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オランダのまちづくりと現代の都市課題の関係性 - リペアカフェを入り口に考える
この記事では、筆者が先日試聴したドキュメンタリー『The Repair Cafe(リペアカフェ)』がスポットライトを当てている二つの都市課題テーマ「サーキュラーエコノミー」と「都市社会における孤独」をベースに、オランダの都市部におけるまちづくりをレビューしている。その中で見えてきた、民同士の働きかけや共住複合施設といったオランダのまちづくりのキーワードから、都市生活においてコミュニティを重視するオランダの風土がリペアカフェ浸透の背景にあるのではないかと思い至った。
リペアカフェとオランダのまちづくりの共通点を探る
最近、『The Repair Cafe(リペアカフェ)』というドキュメンタリーの上映会に行く機会があった。地域のボランティアがなんでも無料で直してくれるというオランダ発祥の取り組みについて、「修理しているのはモノだけなのか?」という目線で制作された温かいストーリーだ。舞台となるリペアカフェは、言わずもがなオランダにあった。アムステルダムに50ほどあるリペアカフェの一つに集まるモノと人々を中心に物語は進んでいく。
多くのドキュメンタリーとは何かしらの問題提起をするものだが、本作でキーワードとなるのは、「サーキュラーエコノミー」や「都市社会における孤独」だった。製作者の瀬沢正人さんと同じくオランダに住んだ者として、上映後の交流会で、現地で学んだ都市計画と絡めて意見を求められるシーンがあったが、うまく言語化できなかったのでnoteに書き出してみることにした。よって、以下ではオランダのまちづくりを「サーキュラーエコノミー」と「都市社会における孤独」に重ねてつらつら書いている。
オランダのまちづくりと「サーキュラーエコノミー」 - 古建築再活用
前回のnoteでも書いている通り、オランダは建物の再活用が十八番だ。古いものを修理して引き続き使えるようにするという点で、リペアカフェと建築再活用はどちらもサーキュラーであるという共通点がある。事例については前回多く書いているので、ここでは「サーキュラーエコノミー」にもう一歩踏み込んでオランダのまちづくりの特徴を捉えてみたい。
そもそもサーキュラーエコノミーとは、環境省によると、「従来の3Rの取組に加え、資源投入量・消費量を抑えつつ、ストックを有効活用しながら、サービス化等を通じて付加価値を生み出す経済活動」である。ただストックを再利用するに留まらず、新たな価値を付けて経済を回していく概念であることを忘れてはいけない。
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環境省もしっかりオランダを参考にしていた。
ドキュメンタリーの交流会にて「リペアカフェは資本主義社会と矛盾しないのか?」という疑問があがった。それに対し瀬沢さんは「修理に必要な部品はお店で買ったり、誰でも自分たちで直せるように道具屋さんを口コミで広めたり、両者は共存共栄の立場にある」と答えていらっしゃった。
建築物の再活用に話を戻そう。ただ古い建物を使い続けると、いつかはハードとしての寿命が来るか、ソフトとしての建物の用途が要らなくなる日が来る。しかし、手を加え用途を変えていくことで、新たな価値創造≒経済の発展に寄与することができる。
まちづくりとは、多くの場合にして大きな金額が動く活動である。そこで古い建物の再利用だなんて聞くと、特に建築業者や築材業者にとっては多額な機会損失に聞こえるかもしれない。しかし、先日noteでも触れたように、リノベーションで中を変えたり築材を工夫したり、経済に貢献するやり方は如何様にもある。また、リノベーションの後においても、これまでになかった価値を創造する活動に建物を使うことで、経済活動を促すことができる。
オランダの場合、特に公共へ還元する形で付加価値を出しているように感じる。昔の大きな建築が公共施設に向いているというハード面の特徴はあるが、それ以外にも、リペアカフェのように、民同士がお互いのために働きかけるソフト面としての文化があるような気がする。前回の記事でも触れた私が訪問したコミュニティセンターWijkpaleisも、民が民のために小規模の古建築を半公共施設へと変貌させた例である。私が住んでこの目で見た小規模建築の例として、他には空き地を活用したコミュニティガーデンだったり、教会をリノベした書店だったりが思い浮かぶ。
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週末はリペアカフェを無料で開催している。
オランダのまちづくりと「都市社会における孤独」 - ゾーニング
オランダにおいて、ヨーロッパのほとんどのまちづくりと同じように、日本と比べてゾーニング(区域分け)が一貫して徹底されてきた。日本の都市部ではタワマンやお屋敷の裏に木造アパートが建っていることも珍しくないが、私の肌感では、オランダでは同じ郵便番号のエリアには同じくらいの生活レベルの人々が集まる(コルビュジェあたりの近代都市計画の影響??)。このゾーニングの文化が住民の連帯やコミュニティの活動を促進する一方で、時には現代社会における孤独を生み出しやすい仕組みになってしまっているように見える。
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日本やオランダといった先進国に共通する現代ならではの現象として、人口の高齢化や分離(Segregation:出身国・信条・貧富・文化などの違いによって空間的または社会的に人口に隔たりが生じること)がある。どちらも、都市社会における孤独を生み出しているメジャーな悩みの種だ。ゾーニングは、これらの現象のうち、高齢化に対しては孤独感を和らげ、分離に関しては孤独感を加速化させているのではないかと私は考える。
欧米の個人主義に成り立つオランダの高齢者への対策は、基本的には「老人施設に入居させる」である。老衰でも認知症持ちでも従来通りの生活ができるよう、各施設はできる限り家のようなデザインになっており、その中で個室乃至はユニット部屋で高齢者が暮らすようになっていることが多い。特に有名な施設がホグウェイで、そこは認知症の人々が普通の人と同じように暮らせるよう、塀の中に商業施設を建てたりして、オランダの村を再現している。見方によっては高齢者を社会から「隔離」しているようにも感じられ、ディストピア感を否めないのは私も非常に同意する。しかし、高齢者が感じる孤独という側面だけを切り抜いた場合、昔通りに1日を送ることができる集団生活は、孤独という感覚の軽減に一役買っているのも事実である。(注:筆者は、高齢者を社会から隔離する価値観を決して良いとは思っておらず、あくまで孤独の軽減に集団生活が一役買っているという点を確認しているに留まる。)
一方で、分離に関しては、ゾーニングはその語感通りに人と人との隔たりを作り出している。もちろん似た背景を持つ人々が文化的な親近感(=ソフト)から集まって自然に分離が進んでいく側面がある一方(こちらは孤独とは真逆をいく現象である)、不動産の価格帯や商業/公共施設の性格(=ハード)から空間的分離が進む事実もある。下の地図ではアムステルダムにおける非西欧人の多い居住地を赤色で示している。中心地は真っ青で、外れの方に非西欧人が固まっていることがよくわかる。アムステルダムだけでなく、ロッテルダムやその他のオランダの都市でも同じことが起きている。非西欧人が多く住むエリアとは、アクセスが悪く、レジリエンスが弱く、娯楽施設や人気店のほぼない地価が安い場所である。このような環境は、そこに住む人々にとって、自分たちが中心部から隔たれているように感じやすい構造になっているに加え、地域の安全性と健康性の不全から公共の場での活動が控えられる。このようにして、公共の場に出ることが控えられることで、社会的孤立が強化されるという見方がある。
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西欧人でない人々が全体の人口に占める割合で色分けしたマップ。
10%以下が青、50%以上が赤。
ドキュメンタリー『The Repair Cafe』では、ある移民がオランダでの生活で感じる孤独が描かれていた。集団を重んじる国から移住した彼にとって、元々個人主義的であるオランダ社会に空間的・文化的な分離が重なり心の寂しさを感じることは、想像に難くないだろう。かくいう私もオランダ在住中、東洋文化を共有する相手が周囲にいないことに魂の落ち着かなさを感じる瞬間があった。
マクロに見ると分離が進んでしまっている一方で、ミクロでは商と住、住の中でも価格帯の低中高を全て包括した複合施設を増やしていこうという動きがオランダにはある。その一つがロッテルダムの南側(中心部と分離が起きている不人気なエリア)にあるDe Kaaiである。マーガリン工場の跡地であるこの約1万平米の広大な土地に、1,000もの住宅と文化・商業・社会的なアメニティが肩を並べるマスタープランが今年承認された。経済的レベルの異なる世帯をミックスすることが果たしてどのような良い影響を生むのかは気になるところであるが、まずはやってみようという気概の良さが気持ち良い。私が訪れた際は、中の住民と近隣の人々、そして外から来る訪問者がダイナミックに混ざり合い影響を与え合うビジョンを語ってくれた。そこも含めて、このような施設が社会的にどのような役割を果たせるのか注目したい。
コミュニティありきのオランダ都市部のまちづくり
「サーキュラーエコノミー」と「都市社会における孤独」のレンズを通してみると、オランダの都市部でのまちづくりはコミュニティを重視しているように見える。「サーキュラーエコノミー」の文脈では、コミュニティのために建物を再利用しようというトリガーが古建築再活用にあった。「都市社会における孤独」の文脈では、コミュニティを日常の中で感じられることを前提とした共住が、時代に合わせたカタチで提示されている。昔からあるのがコミュニティガーデンの文化や今回触れた高齢者住宅、より新しいものがDe Kaaiのような複合施設兼住宅地という具合である。
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施設の内外がつながる部分と、住民のみがアクセスできる部分とゾーニングされいてる。
川のすぐそばにあるため、洪水に対処できるよう緑とテトラポットを増やしたり、生態系を豊かにするために植栽を工夫したりと、人間と自然の共存も計画において重視されているそう。
リペアカフェという取り組みも、コミュニティを形成しながら「サーキュラーエコノミー」への貢献と「都市社会における孤独」の軽減に役立っている。コミュニティを大切にする文化がある国だからこそ、首都のアムステルダムだけで50も存在しているのだろう。
日本で広まる? コミュニティありきのリペアカフェ
話をドキュメンタリー『The repair cafe』に戻そう。交流会で製作者の瀬沢正人さんは、「このドキュメンタリーが、リペアカフェという文化が日本でも広まるきっかけになったら嬉しい」と仰っていた。
日本の金継ぎや刺し子の文化は、修理という文脈でリペアカフェととても共鳴するはずである。また、どの分野の職人たち(伝統工芸、家具、鍛冶屋など)も、自身の守備範囲内で昔から修理サービスを提供してきた。現代ではDIYの浸透もあり、自身の手を動かしてモノを修理する人口は少なくないだろう。そんな中、リペアカフェ文化が日本で広まるのはもはや時間と仕掛け人を待つのみと言えそうである。実際、パタゴニアさん主催の横浜での上映会において、リペアカフェがセットで開催された。
リペア文化をもし日本で増やしていくとするならば、オランダのまちづくりから学べることは、コミュニティを意識した場づくりを行うことだと私は考える。近所の顔が常に見え、都市内であればどこまでも自転車で通えてしまうオランダの街の住宅形態とサイズ感だからこそのコミュニティ形成。それを日本の都市部でどのように実現していくのか。
今あるコミュニティの延長にするならば、学校や市民/区民センターが思い当たる。これらの場所が、本来ステイクホルダーに入っていなかった近隣住民をうまく巻き込むことで、持続的かつローカルに根差した活動はできそうである。また、瀬沢正人さんによると、日本の今今では、常設カフェが時々リペアカフェっぽいイベントをすることが多いそう。この場合、不特定多数の個人が人生に1-2回しか訪れないであろう性格のカフェと、同じ顔を何度も見かけるコミュニティを大事にしたカフェでは、活動の意義が異なってくる。この後者の中のどこでドキュメンタリー『The repair cafe』が蒔いた種が成長するか、注目していきたい。