過去からの脱却
2024年4月26日 金曜日。天気は晴れ。
初夏のような、暑い日差しが降り注いでいる。季節は春を通り越し、夏の前触れを感じさせる。
ここ数年、春を感じていない気がする。それは私が忙しく、季節をゆっくり感じられるだけの心の余裕がないからなのか。それとも、季節が二極化し、春がなくなりつつあるからなのか。
どちらにせよ、もっと桜の開花をゆっくり楽しみたかった。しかし、私の好きな夏がすぐそこまで来ていることに嬉しさが募る。
最近は朝起きると、もうすでに日が昇り、季節の移ろいを感じさせてくれる。そのことが、とても嬉しく思う。
私にとって、過去とは、常にそばにあり、心の拠り所になっているもの。
恐らく私は過去への執着が人一倍強いのだと思う。過去の記憶から抜け出せないのである。
いつも比べるのは、「自由だったあの頃」。
今が自由でないかと言われるとそんなことはない。お金もあり、価値観も変わり、付き合う人も増え、色んな事に挑戦し、どこへでも出かけられるようになった。
けれど、それは同時に自分自身を縛り、責任を背負い、常に人から見られているという考えを私に与えている。「恥ずかしくないような生き方をしろ」と、言われているような。
ここ数年で、私の周りにあるもの、ある人、求めるものはガラリと変わった。大好きだった恋人と別れ、その後誰と付き合っても長く続かず、最近は一人で生きていくことを本気で考えつつある(と言っても、まだどこかで好きな人と結婚する未来を諦められていない。)
時々、楽しかったあの頃を思い出して、無性に泣きたくなったり、切なくなったり。以前よりは減ったけれど、やはり、好きな人と一緒にいた頃が輝いていたのは事実である。
私がこんなにも、過去に執着をするようになったのは、何故だろうか。
高校生の頃、私は、心の底から尊敬し、愛していると言っても過言でないほど人を好きになったことがある。
「たかが高校生風情が何を」と思われても仕方ないけれど、あの時代の、あの経験が、今の私に繋がっている。
その人は、私にとって本当に尊敬できる人だった。私の憧れであり、目標であった。いつか、一緒に仕事をしたいと本気で思い、いつもその背中を追いかけていた。
その人を本気で追いかけていたあの頃、私はまだまだ子どもで、知らない事ばかりで、けれど少しでも早く大人になりたくて、大人ぶっていて。
誰よりも、何よりも、自分が一生懸命生きていると感じていた。
こんなにも人を好きになることがあるのかと、本気で思っていた。好きになれたことを幸せに感じていた。人を好きになれた自分が、好きだった。
あの頃のように、心から誰かを思い、一生懸命に生きていくことが、これから先、またあるのだろうか。
あんな経験が、もう二度とできないと思っているから、私はいつも過去に戻り、その記憶をたどり、思いを馳せているのではないだろうか。
過去からの脱却
この、執着にも似た感情を手放す方法を私はまだ知らない。