奇跡講座/自我の反応
日々、祈りの中に居続ける練習中です。
出来事に反応する在り方、喜怒哀楽に明け暮れる生き方から卒業したいからです。
ワークブックレッスンは本当に役に立ちます。
何か揺れることがあったら、その日の主題概念に戻ればいいのです。
今はワークブックレッスンをしてないので、
今朝はマニュアルを読みました。
一緒にワークブックレッスンをしませんか?と呼び掛けたのですが、連絡が来なかったので、ぼちぼち5巡目をスタートしようかなと思っています♪︎
何かに自我が反応したからと言って、反省する必要はないのですが、その反応を正直に見る必要はあると思います。
自我の反応を分析する必要はない、自我を看過していけばいい。それは確かにその通りなのですが、私の場合は何故そのような反応をしたのかを、ちゃんと見た方が先に進みやすいのです。
分析して自分責めの材料にするのではなく、そのような反応に至ったのは何故なのか。
そこには、癒されていない何かがある筈なので、そこを誤魔化さずにちゃんと見ます。
土曜日に、Naokiさんのサットサンに参加させていただきました。
そこで、怒りが話題になっていたのですが、サットサンが終わってから、怒りを覚える出来事がありました。
それは父親からのLINEでした。先日にも選挙は○○党に入れて欲しい、とのLINEが父から来ていました。
土曜のLINEの内容は、選挙へは行ったのか、選挙へ行くのは国民の義務だ、と言う内容でした。
なんだか責められている気がしたし、義務という言葉に怒りを覚えたのでした。
両親は離婚をしていて、私は父に対して、父親の義務を果たしてないくせに偉そうに!!という気持ちが、まだあることにも驚きました。
父には怒りはぶつけませんでしたが、選挙へは明日行くが、どこに入れるかは私の自由だ、という内容の返信をしました。
父が期待してる私からの返信内容は、○○党に入れて来ましたよ、という内容でしょう。
父からの返信は来ませんでした。
その夜は、コースのお仲間の祈りの会に参加しました。【奇跡講座テキスト23章自分自身との戦いⅣ.戦場を越えたところ】を引用していました。
この世界のキャラクターのその人が、私に何を言ったか、私に過去に何をしたか、そのことに囚われていては、相手のことも自分のことも、牢獄に閉じ込めることになってしまいます。
相手が悪くて、自分は正しい。
相手が加害者で、自分は被害者。
その二極を越えて、私たちは共に同じ「神の子キリスト」なのだということを知りたいと望みます。
どうか戦場を越えたところへと、私を引き上げてください。
私が本当のことを知ることができるように、どうか助けてください。
そんな思いで祈っていました。
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攻撃への誘惑が生じて、あなたの心を闇と殺意で満たそうとするとき、自分が戦闘を高みから見ることが可能だと、思い出しなさい。形において認識できなくても、あなたはそのしるしなら知っている。刺すような痛み、罪悪感の疼き、そして、何よりも、平安の喪失といったしるしである。こうしたものをあなたはよく知っている。それらが生じたときには、高みにあるあなたの場所から離れることなく、すぐに殺害の代わりに奇跡を選択しなさい。そうすれば、神ご自身と天国のすべての光が、優しく寄り添い、あなたを支えてくれるだろう。なぜなら、あなたは神があなたに居てほしいと思う場所にとどまることを選択したからであり、いかなる幻想も、神の子と共にある神の平安を攻撃できないからである。
23章自分自身との戦いⅣ.戦闘を越えたところ6
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私は最初テキストを読んだ時に、殺害という表現にびっくりしたものでした。イエスは【愛でないものは殺害である、愛でないものは攻撃でしかあり得ない】と、テキストでキッパリと言っているのです。
夜寝る前に、父からLINEが来ていることに気付きました。
そこには、選挙に行くことが大事だ。
とだけ書いてありました。
いつも選挙の度に、嫌な思いをしていたことが、優しく溶けていく感覚がしました。
1日を通して、たくさんの人達に助けてもらいました。みなさん本当にありがとうございます。
神との和解、神との一体に、
また1歩近付きました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
Blessings.