見出し画像

デッサン力ってほんとに必要?って話

私は抽象画を描く画家なんだけど、大人向けの抽象画クラスも運営してる。
絵を教えるのは、今持ってるクラス以前にもやったことがあって、子供向け基礎だったり、マンツーマンでだったりと、ときどき依頼があって。

過去の経験から、もっと絵の基本の構成要素に着目したクラスをやってみたいと思うようになっていた。
受験したいとか言われるとどうしてもデッサンを教えないといけないけど、なんか、これ以外にも大事なことがたくさんあるのになぁってモヤモヤしていた。

プロの絵でも、描かれた絵を眺めていると、線と面と色なんていう絵の基本の構成要素の理解が弱いと感じることがあって。生意気言ってすみません。でもそう感じるの。

デッサン力があるがゆえにうまく描けていたとしても、ごまかされた線や、意思の乗ってない面、心とくっついてない色選びで構成された画面は仕上がりが弱い。うまいねって思うけど良くはない。そういう絵を眺めると気力を奪われる。

描く時に気をつけなければならないのは、うまく描くことではなくて、考えてることは本人に自覚がないものまですべて画面に乗っていて、見る人が見れば見抜かれてしまうことを肝に銘じることなんじゃないかと思う。

線とは何か面とは何か、色を選ぶとはどんな行為なのか、そういうことひとつひとつを丁寧にやって邪念を取り除くことができたら、どれほど画面が強く仕上がるかを、人に教えることで共有したかった。

クラスの人はほぼ絵は未経験の人たち。
見たものをそのまんま描く特訓🟰デッサンをごっそり絵を描く工程から抜き取って、嘘のない画面を作るということに取り組んでる。

これまでの経過を見れば、おおむね伝えたいことは伝わりつつあり、デッサン力に依存した絵の世界は狭いと私自身が納得しつつある。タイトルのようなことを言うのは勇気がいるけど、納得できてきたから言えることでもあるかも。

過去、デッサンも教えた場合、だんだんに絵を描かなくなった人がほとんどだったけど、デッサンをガン無視して教えた人はどんどん描く楽しみを見出して自分から描いてる。
なんなら、必要になったら自分でデッサンしてみるんではないかと、彼らを見ていて感じる。みんな大人だけど、その好奇心は子供の頃のそれみたい。

子供の頃、描き終わる頃にはもう次に何描くか決まってた。もっともっと描きたくて、何枚も何枚も描き続けた。
教えることでその行為にブレーキをかけることになるなら、教える側がなんらか絵の成り立ちを誤解してるとこがあるんではないかと疑う。

今のところ、デッサンが初期に必要な人とそうでない人がいて、形よりも色に感受性が強い人には逆効果なことがあるという認識を持っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?