もしかして空気に手伝ってもらってるのかな?
頑張るのが疲れる日がある。
そんな日は、自分を奮い立たせる方がいいのかな。
自分にノルマを与えて無理やりやる気になった気持ちになる方がいいのかな。
それとも、の~んびりする方がいいのかな。
無力でじっとして次へ向けて温存する方がいいのかな。
何が正しいんだろう?
答えは……
決まってない。何でもいい。人それぞれ環境が違って、その時の状況も違っている。1つのこれが正しいっていうのは多分無い。
自分が色々ときつい時は、環境が悪いとか、状況が悪い、って周りのせいにしたくなることもある。自分が苦しすぎて現実逃避したくて周りのせいにしたこともあるだろうな。
でもそれやってると、結局は自分に返ってくる。面白いくらい返ってくる。泣きたい時があったら泣いたっていいと思うけど、なんでか泣いた後って更に悲しいことが待ってたりするんだよなあ。不思議なんだけど。もしかしたら私だけかもしれないけど。怒る(いかる)のも一緒で、何だかむしゃくしゃして切れてしまった後って、その時はスッキリするかもしれないけど、あとに更に怒りたくなることが近寄ってくるような気がするんだよなあ。前の怒りなんて比べ物にならないレベルのものが来る。私だけかもしれないけど。
人の気持ちってそれだけ周りの空気も動かしているんじゃないかって思う。色んな人の気持ちが乗った空気が人と一緒に動く。そりゃあ、人が多い場所だったら空気同士がぶつかったりもするよねえ。
今は人との距離を保ってと言われる。2mだっけ、それだけ離れれば空気でぶつかることもないんだろうなあ。それって、ちょっと過熱気味になってる物事に対する考え方、例えば半年ごとに新商品が出るとか、それをイケてると言って当たり前の様にどんどん買い替えていくみたいなことをちょっと見直してみない? って言われてるような気がするんだよなあ。スピードがどんどん当たり前になって、「もっとゆっくり行こうよ」の言葉じゃ中々変わらないから、じゃあ空気を変えちゃえば、そうせざるをえなくすれば渋々とでも変わっていくよね、みたいな感じ。
SDGsがいい感じに進むのかな。それはそれでいいと思う。人はロボットじゃないし、スピードだけが正義ってわけでもないし。
うん、なので、スピード、スロウ、なんでもいいと思う。スピードの時は、自分をしっかり見せようと奮い立たせて無意識でもいかつい感じで歩いていたかもね。スロウで人と2m離れれば、肩肘張らずとも自由に行動できる。大手を振ってもいいし(ぶつからないから)、朝のラッシュ電車に読みたい本を断念することもない(ぶつからないから)。
ずっとずっとスピードモードで今までみんなやってきて、ちょっと疲れちゃってスロウモードになりたい、って心で思っていたのかも。でも個人じゃなれない。だから空気が手伝ってあげるよ、そんな感じの期間なのかもしれない。歴史はよくわからないけれど、新しい時代への幕開けってこんな感じなのかもしれない🍀
※ヘッダー写真は「みんなのフォトギャラリー」から詩野(SHINO)さんのものを使わせていただきました。ありがとうございます。