新社会人、心療内科に通う
23歳の春から児童養護施設の職員として働き始めました。
児童指導員という職で、様々な理由により保護者と暮らすことが困難になった子ども達の親代わりをするような仕事です。身の回りのお世話(掃除・洗濯・料理など家事全般)から始まり、授業参観や運動会、三者面談など学校行事にも参加していました。
児童指導員になるには保育士や教員免許等の資格が必要で、私は美大にて中高の美術教員免許を取得し、無事採用に至りました。
絵を描くことに救われてきた私は、子ども達にとって美術が日々の楽しみや生きがいに少しでもなればいい、日々の生活の中で芸術による自己表現の楽しさを伝えたいと思ったからです。
いざ就職
新人職員に対する施設の子ども達の言動がきついということは、教職の授業や本で知っていたので、覚悟の上就職しました。覚悟していたとはいえ、やはりなかなかきついものがありました…「この大人は自分のことをどれだけ受け入れ、受け止めてくれるのか」を探るために、わざと酷い言葉をかけたり無視したり、試し行動というものをしてくるのです。
私の担当は女子中高生だったので、女子特有のドロドロというか、陰湿な感じがすごかったです(笑)こちらに聞こえるように複数人でこちらの悪口を言ってきたり、あんたじゃ話にならん!別の職員呼んで!(まあそりゃそうだよな)、あんたの作る料理人間の食べ物じゃない!(確かにまずかった)等々…笑
それでも、耐えかねた私が個室にこもってこっそりと泣いている時に、声をかけるわけでもないけど部屋にきて様子を伺ってくれる子がいたり、まずかっただろう料理もしっかり食べてくれる子もいたり、辛い日々の中にも救いがありました。
しかし限界がきてしまった23歳夏。働き出して3ヶ月目のことでした(早すぎる)。子ども達の中にもカーストがあって、その最上位の子に暴言を吐かれたり無視をされたり(他の子達もそれに従う)が毎日続いたため、心が壊れかけていました。
人生初の心療内科
休日に仕事のことを考えるだけで涙が止まらなくなったり、出勤したもののこっそり泣きながら作業をしたり、何があった訳でもないけれど涙が止まらない日々が続いていたので、さすがに危機感を覚えて心療内科に足を運びました。
まだ鬱とまではいっていなかったようで、号泣しながら先生に話を聞いてもらった後、ストレス耐性を少し上げるお薬を処方してもらいました。(話を聞いてもらう中で、なぜ児童指導員になりたかったのかを整理できたり、ここで挫けることは本望じゃないと気付くことができたので、意味があったなと思います)
その後は月に1回のペースで心療内科に通いつつ、子ども達の試し行動も安定してきたため、もちろん辛いこともたくさんありつつも嬉しいことも増え、何とか1年勤務することができました。(この1年は子どももそうだけど、職員関係がしんどかったな…)
次回、2年目に入りなぜ鬱状態になってしまったのか、整理していきます。
読んでいただき、ありがとうございました。記事への♡、とても励みになっております。ありがとうございます!