見出し画像

自称エド・ルシェ普及委員2

とある人物の創作物が衝撃とともに世界に受け入れられ、その後常態化するということがたびたびある。
映画で言えばジョージルーカスのスターウォーズの前後、音楽で言えばビートルズの前後とか。
創作物にまつわるピースが切り取られ、機能として採用されたり、装飾として採用されたり、解体されながら世界に普及していき、ジャンルを超えてどこまでも広がっていく。

これは自然現象だ。
冬が来て雪が降り、地表の温度を奪い、秋の風景は終わる。次に到来する秋は、その前の年の秋と同じようでいて同じではない。そのようなチェンジがいたるところで起きているが、人の暮らしの中でも日々大なり小なり起き続けている。

エドルシェのことは知っていて大好きだったのに、ある日夫が「ハードオフの看板(私の)好きなやつに似てない?」と指さしながら言うまで気が付かなかった。あら、ほんとだそっくり。かわいく誰にも手に取りやすいアレンジがなされているけど、源流から流れてきた要素をあの看板から汲み取ることができる。
ハードオフだけじゃない、そう言われてみたら街中にはルーツがエドルシェなのではという物をいくつも発見できる。
作り手がエドルシェを知っているかわからないな?と思わせるほど噛み砕かれ常態化したピースが、すでに私たちの暮らしの中に紛れ込んでいる。

このような現象は、芸術はよくわからないというモヤモヤに対する1つの答えではないかと思う。多くの人が現物を見た時には気が付かず「わからない」のに、根源的に好きだと感じる要素が創作物に含まれているから、このような現象は起きる。鋭く見抜き、広める人がいて、アレンジする人がいて、装飾する人がいて、「わからない」芸術作品はこうして人の手を渡って世界を歩き続ける。世界だけじゃない、時間さえも歩き続け、時代を超えていく。

誰かが死んだとき、時代が終わったと感じさせる人がいる。エドルシェはそのような人に間違いがない。まだ生きていて元気に活動しているし、ずっと時代の先端を歩き続けてる。時代の後手に回ったことなどないのかもしれない。そういう性分なんだろうね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?