病名が分かってうれしかった
筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群については、すでに同じ病気の方が症状についてまとめてくださっているみたいだ。ちなみに、私がこの病気で一番きついのは全身の理解しがたいほどの痛み。発症からこれまでのことを綴ろうと思う。
初めて症状と思われるものが出たのが2016年の11月。微熱と全身の痛みだった。そして、ようやく病名が分かったのが2019年の1月。
発症・1度目の休職 2016年秋
私は、仕事の人間関係のストレスで限界だった。異動前だから、と言い聞かせてどうにか耐えていたが、異動後、通勤時間が片道1時間に増え、環境も大きく変わった。人的環境にはだいぶ恵まれたところだったが、仕事から帰ってきて寝ようとすると発狂しそうなくらい(してた)全身が痛い。身に覚えもないのに。ついに職場でも、めまいがして椅子に座っていられなくなった。上司に帰宅を促され、メンタルクリニックを受診した。その頃は精神的にもだいぶ来ていて、なんでこんなんなんだろう、と消えたくて仕方なかった。うつ状態と診断されて、休職することになった。それでも体の痛みは時々襲ってきていた。
(ちなみに、月経痛がかなりひどく、起きていられなくなったのを見かねた親に、連れていかれるような形で婦人科を受診した。痛み止めをもらおうなんて呑気に考えていたら、6cmの卵巣嚢腫ができていた。春になって、手術をした。)
職場復帰 2018
休職も2年経ち、慣らし勤務を経てどうにか職場に復帰した。ひどい痛みは落ち着いてくれていた。仕事の負荷量が増えるにつれて、やりがいも感じ、仕事自体は好きでなんとかこなしていた。
そんななか、あの嫌な痛みがまたでてきた。眠れない。これはメンタルの問題じゃない気がする、そう思って整形外科などを何件か受診して回った。やはり、検査では異常が出ない。「ということは、メンタル的なものでしょうか、とりあえず鎮痛剤出してみますね(効かない)。」と何度言われたことか。
もういいや、と思いかけていた。母親から地元の新聞記事の写真と共に「もしかして、これじゃない?」とLINEが届いた。
病名が分かった日 2019.01.26
クリニックに到着して、やはりだいぶ待ったけれど、看護師さんも親切で居心地が良かった。医師は、しっかりした問診、触診をすると、「思っていた通りだと思う、慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)だと考えられます。そこに、線維筋痛症も併発が考えられます。」と告げた。病名を告げられた時の私は、なぜか安心感とうれしさでいっぱいだった。この病気のことは事前に調べていたし、治療法はまだ確立されていないこともちゃんとわかっていた。それでも、自分のせいじゃないし、自分が怠けているんじゃないんだとわかってすごく肩の荷が下りた。
仕事中に感じた異変 2019.06
このあとも数か月は仕事を続けていた。痛みや倦怠感で起き上がれない日が増え、欠勤することも増えた。どうにか通っていたけれど、ある日、仕事中に激痛がでてしまい立っていられなくなった。職場の一室を借りて、次の患者のリハビリ時間まで、と許可をもらって床に伏せるしかできなかった。こんなことが数日続き、さすがに診断書を出してもらった。そして今日まで休職している。
2度目の休職~現在 2021
体調の波は振れ幅が大きくて、ひどいと数時間の活動のあと数日寝込むこともあった。3000歩はどうにか歩ける日もあるし、負荷調節が難しいなと実感する。一番ひどい時は、脱水になって主治医に心配をかけたり、包丁を何とか持てても野菜が切れない、めまいや痛みでシャワーを浴びられない、髪を乾かすことが難しい、なんてこともある。何度も親を呼んだし、いまだに心配ばかりかけている。これからも悪化する時期があるかもしれない。
だから過度に無理はしない、それは心に決めている。
一つ、確固たることがあるとすれば、私は持病に抗うことはやめた。抗うほど私は空回りをすると気付けた。これに気付けただけでも、これまでの数年に意味があったと思いたい。
私も一応、いちおう作業療法士だ。私は私の生活に何を提案するだろう。negativeな面だけみていても、前向きなアイデアはなかなかでてこない。じゃあ、今の私にできることはなんなのか、どうすればらくにできるのか、楽しく出来るのか、そんなことを考えるようになった。そしたら、なんだかいろんな人に知ってほしいなと思うこともでてきた。
次回の記事について
どうすれば生活をらくにできるのか、次回の記事ではアイデアの端切れみたいなものを綴ることにする。らくをすることは決して悪いことではないよ。
だれにだってあるとおもう。疲れてドライヤーめんどくさい!とか睡眠の質が悪い気がする、とか、化粧だけ落として寝たい!とか。みんなにとどけばいいな。長々と読んでくださったあなた、ありがとう。また次の記事でお会いしましょう。