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児童養護施設へ就職、一年目を振り返る


(前回予告していた内容とは異なります、すみません…後日ゆっくりと書いていきます)

児童養護施設の職員として就職したものの、入社3ヶ月で心療内科へ通うほどに心が病んでしまいました。なぜ入社早々にこんなことになったのかなと当時から考えていたのですが、一つの原因として、子どもと真正面からぶつかりすぎていたからかなと思います。

試し行動だって知識では知っていても、いざ子どもから直接暴言を吐かれると(試し行動なので大して深い意味はない)、自分の何が悪かったかな…といちいち反省モードに入ってしまうし、何より傷付いてしまうのです。頭では分かっているつもりでも、心の整理が追いついていかないというか…感情の整理の仕方がまだまだ未熟で、言われたことをそのまま真正面に受け止めて、馬鹿正直に傷付いていました。

子どもの悩み相談も、真剣に聴きすぎてしまう。子どもの話だから、自分が悪くないように話したり、話す内に矛盾が生じてくるとか、嘘が混ざるとか、あるじゃないですか。それにも一つひとつ心の中で指摘してしまう自分がいて。

ベテランの先生は「話して発散したいだけだから、仕事しながら聞き流しときゃいいのよ」って言うけど、悩み事なんだから目を見て真剣に聴いてあげたいなって思う(だからこそつい指摘もしたくなる…)。辛い話を聴くと一緒になって落ち込んでいってしまったり。そういった感情と行動のすれ違いによって自分を追い込んでしまっていたのかもしれません。

真剣に聴いてあげたい→だからこそ話の矛盾に気付く→指摘したい→でも今子どもが望んているのは正論ではなく共感であるので、うんうんと聴いてあげるのが最適→言葉を飲み込んで聴き続ける→感情と行動がすれ違っていて勝手にしんどくなる自分…

変に完璧主義だったり正義感が強かったり、そういう一面が自分にはあるんだなと気付かされた出来事でした。自分の短所という訳ではないけれど、上手くコントロールできなければ自分で自分を苦しめるだけだなと感じます。


よく「ドライな人の方がこの仕事は続く」と聞いていましたが、まさしくそうだなと思っていました。私は真逆の熱意たっぷりの共感性バチバチみたいなタイプだったのですが、結局のめり込みすぎてしまったために子どもと一緒に落ちてしまって(そこは大人として一歩引いて、子どもを引き上げてやらないといけないはず)、結局退職してしまったので、中途半端に子どもと関わってそして消える…っていう一番良くない関わりをしてしまったんじゃないかと今でも後悔しています。

今思うと「大人としてきちんと子どもと一線を引ける分別のある人」「子どもの感情に引きずられることなく、一歩離れたところから子どもを客観視できる人」のことを、職場では「ドライな人」と呼んでいただけなんだろうな。

大学生時代、3週間母校の中学へ教育実習に行った時に、担当の先生から「あなたは生徒の立場に立って共感することは上手だけど、大人としての目線で生徒に接することが下手だ」と言われたことを思い出しました。当時22歳の私は、結局まだまだ子どもだったんですよね。

その後教育実習生から児童指導員になっても、自分の目線を変えることはすぐには出来なくて。そういった新人の頃の目線を持ち続けることは大切だって褒めてくれる上司もいたけれど、子どもと一緒になって落ちていった時に自己処理できるほどの経験もなければ、上手く引き上げてくれるベテランさんも私の所属する部署にはいなかった(万年人手不足の業界、、)。

結果、自分なりに一生懸命に子どもと向き合おうと頑張るけれど空回り、心の中に整理しきれない感情が溜まりに溜まって、心がキャパオーバーして壊れかけてしまった…という感じなのかなと今になって思います。

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