退職と新潟・中越を離れた理由その1
前の記事にも書いてありますが、2018/4に新潟県長岡市から熊本県五木村に引っ越してきました。今回はその理由を書きたいと思います。
なぜタイトルが「五木村に移住した理由」ではないかというと、自分の中で「結果的に五木村」だったからです。もちろん、結婚した相手が五木村に帰るからという事も大きな理由なのですが、元々会社を退職し別の所にいこうかなと考えている時期で、それが重なって五木村に移住しました。
会社や仕事に不満があって辞めた訳ではなく、方向性の違いというかもっと他の可能性や方法もあるのではないかと感じたからです。むしろ、ろくに就職活動もせずにいた私を拾ってくれた会社なので感謝しています。でも特に正解が決まっている訳でない業界。だからこそ自分の考えていることをやりたいなと思いました。
コーディネーターと中間支援の限界
私の前職は平成16年10月に発生した中越地震の復興支援をする目的で立ち上がり、被災地支援や震災の資料館の運営などを行っている団体です。その中で私はにいがたイナカレッジのコーディネーターでした。イナカレッジは様々な事業をやっていますが、その中でもメインの事業はインターンのコーディネート(プログラムづくり、募集、インターン生のフォローなど)で「受け入れ先とインターン生をつなぐ」ことです。インターンについてはイナカレッジやチャレンジ・コミュニティ・プロジェクトのサイトを見れば詳しく書いてます。
辞めた理由の一つとしてこの「つなぐ」だけでは限界があると感じたからです。「つなぐ」ということは「地域や企業」と「学生、参加者」両者を出会わせマッチングさせることなんですが、最終的に決めるのは「地域や企業」と「学生、参加者」です。もし、いい人材だとしても両者の求めるものや価値観が合わなければマッチングしません。それをなくすためにコーディネーターがいるのですが、ミスマッチは決して0にはなりません。
ミスマッチが起きたときにコーディネーターは何ができるのか。
実際に自分がやっていた時もミスマッチはあったのですが、出来ることって少ないなと感じました。ひたすら両者の話を聞いてプログラムを変えるとか。自分的にはすごく地域にいてほしい人材だとしても「マッチング」しなければそもそも来てくれないし、もちろん地域に残れないのです。
それをなくすためにはどうしたらいいのか。
「自分が受け皿になる」ことも必要なんじゃないかと思いました。自分の組織で一時的にでも受け入れる事ができればいてほしい人材を、つなげる、残る可能性をつくることが出来る。コーディネートだけではなくて自社の事業もどんどん創り受け皿を広げていくことも必要だと思います。伴走だけでなく一緒に選手としてたすきをつなぐこともやってもいいんじゃないかと。なので、新しく設立する会社では受け皿の第一歩としてカフェをはじめようと思います。
長くなるので、その2に続きます。