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オランダの大学院で都市計画を学び、ケニアのスラムで参加型研究の研究をした|修士論文公開

大変今更だが、昨年夏にエラスムス大学での修士課程を終えた。卒業してから全てが目まぐるしく変わり、しっかり振り返る時間をとっていなかったのだが、友人に「アウトプットは中途半端でも良いのでとりあえず出すべき」と言われ、なるほど納得した。当時の経験と抱いていた想いを記憶から掘り起こし、このタイミングで論文とともに公開しているのはそのためである。
添付した論文自体は全て英語なので、一部分だけ和訳しこのnoteに記載している(ChatGPT様様)。感想や質問など大歓迎。自身の体験を思い出す上でもすごく助かるのでぜひご連絡ください。

修士論文のテーマは『インフォーマル居住地でのコミュニティ参加型研究(CBPR)における信頼構築-Mathare地区のケーススタディ』であった。すごく砕いてカジュアルにいうと、スラムの住民を巻き込んだ研究において、研究者と住民の間にどのような信頼があったのか、そしてそれらはどのように構築されたのかを研究し、記録した。勿体ぶることはないので、論文のPDFをここに貼り付けておこう。

論文研究にまつわる経験と思考の記録

研究テーマとの出会い直し

思えばこのテーマは、私が出願や奨学金申請で書いていた研究計画書の内容が奇しくもかなったものである。学部時代の授業、そしてfor CitiesやBAUMといった組織でのインターンで、住民が主体となって行うまちづくりにグッと興味をそそられた。そこに自身がもっと前から強く抱いていた国際協力への「携わりたいけど自信がない」という、発酵しすぎて腐る寸前だった想いが重なった。やるなら修士だ。すごくシンプルにそう思った。研究科も奨学金の財団も、このテーマと共鳴し合う理念を掲げていた。全てがぴったりだった。無事に修士プログラムからも財団からも合格通知をいただいた。スタートは文句なしだった。

しかし、オランダの大学院(理工と医を除く)は1年間で修了することになっている。9月から3月までみっちり授業を受け、4-5月で研究し、6-8月で論文を仕上げるというのは鬼ハードスケジュールである。1ヶ月目にしてこれをこなす自信はみるみる減退していき、気付けばそんなことより目の前の授業と提出物とグループワークで目が回っていた。

格好の機会はそんな中で突如訪れた。2人の教授がそれぞれインドのチェンマイとケニアのナイロビで研究チームを率いているから、修士論文の研究を5-6人ずつ面倒見てくれるというのだ。Dr Jan Fransenという、名前も見た目もこの上なくオランダ人らしい教授がナイロビ側のリーダーだった。学生の学ぶ意欲を引き出すのが上手な教授で、学生からの人気は抜群。私もそのおかげで彼の期末テストで自分の修士生活での最高得点を出していた。そんな相思相愛?な教授の元で研究ができてとても幸運だった。実際に研究と執筆期間中も何度もメンタルを救われ、彼のグループに入れてよかったと今でも感謝しきれない。

このようにして、文字通り思いがけないサプライズという形で、念願のスラムでの研究をすることになった。なぜスラムなのかはまた長くなるのでぜひ本人に聞いてほしい。

先進国で学び新興国で研究をするという経験

資本主義とグローバル化の大きな波がアカデミアをとうに飲み込んでいて、自分はその濁流を上下左右もわからず泳ぎ抜く魚と化した。

先進国のハイソな学者が新興国のスラムに行って研究をする。その意義は何なのか。西洋の思想を第三世界の発展に持ち込み、現地住民に協力してもらって自分たちの研究目的を達成する。アカデミアでのColoniality再生産ではないのか。ずっとそう思っていた。だからこそこのテーマを選び、研究倫理に向き合おうとした。話は少しずれるが、プログラムでは東アジアの都市は滅多に取り上げられなかった。インド人の学生と「西洋の枠組みで私たちの長い都市発展は語れない」と苦笑していた。

研究期間に入る前から、授業ではインフォーマリティや都市計画における資本主義とグローバル化について扱っていた。オランダ人とインド人の教授が担当し、学生は先進国:新興国1:3くらいの割合で、かなり中立的な環境だったと思う。その中でずっとモヤっとしていたのは、資本主義とグローバル化抜きでは都市の発展を語れないほど、世界の隅々に同じような西洋的な「都市の理想像と実現方法像」が染み渡っていることに、その場にいた新興国の学生は疑問を持っていなかったことである。

新興都市がこの二つのトレンドに突き動かされて発展していく様子をWorlding Cityと呼ぶ。ニューヨークやロンドン、東京といった資本主義の最前線をゆく都市を見習い、クリーンでハイテクで高層ビルだらけの都市を皆追い求める。その中でスラムが住環境を改善し"発展"していく必要性に駆られているのは、もちろん文字通り人々の住環境を改善してより良い生活をするためもある。それ以外に、政府が"排除すべきもの"としてスラム住民を強制立退させるので、それに対抗しなければならないという背景もある。

Mathare内、洪水で流されてしまったエリア

私たちの研究の舞台となったMathareも例の如くこの二つの潮流の中で目まぐるしく変化している。近年はオランダのアカデミアの資本(LeidenDelft工科大学と私たちの研究科とのパートナーシップ)で発展のための研究が進められている。Mathareに限らず、多くの"国際協力"は先進国の資本によって支えられているが、金銭的対価を求めて研究に協力する新興国の住民がいるのもまた事実である。逆に、研究者は成果を求めて金銭を払っている(=成果を買っている)と言い換えることもできる。お互いが倫理に最大限気を使っていようとも、ここにパワーバランスが露呈してしまうのは想像に難くないだろう。また、ナイロビはWordling Cityの代表と言っても過言ではないくらいで、Mathareも強制立退に何度も泣いてきた。私たちが渡航する前の週に10年に一度の大雨と洪水に見舞われ、河辺に立つこのコミュニティは、安全を口実に再び強制立退に遭ってしまい、私たちが離れる頃には政府の重工機がドリルで家を壊していた。どこで学んだのか、アジア人である私を見てみんなチャイナ!チャイナ!と声をあげていた。そこから2-3km先には国連の施設と母屋が見えないくらいの庭と塀に囲まれた家が並ぶ超富裕層エリアが広がっていた。

さて、研究倫理に向き合おうとして行った研究だが、こう思い返すと自分がどこまで倫理的であれたのかはわからない。ただ教授、同級生、現地の研究パートナー、そしてMathareの住民たちとの交流だけが思い出として残っている。スラムは国を構成するひとピースで、ケニアはとても美しい場所だった。このnoteを書きながら拾いきれていない会話と風景が私の中のどこかに眠っている。

Maasai族のJosephineさん、また会いに行きたい

論文の抜粋

注:以下はChatGPTに丸ごと要約と翻訳をお願いし、特定の単語のみ一部修正したものである。

サマリー和訳

信頼は、コミュニティ参加型研究(CBPR)における倫理的原則として組み込まれている。しかし、信頼の欠如はCBPRにおいて頻繁に直面する課題であり、この問題を克服する方法について扱った研究は少ない。特に都市部のインフォーマリティ(非公式性)の文脈では顕著である。本研究の学術的な貢献は、都市部の非公式性における信頼とCBPRに関する議論を引き出し、広げることにある。実務的には、本研究はナイロビで2番目に大きなインフォーマル居住地であるMathareにおけるCBPRの倫理を改善することを目的としている。この地域は長年、政治的介入の対象やインフォーマル居住地に関する研究の対象として注目されてきた。
本研究では、信頼のタイプとそれが育まれる文脈を詳細に記述するため、次の2つの研究手法の結果をトライアンギュレーションしている:(1) 二次データ分析、(2) 半構造化インタビュー。分析対象となったすべてのCBPRでは、コミュニティメンバーが「課題の特定」「一次データ収集」「知識の共同生成」「結果の普及とフィードバック」といった各ステップに関与していた。すべての研究は調査期間終了後に「批判的反射的信頼(Critical Reflective Trust)」に到達していたが、開始時点での信頼のタイプは異なっていた。一部の研究では、パートナーシップを将来にわたって維持したいという意思を示す「さらなる信頼」の兆候も見られた。
11個の要因が特定される中で、MathareのCBPRにおいて最も影響力のあった要因は、能力開発(Capacity Building)、社会変革/影響(Social Change/Impact)、および地域内部者(Community Insiders)であった。研究と生活の両面での能力は、学術界とコミュニティのパートナーシップにおいて評価されていた。また、コミュニティメンバーにとって、地域の変化を目の当たりにすることが研究者に対する信頼を迅速に変化させたと述べられていた。Mathareの「地域内部者」とは、研究を主導し、外部研究者とコミュニティをつなぐ役割を果たす地域団体(CBO)のメンバーである。
さらに、本研究で明らかになったMathareのCBPRにおける信頼構築の予想外の明確なパターンとして、「研究が古いほどパートナーシップにおける信頼が少ない」という点が挙げられる。他の学者が主張するように、CBPRと信頼のポジティブフィードバックループは、Mathareの事例でも存在していた。
今後Mathareで研究を行う際には、以下の点を強く推奨する:(1) 研究または生活の能力向上を通じて地域に利益をもたらすこと、(2) 研究プロジェクトが社会的または政治的影響を生み出すこと、(3) 地域団体(CBO)に働きかけ、コミュニティメンバーとの「代理的信頼」を迅速に確立することである。多くの住民が研究機関を信頼するようになっているため、特に外部研究者が地域に入る際には、この信頼を維持するための努力を継続することが求められる。

本文抜粋

第1章:序論
この章では、CBPR(コミュニティベースの参加型研究)における信頼の重要性を説明し、特に都市部の非公式居住地での適用に焦点を当てている。研究の目的として、MathareにおけるCBPRの倫理向上を挙げ、研究質問やケーススタディの概要を提示している。

第2章:文献レビューと仮説
理論的枠組みとして信頼とCBPRの関連性を探り、CBPRの起源や発展を説明している。また、CBPRにおける倫理的課題、参加プロセスの段階、都市のインフォーマリティにおける課題を概説し、これらを統合した概念的枠組みを提示している。

第3章:研究デザインと方法論
この章では、MathareでのCBPRの信頼を調査するために採用した混合研究法を説明している。二次データ分析と半構造化インタビューを使用し、データ収集の過程、ローカルパートナーの役割、倫理的配慮、研究の限界について詳述している。

第4章:結果、分析、議論
Mathareで実施された6つのCBPRの事例を分析し、参加プロセスの段階、信頼の種類、および信頼構築の要因についての結果を報告している。全ての研究で「批判的反射的信頼」が最終的に構築され、特定の要因(能力開発Capacity Building、社会的影響Social Change/Impact、地域内部者の役割Community Insiders)が重要であることを示している。

第5章:結論
研究命題に基づき、MathareにおけるCBPRが信頼を構築する具体的な要因を特定している。理論的および実務的な示唆を提示し、将来のCBPRにおける倫理と信頼構築の改善に向けた提言を行っている。

理論的枠組みで参照した学者、主張、関連テーマ一覧

Lewin (1946)
行動研究の先駆者。少数派グループを社会的公正のもと研究に参加させるサイクルを提唱。
関連テーマ:行動研究、参加型アプローチ

Freire (1970)
教育を通じた社会変革を強調し、参加型研究の哲学的基盤を構築。
関連テーマ:社会変革、参加型教育

Habermas (1996)
熟議的民主主義を提唱し、参加プロセスにおける合意形成の重要性を示す。
関連テーマ:熟議的民主主義、合意形成

Israel et al. (1998)
CBPRの包括的ガイドラインを提供。社会的変革や歴史的不平等への取り組みを強調。
関連テーマ:CBPRの原則、社会変革

Wallerstein & Duran (2006)
権力の力学や平等なパートナーシップの重要性を指摘。CBPRの実践上の課題を議論。
関連テーマ:権力の力学、平等なパートナーシップ

Lucero (2013)
信頼の新しい分類を提唱し、コミュニケーション倫理や状況要因が信頼構築に与える影響を分析。
関連テーマ:信頼分類、コミュニケーション倫理

Cornwall (2008)
不適切な参加がコミュニティの不信感を増幅するリスクを指摘し、倫理的な参加の必要性を訴える。
関連テーマ:倫理的参加、不信感

Charles et al. (2021)
信頼とCBPRの相互関係を強調。状況的、組織的、制度的制約が信頼構築に与える影響を分析。
関連テーマ:信頼とCBPRの相互作用


Mathareの出口にあるストリートフードスタンド。
チャパティorウガリにその日のおかずを合わせた1食が60円くらいだった。

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