人は「生」の消長と拡充を求めて宗教に向かう
なんて小難しいタイトルでしょうか。(授業のレジュメからの抜粋)
私は特に信心深い訳ではなく、クリスマスもお正月も普通に楽しんで、お墓や仏壇に手を合わせて、節目の際には寺社仏閣にお参りするような、いわゆる普通の日本人、て感じなので、一つの宗教のバックグラウンドを深く学んだことは無いのですが、宗教現象を体系的に取り扱う「宗教学」というジャンルは面白くて好きです。
そしてそれを星読みと関連づけたりしながら楽しんでいます。
では本題です。
人生って楽しいことばかりじゃなくて、大変なことも悲しいこともあるよね。
病気になったり、様々な出会いや別れ、大切な人やペットが居なくなったり、自分がいつか死んでしまうこと。そんなことを考え出すと不安になるものです。
そういう「どうしたらいいんだろ」という迷いや恐怖心を優しく包み込んでくれるものがずばり宗教なんだそうです。
「生」の消長
消長という言葉はご存知でしょうか?私は知りませんでした。
簡単に言うと「いい時も悪い時もある」ということだそうです。簡単に言いすぎたので少し説明を加えると、生命の浮き沈みや変化、さらには死を含む存在の儚さを指していると考えられます。
人は自分の生命に限りがあること、つまり死は避けられないということを本能的に意識します。至極当たり前のようなことですが、みんな死んだこともなければ死んで生き返った記憶もないからさ。(何を言うている)
こういった意識から生まれる不安や恐怖が、宗教における救済や永遠の命といった概念に人を惹きつけるのでしょう。
「生」の拡充
拡充というのは消長よりは分かりやすいかと思います。
自分をもっと良くしたい、強くなりたい、成長したい、なんていう気持ちのことです。生命や存在の可能性を広げること、より豊かな生き方をしたいという欲求です。
宗教はその欲求に対して「超越的な存在との繋がり」「精神的な成長」「コミュニティでの連帯感」などを提供します。
それにより、自分一人では達成できない拡充を目指す手助けをしてくれるのです。
宗教が与えるもの
宗教は、「生」の消長に対しては、死後の世界や輪廻といった概念を通じて不安を和らげます。
一方で、「生」の拡充に対しては、自己の価値を再発見する哲学や教えを与えたり、人生の意義を見出したりします。
普遍性という視点は、特定の宗教に限定されるものではありません。
例えば仏教では「無常」の理解を通じて生の儚さを受け入れ、キリスト教では永遠の命という希望を掲げます。形式は違えど、「生」に関する人間の根源的な問いに答えることが共通しています。
人間が生きる上で避けられない不安や課題に向き合い、それを乗り越えようとする試みの一つとして存在しているのです。
こうまとめると、私が占星術に求めているものも、宗教的だといえます。