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写真|2024年総まとめ

ということで、明けましておめでとうございます
2025年がスタートしたばかりですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか、わしはいつもの様に続く体調不良に悩まされていますが、何とか社会の底辺を生きています、お金が苦しいです

さて、そんな日常を生きていますが、2024年を写真で振り返ろうと企画いたしました(みんなやっとるけど)、大した写真ではありませんが、わしが生きてきた証でもあります、ご覧くださいまし

2024年 1月

葉脈の美しさ

2月

未来を期待するような

3月

夢のような現実

4月

ゆるやかな儚さ

5月

重圧を乗り越えた先の景色のような

6月

煌びやかに忍ぶ

7月

田舎の豊富さ

8月

例えば死ぬとしても

9月

命があるということ

10月

運命の所作

11月

12月

愛しさと瞬間

キャプションというより、わしが受けた適当な印象です、ほぼ645Zで撮影された写真ばかり、やっぱりいいなあ…

写真は殆ど週末の土日に撮るだけで、平日は撮りません、しかも毎週ではなく2週間に一度のペースで撮ったりしていますから、写真の数が少ないこと…

それでもやはりこれらの写真には、確実に過去を生きた自分が存在しています、それは過去の記憶と自分とが結びついた証でもあります、そうして安心する、その写真が古ければ古いほどよりそう感じる

人は不思議なもので、生きている間は本当は望んでいるのに、心の奥底に隠して見向きもしなかった事柄でも、余命何ヶ月という宣告をされた時、必死に生きようともがき、残りの時間を謳歌しようと願うでしょう

ではなぜ生きている間に何もできず指を咥えているのでしょう、わしもそうです、勇気がないからです、失敗を想像してしまうからです、その失敗も大変な価値があることを知りつつも

写真は、そんなあーだこーだ考えていた時期の自分のメンタルとも結びつくようで、見返すとその時を生きた自分自身の何となくを思い出せます、その時決意して起こした行動により手に入れたものや失ったものの清算… 645Zを買った時の衝動性、これは正解でした

さて、一年後、死ぬとしたらわしはどうするだろうか
その時々の想いを写真や文章に残して生きた証を残していくのだろう、それを見た誰かに、自分自身が存在したことを認めてもらうために、それ以上に、関わった他者が、自分自身が存在したことによって生まれた時間に、幸福なり癒しなり学びなりが詰め込まれるように、それを期待して生きていくであろう

とりあえず、やってみたいことは世界征服です
ピンポン玉で

では2025年も適当によろしくお願いいたします
アディオス!inacaでした

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inaca
いわゆる、駄文