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名も無きなみだ
やまなみ工房ドキュメンタリー映画
「地蔵とリビドー」野外上映会
⚠️一部ネタバレあり
やまなみ工房は社会福祉施設であり、利用者それぞれが好きなコト、モノと触れ合いながら過ごす。
しかし世の中でそれらは"アート"として評価され、施設利用者は時としてアーティストなのだ。
このドキュメンタリー後半にさしかかり、1人の男性(映画の登場人物としてはアーティストだろう)が施設利用者としての作業をする様子が見られる中、私の目から何故だか涙が溢れていた。
止まらない涙、理由のない涙は私がこれまでに流した涙で1番美しかった。
感動して だとか 悲しくて だとか
感情の動きで流れた涙では決してない。
ただ、そこには段ボールを運ぶ姿があり、スタッフが掛けてくれている言葉を真似るように話す姿があり、映画タイトルである「地蔵」を作る姿があった。
そこに、彼らが"障がいを持つ方がアート作品を作る"
という衣装を着せるのではなく、
"彼らそれぞれが好きな時間や
自分らしくいられる時間を守る大人がいて、
場所があって、1人の人としての尊厳を証明する"
そんな普段着を用意してくださる環境がこの世の中に、この日本にある現実にきっと私の涙は流れたのだ、と推測する。
大人に近づくにつれて「社会」や「仕事」というものの現実を知り、なんだか窮屈な世の中だなぁと嘆きたくなる時がある。
もちろん、綺麗事だけで世の中が回るわけではないので、人間の持ち合わせる知能を有効活用して時間を過ごしたり何かを生み出したりすることは必要だと思う。
しかし、誰に邪魔されるわけなく、心を汚されることなく1日を過ごす誰かがいて、それを守り抜く誰かもいる事を知ると
このちっぽけな世の中も救いようがあるもんだ
なんてちょっと大きくなって世の中についてぼやきたくなる日があるのだ。
さぁ、私もそのちっぽけな世の中を少しでも続けるために働こう。
何かを学び、得た物を世の中に還元しよう。