買ってオフィスに戻るのが習慣であった。しかし出勤を自粛するようになり、外出することも外のコーヒーを飲むことも控えるようになって久しくなっていた。しかし、今では簡単な運動と気晴らしを兼ねたカフェ巡りにハマっている。コーヒーは奥深い。豆の違いはもちろんだが、挽き方や抽出の仕方ひとつでこうも味が変わるものだとは、オフィスの下の同じ店で買っていた頃には気づかなかった。しかもチェーン店だから統一規格だ。今も同じようにテイクアウトし自宅や外のベンチで飲むこともあるが、せっかくのテレワークなので店内でコーヒーを片手に、静かに仕事を進めることもたまにはある。最近は、少し足を延ばしてみなとみらいのカフェを訪ねることもある。海沿いを歩いていたら、公園沿いにカフェを見つけた。せっかくの出会いなので入ってみることにした。

わたしの名前は髙橋和澄。気が付くと、横浜に来てからもう3度目の春を迎えた。
両親の暮らす実家は長野県にある。長野県とはいえ、軽井沢のような高級別荘街ではなければ、豪雪地からは遠いのでスキー・スノーボード三昧というわけでもない。雪は降るけど雪かきをするほどでもないので、スキーやスノーボードをするにはわざわざ県北へ行く必要がある。田舎と言われてイメージされるような緑豊かで自然あふれる光景でもない。とはいっても、都会と呼ぶには程遠い、必要なものはひと通り揃っているが、痒い所には絶妙に手が届かない街で暮らしていた。友達と遊びに行くにも行先はイオンモールばかりであり、ちょっと出かけるにも自動車が必要なので、学生時代に友達と出かけるだけでも、自転車で頑張るか母親に送り迎えを頼むかしていた。高校生になってすぐに原付バイクの免許を取りに行ったのも、今では少し懐かしい。

そんな街で青春時代を過ごしてきたわたしにとって、都会は憧れだった。テレビに映る大都会・東京はどの場面を切り取っても何もかもが光り輝いていた。街を歩く人たちは最先端のファッションに身を包んでおり、どんな場面を切り取ってもカッコ良く見えた。食事だって、彼らは巧みな技術で華麗に変わり身を遂げた名前も聞き知らぬ材料を日々口にしているのだろう。街に出れば瞬く間に芸能人に出会えるのだろう。右を向けばオシャレな横文字が並んだカフェがあり、テラスではマダムがコーヒーを片手に洋書を読んでいるのだろう。左を向けばブランド店が立ち並んでおり、高級品に身を包んだ紳士淑女がウィットに富んだ会話をしながら歩いているのだろう。あぁ街並みさえも美しく思えてきた。そんな憧れを抱いたわたしは、親に頼み込んで東京の大学を受験させてもらった。ちゃんとは調べずに願書を出してしまったため、合格した学部のキャンパスは横浜にあった。関東事情に詳しくないわたしにとって、東京も横浜もたいして違いがないと思っていた。横浜は横浜県ではなく神奈川県だという事くらいは知っていたが、面積も小さいと習ったので東京と横浜間は目と鼻の先くらいに考えていた。

横浜駅からだいたい徒歩18分、1Kの部屋にひとりで暮らしてる。横浜駅からとは言ったが、平沼橋駅の方がずっと近い。女の子のひとり暮らしは心配だからと、家賃は多少上がるがオートロックの付いたマンションに住まわせてもらっている。両親と兄とわたしの4人家族で、兄が既に働いているとはいえ、とても裕福とは言えない我が家からすると、この金額は少し居た堪れなくなる。学費や仕送りまで少し出してもらっており、本当に頭が上がらない。しかし、それだけでは日々の暮らしが心許ない。交遊費だっていくらあっても足りはしない。なので、わたしは週4日でカフェ店員のアルバイトをしている。以前は夜間の居酒屋とかけ持ちをしていたが、大学も3年生になり平日の空きが増えたため、生活リズムを崩しがちな夜間アルバイトを避け、カフェでの勤務を増やすことにした。
わたしが勤めているカフェは、みなとみらいの海が見える公園に隣接している。カフェ前に広がる光景は、わたしが憧れだった都会の印象通り、むしろ当時は海のことまで考えていなかったので、わたしの憧れを上回る光景かもしれない。ここにはわたしが期待していた物が詰まっていた。確かに観光客も混じってはいるが、はるばる来られる人も日々利用される人も総じて身なりが整っており、気持ちに余裕を持っている人が多いと感じる。近場には異国情緒のある飲食店も数多く軒を連ねているが、未知の料理との遭遇はいつだって胸躍る。もちろん既に知っている料理だって誘惑を掻き立ててくる物が多い。横浜が発祥の食べ物も数多くあるという事をこちらに来てから知った。ナポリタン、シーフードドリア、ショートケーキ、アイスクリーム、食パンと、日本の洋食文化の礎を築いたと言っても過言ではないのかもしれない。少し歩けばランドマークタワーをはじめとするビル群と海が広がっていて、横浜を象徴する光景だと感じている。それらのビルの中には高級ブランド店もあれば流行りのショップもある。世間の流行りを簡単に手にすることができると考えると魅力は留まるところを知らなかった。

しかし、都会に住んでいるだけで毎日優雅な生活を送れるわけではないと、最近のわたしは強く感じている。都会は生活するには物価が高すぎる。街行く人たちが着こなす服だって真似をするには安くない。テレビという煌びやかな世界で生きる人たちの着ている物なんて、SNSで見てみると天文学的な金額にさえ感じてしまう。みなとみらいのオシャレな食事はランチセットだけでも1000円札1枚では済まない。1時間のアルバイトで得た給与が1食で消えてしまう。大学の友人と食事に行くだけでも安い話ではない。飲み会なんてもはや存在意義すらわからない。なんでこんな金額を支払ってまで頭を痛くしないといけないのだろう。彼女たちはどこからそんなにお金が出てくるのだろうと常々感じている。そして、日々の食費・光熱費だって馬鹿にはならない。きゃべつ1つ買うのになんで150円も払わないといけないのだろうか。アルバイト代は地元よりもはるかに高いけれど、それでも日々の出費が大きくかさむ。仕送りで足りるわけがなく、日々のアルバイトで食いつないでいる。そして、芸能人は見かけたこともない。何度か東京にも行ったけれど、それらしい人を見かけたことさえなかった。そもそも東京都内に出るのでさえ、積み重ねれば交通費もなかなかの金額になる。大学や課外活動はだいたいが横浜近郊で済むので、特に用事がない限りは東京へ出ることはなくなった。住めば都と世間では言うけれど、住んでみたからわかる現実というのも多いとは感じた。

大学も3年目を迎えると、手慣れた空気が流れてくると感じる。講義の受け方も要領を得ており、出席点やプリント回収、小テストやレポートなど、必要な物だけ効率よく消化していく。空きコマになると学友と食堂やカフェで時間をつぶすことも多かった。しかし、以前に比べて一緒に時間をつぶす相手が捕まりづらくなった。スーツ姿でキャンパスに現れる人も今までよりも多く見られた。就職活動の幕開けである。経団連が指定する就職活動の開始日までまだ時間はあるはずなのに、やれインターンシップだ、やれ会社説明会だと、企業も就活生も動き出しが早すぎる。就職活動の開始日には内定が出される人もいるらしく、もはやフライング上等の出来レースじゃないかと腹立たしくさえ思っている。しかしそんな心とは裏腹に、わたしも動き出さなければと焦る心が就職活動といういばらの道へと歩みを進ませる。しかし、特にやりたいことがあって地元から出てきたわけではないわたしは、自分がどんな企業を受ければいいのかなんてわからなかった。就職活動では企業へPRするために自己分析が必要であるとはよく耳にするが、これでは自己分析ではなくて自分探しの旅ではないかと我ながら感じてしまう。もちろん旅などはしていないが、自分の心の往古来今をさ迷い歩く感覚は旅と呼んでも過言ではないように感じている。自分探しの旅の途中、都会暮らしに疲れていることが身に染みる。ここ1年は気づかぬうちに感染を引き起こす可能性を恐れて帰省もできていない。自分の将来を考えた時、こちらに残った方が幸せなのか、故郷に帰った方が幸せなのか、いまだに自分の中での答えは出なかった。横浜の海を眺めても、わたしに向けて何も語りかけてはくれなかった。

就職活動はお金がかかるので、わたしは引き続きカフェに働きに出ていた。第一印象が大事だとリクルートスーツを購入し、メイク道具も新調、髪型が崩れないようにと頻繁に美容室へも行っている。証明写真機と何が変わるかもわからないが、就職相談室の勧めの通りに写真屋で証明写真を撮った。不足したら追加で印刷してもらった。説明会や面接は東京が基本であるため、交通費だってかさんでくる。この時ばかりはなぜ東京に住まなかったのかと後悔が止まらない。例え講義や就職活動が忙しくても、活動資金と生活費がかかっているため、カフェへの出勤頻度はあまり減らせなかった。一時期は減っていた客足だが、観光客こそほとんど来なくなったものの、近くで働くサラリーマンや近所で暮らす横浜マダムや学生たちで依然とほとんど変わらぬ客入りだった。お店自体も元々雰囲気が静かな店なので、テイクアウトも店内利用も以前とそこまで変わらない入りのように感じている。今日も悩みを表に出さないように、わたしはコーヒーを差し出す。

わたしはブレンドコーヒーを受け取った。受け取るときに店員さんの表情が見えた。マスクの奥でほんのりと口角を上げ、優しく微笑みかけていそうな雰囲気を持つ店員さんに好感を持ったが、目線の奥にほんのりと儚さのようなものを感じた。静かで落ち着いた雰囲気のカフェではあるが、きっと働く中で大変なこともあるのだろう。自粛を推奨される中、客入りが減っているのだろうか。それともうるさい客やクレームの多い客が来店してくるのだろうか。初めて来店したわたしにはわからなかったので、ここで考えるのをやめることにした。
せっかく海が近いのでわたしはコーヒーを片手に隣の公園に向かった。左を向くと観覧車、インターコンチネンタルホテル、クイーンズスクエア、ランドマークタワーが見えた。横浜らしい壮観な光景だ。右を向くと大型の豪華客船が目に付いた。一度は乗ってみたいものだが、船酔いがひどいので一生乗ることはないだろう。そもそもどれほど稼げばあれほどの船に乗れるのだろうか。わたしは考えるのをやめた。さらに右へ視線を向けると、眼前には空が広がっており、奥底には雲の海が見えた。空の広さを感じる。日々の悩みの小ささなんて、この空の広さを考えればちっぽけな物だし、この海の静けさを考えると心を荒立てる必要もないと考えさせられた。そんな当たり前のことを感じながら、わたしはコーヒーを片手に家路についた。さあ、午後の仕事をはじめよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?