
切り口で眺める絵画ー夢想家とリアリストという双極
絵を見るにあたって、1人の画家の絵を見るだけでは、見慣れていない人にはわかりにくいことがある。
だから私は人に絵の話をする時には、とある観賞用の軸を設定して、複数の画家の絵を比べてみてもらうことにしている。
例えばリアリスト↔️ロマンチストという軸を用いて以下の3人の画家の絵を見比べてみる。
ジャクソンポロック
from https://www.jackson-pollock.org/

アンリルソー
from https://henrirousseau.org/

パウルクレー
from https://www.paulklee.net/

もちろん感じ方は自由だけども、パウルクレーのロマンチックさは誰もが感じ取れる類の情緒ではないかなと思う。
それからアンリルソーもリンク先を見てもらえば彼がこの上なくロマンチックな絵を描く人だとわかると思う。
ルソーとクレー、かたやしっかりとジャングルという誰にもわかる具体的なものを描いているけど、かたや子供の落書きのような飾らない線の描写で森とも住宅街とも取れる曖昧なものを描いている。
何をどう描いてるかはさておき、ポロックの厳格な現実主義的画面と比べてみればその世界観の違いが一目瞭然だろうと思う。
抽象画というと、日本では曖昧で捉えどころがないものと思われがちなのだけど、こうして眺めてみると、最も具体的なものを描いたアンリルソーの子供のような自由な心はわかりやすい。比較すればポロックの子供心のなさ、大人の社会で生きているリアルを感じられるんではないだろうか。
3人のなかでは、ちょうど抽象表現と具象表現の中間のパウルクレー。ロマンチックよりなのだけど、ルソーがロマンの世界にどっぷりなのに対して、クレーは具体的な形を描くか描かないか選択しながら画面を作っているのがわかるかもしれない。1つ1つの絵の構成要素の選択に対する慎重さを感じる。
ルソーの奔放さ、クレーの思慮深さ、ポロックの大胆さ、そういった要素が「リアリスト↔️ロマンチスト」という切り口でみると見えてくる。
当然絵を眺めるための切り口は無数にある。
人の感受性の複雑さは果てしない。
例えば「迷いのなさ」という切り口で眺めてみると、また違う絵の側面が見えてくる。
絵の画面は描く人物をそのまんま反映させている。
私は高校時代、パウルクレーが好きだったけど、今はポロックが好き。甘すぎるものを年齢とともに好まなくなった。
今ではアンリルソーって実際会ったらめんどくさそう、とか、パウルクレーは言ってる意味がわかんないんではないかなとか感じる。
体は成長期過ぎれば育たないけど、自分の心の成長が絵の好みにいつも反映されてきた。リアリストになったみたい。
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